第9話 デューン&ぴっちぃ…本業
いよいよデューンのミッション開始だ。アルチュンドリャとナオスガヤさんが昔、村営のビイル薔薇精油製造所を引き継いで大きくした会社。伝統の
すでに第一線を退いているナオスガヤさんもデューンの研究室訪問に同行し、ドーレマも招かれた。
ミーティングルームの一隅に、子どもが遊べるようなスペースが設けられていた。別棟に社内保育所があるのだが、いきなりそこへフュリスを放り込むのもストレスがかかるかもしれないからと、研究所スタッフが心を配り
外のビイル薔薇畑と地続きのサンルームになっているそのスペースには、天井近くの小窓からネプチュン鳥たちが自由に出入りする。大人たちの目の届くところでフュリスを遊ばせ、ぴっちぃがお
研究所スタッフたちはぴっちぃを知っている。およそ30年まえ、ネプチュン鳥と出会った縁で、ぴっちぃ、かっぱっぱ、ぺん、三体のぬいぐるみたちがこの島を訪れ、しばらく滞在した。当時の村長ポセドンさんやアロマ課長のフレグリャさんをはじめ、村役場の職員たちがみんな、ぬいぐるみたちと仲良くなった。村役場が推進していたバラ中撲滅キャンペーン用ポスターには、ベビー毛布のもーにちゃんとぬいぐるみたちの写真と、ぴっちぃが書いたキャッチコピー。かれらはこの島では伝説のアイドルとかヒーローとかのように語り継がれているのだ。
そのぴっちぃの実物がデューンたちと一緒にやってきた。今回はメインのお客様の子どものシッターとしてだけれど、スタッフたちはみんな、ぴっちぃの来訪を心から喜んだ。
〈あとでサインをもらおう!〉
デューンにとっては、12年前にいちど、アルチュンドリャの遺したノートについて話を聞くためにグリンと共に訪れた研究室。あの時自分たちは、まだアルチュンドリャを直接知っているスタッフの皆さんからとても親切にしてもらった。この島の人たちの素朴な優しさはいまも変わっていない。当時の研究室長ケミフォミュラさんも役職を後進に譲り、現研究室長はリナロルさん。
デューンのいるラボで開発中の〈尊厳死カプセル〉は、対外的にはまだ知られていないが、ネプチュン鳥島との共同研究の許可を第五大へ申請し、認められた。物理的にはほぼ完成している。問題はヒトの精神に作用する薬物ミスト製造だ。
ヒントはすでに12年前にデューンがみつけた。アルチュンドリャが書き残した化学式の中から、鍵となりそうないくつかの構造を読み取り、書き写した。それらの化学式を体系的に検討しはじめたのは、大学院へ進んで薬物ミスト開発チームを組織してからだ。
研究を進めていくにつれて、いくつかの謎の化学式が出現してきた。謎はまるで導かれた必然のように立ち現れてきて、解いて埋めるべきパズルの範囲がひと回り拡がってしまった。しかし、永遠に解けない謎ではなさそうだった。
あのとき、グリンがアナザフェイトちゃんから託されたグラナテスの種を蒔き、ビイル薔薇と交配して新種の植物カルブンが誕生した。グラナテスは、あの世でもこの世でもない、〈生きられなかったもうひとつの運命〉アナザフェイトたちが沈んでいるマーズタコ湖底から持ち込まれた。太古からの強靭な自然、天然ビイル薔薇の堅固な構造に風穴を穿ったのが、この、中間世界からの種子だ。
グラナテスとカルブンの成分は、ナオスガヤさんやケミフォミュラさん、リナロルさんたちが分析し、情報をデューンへ送ってくれていた。デューンたちにとって、それはまるで、ジグソーパズルの広範囲に欠けた断片が一つ、また一つと埋められていくような重要な情報だったのだ。
実のところデューンは心のどこかで、尊厳死カプセルが永遠に、少なくとも自分の代では、完成しなければいい、と願ってもいた。ラボを創設した父親のグル・クリュソワも、同じように考えているのではないか、と思うときがある。なにも〈至福感に包まれて〉死ななくても、個々の人間が死を経験するのは一回きりなのだから、仮にどん底の不幸を味わいながらでも一回だけ我慢すればよいのだ。
全学の知恵を集めて詭弁を弄し、尊厳死カプセルの実現が原理的に不可能であると証明してみせる、というテもある。しかしそれがこの重い責務からの逃避だということもわかっている。
プロジェクト内には〈誰によってどう使われるか〉を監視する仕組み作りを担当するチームもあるが、デューンたちは装置の設計現場という中核にいる。最初に求められた使い途はとても素朴なものだったのに、開発が進むにつれて各方面からいろんな意味がくっついてきた。ひとの生き死にのありかたを変えてしまうかもしれない責任の重圧に心が圧し潰されそうになるのを、ギリギリのところで踏ん張ってこらえているのも事実だ。
ネプチュン鳥島の会社との共同研究の許可が下りたことで、プロジェクトはさらに前進・・・どころではない。ビイル薔薇研究のプロフェッショナル集団が参入してくることは、大きな飛躍なのだ。だから、やはり進めていかなくてはならない。第五大が結界を張るようにしてジュピタン政府や経済界から距離を置き、研究を守ってくれていることが、まだ救いだった。
数日間デューンは会社の研究室へ通い、これまでの分析結果を整理し、今後の作業方法を詰めていった。第五大の側では、ビイル薔薇精油を専門とするこの会社から研究員をジュピタンへ招聘する準備がすでに整っている。資料をやりとりするなかで、会社側は、ケーメくんという若いスタッフを第五大へ派遣することに決めていた。ケーメくんはマキュリ地方のソーラーシステム第一大学を卒業して故郷ネプチュン鳥島にUターン就職した化学者だ。
かつてナオスガヤさんとアルチュンドリャが、バラ中禍を克服するためにジュピタンの錬金術師グル・クリュソワを訪ねた。グル・クリュソワの息子デューンは、アルチュンドリャが遺した記録からたどり、ジュピタンでの研究を進め、精鋭スタッフをネプチュン鳥島から迎え入れる。二世代にわたる縁と望みとを、未来のために大切に繋いでいかなくてはならない。
デューンとケーメくんとスタッフたちが綿密な打ち合わせを行ない、願わくば希望へ向かう道であれと祈りながら段取りを整える。
デューンたちの仕事中、ドーレマは社屋を案内されて見学した。ロビーにはジュピタン織の繊維でこしらえたソーラーシステム3D曼荼羅が大切に祀られている。グリンとデューンが、お世話になったナオスガヤさんたちへお礼の気持ちとして贈ったものだ。会社と従業員、関係者の皆さんの安寧を祈ってグリンがかけた
二日目からフュリスとぴっちぃは、社内保育所で過ごしている。ここに預けられている子どもたちは人数も多くない。ふたりが入ってきても互いにストレスにはならない様子だった。
ネプチュン鳥島の人たちはみな、とても優しくて平和な感じがする。そして子どもたちはといえば、まるでネプチュン鳥のヒナ鳥が人間に化身した精のように、ふわふわと穏やかなのだ。フュリスはまだ二歳にもなっていないけれど、個性がはっきりしてきている。のんびり型の子だ。ネプチュン鳥島の子どもたちとフュリスはすぐに仲良しになり、保育士さんとぴっちぃに見守られながらのんびり遊んでいる。ぴっちぃは、フュリスと出会い、ネプチュン鳥島の子どもたちとこんなふうに遊び、久しぶりにぬいぐるみらしい仕事ができて嬉しかった。
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