第19話 墓地の丘へ呼び出され
天使の寝顔のフュリスは腕にぴっちぃを抱いたまま、吸う息吐く息がひとつひとつ、まだ新鮮な命と清らかな魂のリズムを刻んでいる。柔らかいフュリスの身体の、生命力に満ちた呼吸を心地よく感じながら、自分も眠りかけようとしていたとき、ぴっちぃはふと、誰かに呼ばれているような気がして、窓の方へ振り向き、外の気配に意識を集中した。
フュリスが落っこちるといけないからと、隙間ができないようにぴったりとくっつけられた隣のベッドでは、ドーレマとデューンも深い寝息を立てている。
窓の外に、何羽かのネプチュン鳥たち。
そのうちの一羽と目が合ったぴっちぃは、起き上がり、軽く手を上げてみた。その子は頷くように頭を動かし、他のネプチュン鳥たちも、ぴっちぃにおいでおいでをするみたいにふんわりゆっくりと羽ばたく。
ぴっちぃはフュリスの腕からそろりと抜け出して彼女の額の髪を優しくひと撫でし、ベッドから降りて窓枠によじ登り、音を立てないように窓を少し開いてみた。
「ぴっちぃちゃんに会いたがっている人がいるの。一緒に来て」
ネプチュン鳥がひそひそチュンチュンささやく。
こんな夜中に誰だろうと考えてみても心当たりはないのだが、ぺんのおかげでネプチュン鳥語を聴き取れるようになっちゃってるから仕方がない。無視するわけにもいかないので、ぴっちぃはかれらについて行くことにした。
半透明のネプチュン鳥たちが星明かりを受けてふわふわと飛ぶさまは、桜の花びらが発光しながら舞っているみたいで、幻想的で、儚い感じもする。
「きみたちは夜行性のネプチュン鳥さんなの?」
トコトコついて行きながらぴっちぃは尋ねる。
「そういうわけでもないけど、鳥目ってわけでもないよ。もともと大雑把に創られてるから」
そうだね。半透明だし、適当な感じはする。でもネプチュン鳥さんたちはみんな優しい。
向かうところは墓地の丘だった。幾柱かの鬼火が迎えに来て、ぴっちぃとネプチュン鳥たちを先導してくれた。
鬼火ちゃんたちはアルチュンドリャたちの墓の前で止まり、墓石を取り囲んでゆらりゆらり
「アルチュンドリャさんですか? ぼくを呼んだのは」
「フォーチュンもだよ、ぴっちぃちゃん」
「フォーチュンドリャさん?」
ぴっちぃの目の前にアルチュンドリャとフォーチュンドリャの姿が浮かび上がった。
ぴっちぃは生前のアルチュンドリャと話をしたことがあるが、フォーチュンドリャのほうは、あのときすでに危篤だったから、目を開けているところを見たこともないし、声を聞いたこともない。
でも、ロージーの傷心旅行に同行してマーズタコの第四大を訪ねたとき、フォーチュンドリャの親友だったテク野さんの研究室で写真を見せてもらったことがある。いまぴっちぃの前にいるフォーチュンドリャは、あの写真と同じように優しい目でぴっちぃに微笑みかけている。ふたりを並べて見てみると、なるほど兄弟だなと思う。アルチュンドリャは、実際に会ったときは、もっと険しい表情をしていたように思うけれど、フォーチュンドリャと寄り添ういまの姿は、あのときよりずっと穏やかな感じだ。
「もう30年以上も昔のことですね、ぼくたちがフォーチュンドリャさんのご臨終に立ち会ったのは。そのお姿は幽霊なんですか? お若いままなんですね」
「命のない者に姿はないんだよ。ここでぴっちぃちゃんが見ているのは、ぴっちぃちゃんの心の中にあるイメージだ。ぼくたちの魂とネプチュン様の霊的パワーが像を投影している」
「どうりでイメージ通りのお姿だと思った。あのとき、ぼくたちはお葬式でフォーチュンドリャさんをお見送りして、そのあと、アルチュンドリャさんはポセドン先生に付き添われて警察に出頭されました。警察のほうも、司法のほうも、すでにアルチュンドリャさんを罪に問う必要もないのではないかと考えてたんです。それなのに起訴されて、有罪判決を受けていたと聞いて、なんだかやるせない気持ちになりました」
「バラ中の禍いを終息させるにはそれが手っ取り早い方法だったんだよ。さすがに服役して間もなく死ぬとは自分でも予想していなかったけど、社会にとっては良い見せしめになった」
「アルチュンドリャさんもそんなに早くに亡くなっていたと知って悲しいです」
しんみりして黙り込んでしまったぴっちぃの魂をそっと撫でるような間をとり、フォーチュンドリャも語る。
