家族


 こうすることは初めから決めていた。


 山田……いや、ヤジャ先生も知らなかった、一万年前のユーセとエルの記憶。

 それをどうにかして父さんに伝えることはできないかと。


 エールがどうしてユーセの元に来て、どうして愛し合うことになったのか。

 エールが本当に望んでいた願いはなんだったのか。


 命を賭けた戦いの中でそれを伝えきることは、どんなに言葉を尽くしても不可能だ。


 だが、ヤジャ先生ならそれができる。

 あのとき伝えられなかった全てを、父さんに伝えることができる。


「ぐ……これ、は……!」

「私の〝聖書バイブル〟は……記述を改ざんすることも、虚偽を書き記すこともできない……。偉大なる我が君よ……。どうか……貴方の〝愛した二人〟の真実を受け取って下さい……!」

「父さん……っ!」


 俺めがけて振り下ろされていた極大の殺意が消える。

 ヤジャ先生の聖書から溢れた光に包まれた父さんが、こことは違うどこかを見るようにして立ち尽くす。


四ノ原しのはらは離れてろっ! 頼む、サダヨさん!」

「は、はいっ!」

「よくやったね連理れんり……! さあ……後は神のみぞ知るってやつだよ……ッ!」


 俺はすぐさま四ノ原をサダヨさんに任せると、立っているのもやっとの体をひきずって前に進んだ。俺の大切な、父さんの前に。


 そしてそのまま弛緩した父さんの手に触れ……包むようにして握りしめた。


 この賭けが成功する保証はない。

 俺たちの事情を知った父さんが、それまでよりも俺たちへの憎悪を募らせる可能性だってある。


 でも……それでも俺は、父さんに全てを知って欲しかった。

 

 俺にとって、父さんは唯一無二の存在だった。

 それはユーセのときも、悠生ゆうせいとしての俺にとっても変わらない。


 好きだとか、大切という言葉では表せない。

 どんなときも、俺の心のどこかに父さんはいた。


 尊敬や好意、怒りや憎悪。そして恐怖……。


 その時々で父さんから与えられる感情は違ったが、父さんがいなければ、今の俺は絶対に存在していなかった。


 そんな父さんとすれ違ったまま。

 互いに本当のことを知らないままで終わるのは嫌だった。


「父さん……本当に、ごめん……っ」


 父さんの大きな手を握り、俺は思わず涙を零した。


 もしこれで父さんに殺されても、さらなる憎悪を向けられたとしても。

 そのときはもう悔いはない……そう思っていた。だが――――。


「ううん……大丈夫。そのときは……私も一緒です。悠生……」

永久とわ……っ」


 そう思った俺の手に、永久の暖かな手が重なる。


「ふふ……なにを隠そう、私は悠生の立派な妻なのでっ。だから悠生のお父さんだって、もうとっくに私の大切な家族です……。ね……悠生」

「ああ……そうだな。永久の言う通りだ……っ」


 永久は驚く俺の胸元に頬をすり寄せると、一緒に父さんの手を握ってくれた。


 本当は、あのときもこうしたかった。

 彼女が俺の大好きな人なんだって。

 父さんにも、母さんにも……エルを紹介したかった。


 でもできなかった。


 俺は父さんになにも伝えられず。

 母さんにエルを見せることもできなかった。

 

 けどその夢だって、たった今こうして叶っちまったんだ。


 だから父さん。 

 俺はもう、父さんに何も望まない。


 俺を殺そうとしたっていい。

 俺を憎んで気が済むのなら、そうしてくれていい。


 だからどうか……父さんの心に安らぎを……。

 

 俺はそう祈り、父さんの手を握り続けた。


 だが――――。


「う……! アアアアアアアアアアアアアア――――ッッ!」

「……っ!?」

「我が君……っ!」

「きゃああっ!?」


 だがそのとき。

 父さんの体から凄まじい力が溢れ、握っていた俺と永久の手をふりほどく。

 背後から構えていたヤジャ先生も同じように弾かれて、聖書の光が消える。


「ふざけるな……ッ! ふざ、けるなぁあああああああァァァッッ! 今さらこんなものを見せてどうなる……!? たとえどのような理由があろうと……お前たちの行いが俺の全てを滅ぼしたことに変わりはないッッ!」


 眩いほどの〝純銀〟の光。

 それはさっきまで俺を追い詰めていた力とは、比べものにならない程の力だった。


 ヤジャ先生は咄嗟に聖書を再展開しようとするが、父さんはそれを目も向けずに両断。ヤジャ先生の聖書がバラバラに砕ける。


「父さんっ! やめろ……! もうやめてくれっ!」

「私たちが憎いなら……許せないのなら、何度だってあなたの刃を受けます……! でも、そんなことをしてもあなたの願いは……っ!」

「もうなにもかもが遅いのだ……ッ! 俺はもう止まれぬ……! 俺が一体どれだけの命を奪い、なんの罪もない者の幸せと願いを踏みにじってきたと思う……ッッ!? 何度この手で、愛した我が子の魂が宿る幼子を手にかけたと思う……ッ!? もはや、この俺の行いを止める術はエール以外にはない……ッ!」


 父さんの姿が荒れ狂う刃の向こうに消える。

 そしてその刃は今度こそ、あのときと同じように寄り添う俺と永久めがけて襲いかかる。


 駄目なのか……?

 やはり俺たちじゃ、父さんの心を救うことはできないのか?


 眼前に迫る死。

 俺の体がこわばり、せめて永久だけでも守ろうと拳が動く。


 だけど――――。


「悠生……」

「永久……」


 拳を握ろうとした俺の手を、永久は静かに制した。

 目の前の空間が千切れ飛び、なにもかもが終わろうとしたそのとき。


 それでも永久は、どこまでも透き通った瞳を俺に向けていた。


 吸い込まれるような永久の青い瞳。

 そしてそれを見た俺は、永久の伝えたいことがはっきりと理解できた。


「消え去れ……! 消え去れ、ユーセ――――ッ!」

「…………」


 だから……俺は拳を握るのをやめた。

 代わりに大好きな永久の手を握って。


 あのときと同じ、互いを抱きしめ合って父さんの刃を受け入れた。


 なぜなら。

 もう、その刃は――――。


「う……ああ……っ。ああああ……っ!」


 刃が消える。


 目の前まで迫っていた父さんの聖剣は、まるで俺たちを断ち切ることを拒むように、独りでに消滅した。


 荒れ狂っていた破壊が収まり、父さんの途切れ途切れの嗚咽だけが響く。


「なぜ、だ……っ! なぜ……俺は……! 俺は……ッ」


 ズタズタに切り裂かれた結晶の壁面。

 そこで父さんは両膝を突き、地面に顔を埋めて泣いていた――――。


 殺意はとうに消えていた。

 紫色に濁った父さんの力は、もうどこにも残っていなかった。


「父さん……」

「これからは……私たちも一緒です……」


 うずくまり、泣き続ける父さんの傍。

 俺と永久はそんな父さんの肩を抱いて、ただひたすらに寄り添い続けた――――。

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