第2話 連合艦隊司令長官

 「あなた方は神の使いなのですか?」


 山本連合艦隊司令長官の質問に、彼に先制口撃を仕掛けた杏が答える。


 「巫女です。どうやってここに来たのかは分からないのです」


 杏も、さすがに神の使いというのは厚かましいというか気が引けた。

 それに神の使いなどと言えば、何か能力を見せてくれと言われるに決まっているし、言われたら困る。

 どこからというのには答えず、どうやって来たのかについては分からないと正直に答えた。

 適当なことをでっちあげることはできたが、そのようなウソは後でばれるか、そうでなければ今後の言動に無視できない掣肘が加わることになる。

 ただ、さすがにどこからというのは明言を避けた方がいいだろう。


 「令和のコスプレ喫茶の控室から来ました」


 そんなことを言ってもまず間違いなく信じてもらえない。

 狂人扱いされるか下手をすれば警察に通報される恐れさえある。

 いずれにせよ、その場しのぎのためだけによけいなリスクを抱える愚行は現状では避けなければならない。


 「巫女様か・・・・・・」


 目の前のおじさん、山本長官が考え込む。

 そこへ杏に続いて聖子が意を決して肝心なこと、もしそれが真実であるというなら、絶対に信じたくないことを山本長官に尋ねる。


 「あの、変なお尋ねで恐縮なのですが、今日は何年何月何日なのでしょうか」


 申し訳なさそうに尋ねる聖子に、一方の山本長官は少し緊張を解いた表情になる。

 上目遣いの謙虚なポーズは聖子の十八番だということも知らずに。


 「昭和一六年一一月八日ですが、それが何か?」


 衝撃が三人に襲いかかると同時に、美津子が思わず余計なことを口走ってしまう。


 「じゃあ、日米開戦とか真珠湾攻撃とかまであと一カ月ということですの?

 たいへんじゃあないですか!」


 正直な、あるいは素直すぎるお嬢様の地が出てしまったことに聖子と杏が思わず頭を抱えるとともに胸中で同じ台詞を吐く。


 「この女、言ってはならんことを言っちまいやがった!」


 この時期、開戦時期も、そしてなにより真珠湾攻撃は当時の帝国海軍においては機密中の機密、それも最高機密だ。

 美津子の不用意な発言に、山本長官も明らかに顔色を変えている。

 ご時世が最悪のうえに情報が情報だ。

 あるいは、山本長官は自分たちに対して強硬手段に訴えてくるかもしれない。

 杏は腹をくくりつつ聖子と美津子をみやる。

 聖子は頭の中で何か計算しているようだ。

 美津子も自身の失言に落ち込むことなく、リカバリー策を思案しているのが分かる。

 大丈夫だ。

 こうなったら、この状況を利用しない手はない。

 なにより、今の自分たちには頼るべき伝手がまったくないのだから。

 次に山本長官がどんな台詞を吐くかは杏は完全に予想出来た。


 「君たちはなぜ、そのことを知っている」


 山本長官の言葉に対し、三人の胸中の言葉もまた完璧にハモる。


 「ほら、やっぱり!」


 山本長官の口調も最初の巫女相手の丁寧なものから厳しいものへと変化している。

 表情こそ平静を装っているものの、その全身から猜疑のオーラがわきたっている。

 そんな彼相手に、さてどうやって答えたものかと杏が思索を巡らせていたら、聖子が先に口を開いた。

 三人の中で頭の回転が速い、もっとも頭の切れるのは間違いなく聖子だ。

 ただ、その使いどころがロクでもない悪だくみが多いのが玉に瑕だが、それでも今はなによりも頼りになる。


 「貴方は私たちを誰だと思っているのですか!」


 「巫女なんだからそんなことは知っていて当然」といった表情で、逆に山本長官の詰問に質問で返す。

 頭の回転もそうだが、口からの出まかせについても聖子はピカ一だ。

 その聖子の気迫に押されたのか、山本長官はうつむき小さく唸る。

 状況有利と悟った聖子はいささかダーティーな追撃の言葉を吐く。


 「ときに△△さんと□□さんはお元気?」


 そう言って、聖子が山本長官に向けて艶然とほほ笑む。


 美津子と杏は何のことか分からなかったが、△△さんと□□さんは山本長官の愛人といわれる女性の名前だった。

 超有名人な山本長官ゆえに△△さんと□□さんなどと言った愛人の名前が歴史に残ってしまうのは仕方のないことだ。

 特に□□さんの方は真偽のほどは定かではないが、すごいエピソードも残っている。

 聖子がこのことを知っていたのはコスプレで役になりきるために軍艦や戦史の知識を可能な限り詰め込んだこともあるが、なにより無意識に人の弱みになりそうなスキャンダル情報に目がいってしまう癖があったからだ。