「兄さんとあんな形で、この世(注:あの世のこと)で再会するなんて、ぼくも思ってなかったよ。兄さんが家出してから、ずっと会いたいと願いながらもぼくは自分なりに人生を歩んだけれど、どこかで『そのうち会える』と思っていて、強引に会社へ押しかけることもしなかった。『そのうち』というのは『永遠にない』ということなんだね。生きている間には会えなかった・・・」
声もイメージなのだろうか? ふたりの声と話し方は似ていて、フォーチュンドリャのほうはどこか繊細で、デューンとも少し似ている。
「ぴっちぃちゃん、テッラから遠い旅だったろう? あのとき、ぴっちぃちゃんたちが呼びに来てくれたおかげで、ぼくはフォーチュンを抱き締めることができた」
そのときのことを、ぴっちぃはよく覚えている。
ぺんとネプチュン鳥のヒナちゃんが、ネプチュン鳥のおばさんたちの立ち話を耳にして、フォーチュンドリャが危篤であることを知った。
〈家族が来ても絶対に取り次ぐな〉という社長命令を、受付のおねえさんはとても素直に守っていた。だったら受付を通らなければいい、ってことで、空飛ぶもーにちゃんがぴっちぃたちを乗せ、ぴっちぃ、ぺん、かっぱっぱの三匹が二階の社長室の窓からおじゃました。
「アルチュンドリャさんは、何か書きものをしながらビイル薔薇精油のソーダ割りを飲んでおられましたね。そして、ぼくたちがフォーチュンドリャさんのことを伝えると、酔いが一気に醒めたご様子でした。でも、もっと早くに情報を得ていれば、もしかしたらフォーチュンドリャさんの意識のあるうちに会えたかもしれないな、ともずっと思っていました」
「『そのうち、というのは永遠にない、ということ』ってのはぼくもそのとおりだと思う。あれは、ネプチュン様から許されたギリギリのタイミングだったんだろう。ぼくはフォーチュンの体温があるうちに抱き締めることができたんだよ。ありがとう、ぴっちぃちゃん」
あのときの兄弟のお別れを思い出すと、ぴっちぃの虚体の目にもまた涙が溢れてくる。
当時のアルチュンドリャとフォーチュンドリャ、ご両親、ロージー、それぞれの悲しい記憶がぐるぐるとぴっちぃの虚体を包む。
それを振り
「そうそう、アルチュンドリャさん、お子さんがいたんですね」
あっ、と思った。子どもがいることを知らないまま、アルチュンドリャは死んだのだった。切なさをもう一盛りしてしまった。ごめんなさい。
そんなぴっちぃの胸の内をアルチュンドリャはたちまち察し、ぴっちぃの頭をなでなでする。
「大丈夫だよ、ぴっちぃちゃん。生きてる間は知らなかったけど、死ぬ直前、レイヤの夢の中で教えてもらったよ。グリンたちの幸せを神様に祈る時間もほんの少し与えられた。それに、ぼくが死んで間もなく、レイヤがグリンを連れてネプチュン鳥島へやってきて、この墓で慰霊の
「フォーチュンドリャさんにもお子さんがいるのですね。この世のものではないけど」
アナザフェイトn番ちゃんだ。フォーチュンドリャと元カノ、ロージーとの間に生まれた、いや、生まれたんじゃなくて、可能性として成った〈生きられなかったもうひとつの運命〉アナザフェイトちゃん。マーズタコ湖でロージーとぬいぐるみたちの前に顕われてきて、ロージーを元気づけてくれた。
「ロージーは昔からよくお墓参りに来てくれるから、n番ちゃんのことも知ってるよ」
と、フォーチュンドリャ。
「グリンちゃんにグラナテスの種を託したのもそのn番ちゃんだ。ぴっちぃちゃんもデューンくんから聞いているだろう? 理屈っぽいおしゃべりな奴らしいね」
フォーチュンドリャは優しいお父さんのように微笑み、でもどこか淋しそうで、ぴっちぃの胸がまたチクリと痛む。我が子といっても命ある実体じゃないんだ。愛していたロージーと結婚もすることなくフォーチュンドリャは死んだ。そしてフォーチュンドリャの後輩とロージーは結婚して、バーラちゃんを生んだのだ。だからロージーの現実の子どもはバーラちゃんだけだ。
幽霊のフォーチュンドリャの優しい目は、ただ優しいだけじゃなくて、そんな切なさも早逝した我が身の不幸も黙って堪えてきた影を宿し、深くて儚くて美しくて哀しい。
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