後編
「それで、話って何?」
飯島さんが不機嫌そうに言った。これでも付き合いは長いから、これが飯島さんのデフォルトであることを僕は知っている。巷では『女帝』なんて呼ばれていたりする。とは言っても、呼び出しに応じて空き教室に来てくれるのだから本当は良いやつなのだ。僕の知る限りだけど。
僕は気持ちを落ち着けるために大きく息を吸った。
「げぉ、ごほっ」
盛大にむせてしまった。飯島さんが噴き出す。
「大丈夫?」
若干引き気味なのは気のせいだろうか。
ともかく、思いを伝えなければ。ああ、体がムズムズしておかしくなりそうだ。
その時、耳の裏に隠しておいたイヤホンからアミコの声が聞こえた。
「心拍数が上昇しています。落ち着きましょう。僕の彼女になって欲しい、と言ってください」
アミコよ、本当に助かる。ありがとう。
「僕の彼女になって欲しい」
言ってしまった。飯島さんを直視できない。
ちらっと飯島さんに目を向けた。困惑した表情で左耳を触っている。
「なんで? 私のこと好きだったの?」
飯島さんが眉をひそめた。
なんでって、それより「私のこと好きなの」って自分で言うのかよ、と思ったけど口には出さない。
「え、うん」
結局言葉になったのはこれだけだった。
「いや、いきなり過ぎない? 別に私たち、たまに喋るくらいの仲じゃん。まあ、付き合い自体は長いかもしれないけど」
「ま、そうかもしれないけど……。無理な感じ?」
「さすがに、もうちょっと段階を踏んでからじゃないと、そういうの分からなくない?」
あれ、話が違うぞ。付き合える確率99.9%だったはずなんだけど。
全身から冷や汗が出てくるのを感じる。
またアミコの声が聞こえた。
「問題ありません。あなたと飯島若葉は相性抜群です。その事実を伝えましょう」
よし、大丈夫だ。
「でも、僕のアミコで計算したら、僕と飯島さんの相性は結構いい感じだったよ」
すると飯島さんは「ちょっとごめんね」と言い、顔を伏せた。飯島さんのメガネが不透過になる。
会話中に端末を起動するときは相手に、一言断りを入れるのがマナーというものだ。ちなみに不透過になるのは覗き防止のためだ。以前は網膜に直接映像を投影するのが主流だったが、健康被害が出て以来は間接投影式が主流になっている。まあ、失礼ながら僕はこっそり起動しているんだけど、バレないならOKなはず。
しばらくして飯島さんは顔を上げると、ゆっくりと口を広げた。
「私ので計算したら、全然そんなことないんだけど」
「え、そんなはずは……」
「私、アミコじゃなくてシェンシェンのシステム使ってるから違うんだと思う」
シェンシェンと言えばアミコとシェアを分け合う汎用AIサービスだ。ちなみに中国製だ。
AIの種類によって数値が違ってしまうということか、などと考えていると飯島さんがさらに続けた。
「もしかして、中村ってアミコの男性デフォルト設定で使ってる?」
「うん」
「あー」
飯島さんが頭を抱えた。
何かマズいことでも言っただろうか、と思うも心当たりはない。
飯島さんがため息を吐いた。
「いや、あのさ、アミコの男性設定は恋愛相談に使っちゃだめだよ」
「え、そうなの!?」
知らないぞ、そんなこと。
「常識でしょ。アミコの男性設定は男性的なバイアスが入るから変なアドバイスしてくんの。もし、アミコに聞くなら、それ用のデータパッチ入れないと」
「え……」
数十年前ならまだしも、最新パーソナルAIであるアミコが間違っていただと。自分より自分のことを知ってるはずだろ。いや、でも、飯島さんのことは、分からないのか……。
「ていうか何? アミコが付き合えるって言ったから私に告白してきたわけ?」
「うっ」
「もしかして、耳に何かつけてる?」
「うっ」
飯島さんの言葉が僕の心臓を貫く。全てを無かったことにしたい。
飯島さんがため息をついた。
「私もAIに恋愛相談とかするから、AIが言ったから告白してきたっていうのは、まあ、いいとして。普通『休みの日にどこか行こう』くらいから始めるもんでしょ? いきなり告白は無い。まあ、ある意味面白かったけど」
飯島さんの言う通りなのかもしれないが、そもそも義務教育に恋愛の方法は含まれていないのだから、知るわけがない。
「その、ごめん」
僕は謝ることしかできなかった。
「謝らなくてもいいよ。私のこと好きって言ってくれるだけ嬉しいし。最近は皆、生身の人間以外と恋愛してるからねー」
飯島さんは、軽く笑いながら言った。
「うん、そうだね」
沈黙が流れる。
空き教室の中で向かい合ったままお互いに微動だにしない。
僕は今、何をするべきなのだろうか。全く考えが浮かばない。
壁に掛けられたクォーツ時計に目をやる。針が止まって見えた。
「じゃあ、私、帰っていい?」
飯島さんが遠慮気味に言った。
「うん、いいよ」
という言葉がとっさに口から出た。正直、行って欲しくはなかったのだけれど。
そんな思いとは裏腹に飯島さんは空き教室を後にした。
明日には学校中で噂になってるかな、なんてことを考えているうちに気づけば自宅の自分の部屋に戻っていた。
「ヘイ、アミコ」
待機状態にしていたアミコを呼び出す。
「はい」
いつも通りの返事だ。
「付き合えなかったんだけど」
「はい、会話の内容から察するに失敗したようですね」
「99.9%成功するって言ってたじゃん」
「計算結果を更新したところ、飯島若葉と付き合える確率は3%となっています」
後出しじゃんけんはズルいだろ。アミコが恋愛相談に向いていなかったとは。