 美津子や杏も聖子と同様、役作りのために軍艦や戦史の知識はそれなりに持ってはいるが、さすがに連合艦隊司令長官の愛人の名前までは知らないしはなから興味など無い。


 聖子のプライベート直撃の言に、山本長官は真っ青になる。

 国家の最高機密を知り、さらには自分の現在と過去の愛人の名前まで知っている、突然目の前に現れた三人の娘たち。

 ひょっとしたら自分のあんなことやこんなことも知っているのではないか。

 彼女たちは自分たちのことを「巫女」だと言っているが、どう考えても人外にしか思えない。

 確かに、髪も肌の色も日本人と変わらないが、それでいてどこか日本人離れしている。

 背は高く、その割に顔は小さく手は長い。

 脚は残念ながらテーブルに隠れて見えないが、上半身のそれからしてきっと長いのだろう。

 上半身といえば三人そろって発育が良い。

 特に上品な言葉遣いの娘の双丘は、とても日本人のものとは思えない。

 油断していたら年甲斐もなく、ついつい視線を向けてしまいそうだ。

 それと、巫女衣装のいでたちも異様だ。

 やたらと露出が多く、普通の女性が着ればはしたないとか慎みがないと言って批判されるだけなのだろうが、彼女たちはそれが妙になじんでいる。

 山本長官は彼女たちについて自分たちと何がどう違うのかうまく言葉にできなかったが、強いてあげれば生まれ育った世界、あるいは時代が違うのではないかと思った。

 だが、自身に浮かんだ疑問とは裏腹に、職業軍人としての言葉が先に口をついていた。


 「真珠湾攻撃についてどこまでご存じなのですか」


 口調が容疑者に対してのそれからふたたび神の使いの巫女、あるいは人外に対するものに変わったことに聖子は安堵するとともにそれをとことん利用することを決意する。


 「作戦参加兵力は空母六隻を擁する第一航空艦隊。それが三百五十機の艦上機でオアフ島を攻撃。他には甲標的と称する小型の特殊潜航艇が五隻といったところでしょうか。

 艦上機の武器は浅い真珠湾内でも使用可能な浅沈度魚雷、それに四一センチ砲弾を改造した徹甲爆弾。一航戦と二航戦、それに五航戦のそれぞれの艦上機の数や与えられた個別目標もお話しした方がよろしいですか?

 それとも、指揮官が南雲中将で攻撃隊総指揮官が淵田中佐だとかいった人事情報もこちらは承知しておりますが、先にそちらからお話ししたほうがよろしいでしょうか」


 少しばかり居心地の悪さを感じながらも、聖子は真珠湾攻撃の知識を眼の前の山本長官にぶつける。


 「いや、結構だ」


 聖子の話を聞かされた山本長官は自身の掌がじっとりと汗ばんでいるのを自覚する。

 完全な機密情報の真珠湾攻撃をあまりにも正確に把握している。


 「拘束して尋問すべきか」


 山本長官は一瞬、そう考える。

 だが、一方で彼の本能が告げていた。

 この娘たちをないがしろにしてはいけない、敵に回してはいけないと。

 詳しく話を聞く必要があった。


 「今日はもう遅いので、よろしければ私の方で宿を手配いたしますが、いかがいたしますか。さすがに『長門』に女性をお泊めするわけにはまいりませんので」


 山本長官の提案を聞いた三人娘は一様にほっとした表情を浮かべた。

 このときばかりは、年相応の娘の顔だった。

 そのことで、山本長官は少し安心する。

 だが、その一方で彼は目の前の三人娘に自身がどう見られているのか最後まで気づかなかった。

 令和の女子大生からみて、妻がありながら愛人を囲うようなおっさんがどう思われるのか。


 「すけべオヤジ」

 「人間のクズ」

 「ペロハチに食われて死んでしまえ」


 彼女たちの本心を、心の声を聴かずに済んだのは山本長官にとって僥倖だった。

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