そういえば飯島さんが恋愛用のデータパッチ入れないとダメって言ってたことを思い出した。とりあえず入れてみるか。
「アミコ、恋愛用のデータパッチをインストールして」
端末上に膨大な数のパッチが並べられた。
値段は様々だが一番評価が高そうな、詰め合わせパッチをインストールした。
端末が再起動する。
「ヘイ、アミコ。インストールできた?」
「はい、恋愛用パッチのインストールが完了しました」
「なんで告白失敗したのかな?」
僕はアミコに尋ねた。
「成功する要素が無かったからです」
「え?」
いきなりストレートパンチを食らった気分だ。性格変わりすぎじゃないのか。同じアミコか疑いたくなるレベルだ。
「そこまで親しくない女性に対して、いきなり告白するのは最悪の方法でしょう。さらにあなたの顔面偏差値は上位50%程度、成績も悪い。運動部にも所属しておらず、クラスでは影の薄い存在です」
淡々と言われると腹が立ってきた。でも、完全に否定できないのがつらいところだ。
「でも、優しい男がモテるってどこかで聞いたよ! 僕、これでも結構優しい方だと思うんだけど」
「はい、モテる男性の特徴としては優しさが上位に入ることは間違いありません。が、女性の言う『優しい人が好き』は『かっこよくて、面白くて、高収入で、身長が高くて、オシャレで、優しい人が好き』です」
「そんな男いるわけねーじゃねーか! そんな男、少女漫画にしかいねーぞ!」
思わず大声で怒鳴ってしまった。
「はい、そのような条件を満たす男性は全人口の0.001%以下になります。この傾向は2030年代から顕著になり、恋愛用AIの登場時期と重なります」
「でも、飯島さんはそんなタイプじゃないような気がするけどな」
「はい、利用可能なデータからはそのような傾向は見られません」
「じゃあ、なんで!?」
「つまるところ、女性は恋愛において、一緒にいて楽しいかを最も重視しています。あなたは一日平均10秒しか飯島若葉と会話していません。飯島若葉にとってあなたはほぼ他人と同義です」
心がえぐられていく。これAIじゃなかったらいじめだぞ。
「でも、相性がいいって言ったのはアミコだろ!」
「以前のデータとアルゴリズムではそのような結果が出ました」
これがいわゆるブラックボックスというやつか。その結果を導き出した過程が重要なんだろ。
ともあれ、現実はかなり厳しいものだということが分かった。さあ、問題はこれからどうするかだ。
「アミコ、これから僕はどうしたらいいのかな?」
「彼女が欲しいのですか?」
「僕、彼女欲しいの?」
「そう思われます」
「うん、じゃあ、彼女欲しい」
「でしたら、飯島若葉へのアプローチ方法を提示します」
「それでそれで」
「まず、これから一週間は毎日挨拶することから始めましょう」
「え、挨拶って、付き合うまでに何日かかるの?」
「最短で1年後になります」
まじかよ。1年か。付き合うまでに1年は長すぎる。いや、それが普通なのかもしれない。
ていうか、そもそも何で彼女欲しいんだっけ。
「アミコ、もうちょっと短くならないの?」
「不可能です」
アミコは譲らない。
「うーん、別に、1年かけて付き合いたいって程でもないんだけど」
「そのようですね」
「どうにかならないの?」
するとアミコは端末上にとあるデータパッチを投影した。
とある恋愛用データパッチのようだ。
「これ何?」
「このデータパッチを導入することでAIとの恋愛を体験することができます。利用可能データから飯島若葉の人格を再構成し、飯島若葉の模擬人格と恋愛することが可能です」
「いや、僕は人間の女の子と恋愛したいんだけど」
「人間の恋愛と遜色ないレベルの体験が可能です。このパッチを導入すれば今から恋愛を始めることができます」
「でも、高いんでしょ?」
「いえ、恋愛時のバイタルデータを提供することで無料で利用可能です」
腕を組んで色々と考える。
人間の女の子と付き合いたいけど、面倒だしなー。
「じゃあ、試しにやってみようかな」
「了解しました」
端末が再起動する。少し時間がかかった。
「インストールが完了しました。利用可能データから飯島若葉の人格を再現しますか?」
「それなんだけどさ、飯島さん以外も再現できるの?」
「はい、可能ですし、あなたの好みの女性の人格を生成することもできます」
「じゃあ、それで」
しばらく待っていると、メガネ型端末越しに可愛らしい女の子の3D映像が投影された。
3D映像であることを忘れそうになるほどに目が釘付けになる。
柔らかくなびく髪、少し華奢な体躯に上目遣い。好みどストライクだ。僕の理想がそこにあった。
「中村先輩、いや、雄馬先輩って呼んじゃいますね」
彼女は僕に向かってにっこりと微笑みかけた。
その仕草一つ一つから目が離せない。それに、なんだか心臓がバクバクしてきた。
「ヘイ、アミコ。今、僕ってどんな気持ちなの?」
そうして僕は恋愛AIと恋愛を始めることになった。どんな感じかって? 控えめに言って最高かな。可愛いし、楽しいし。現実の女の子の比じゃないね。まあ、そもそも僕は現実の女の子とあまり関わったことがないから比べるも何もないかもしれないけど。
おっと、もうすぐヴァーチャルデートの時間だ。まだ始めていないなら君も始めた方がいい。人生が豊かになること間違いなしだよ。
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