第七話 悠生視点

楽園は遠く


「わぁ! お花がいっぱいさいてるー!」

「本当に……なんて美しいのでしょう……。このような楽園を、まさかあなたがお作りになっただなんて……」

「俺が作ったのではない。全てはエールの意思……人々の願いを叶え、俺たちが日々抱く願いの光を見ていたい……それこそが、偉大なるエールの願いなのだ」


 かつての俺……ユーセが両親に連れられて見た光景。

 それは、本当の楽園だった。


 どこまでも広がる青い空。そこに浮かぶ白い雲。

 色とりどりの花が一面に咲き誇り、穏やかな風がその合間を駆け抜けていく。


 暖かな日差しを遮る物はなく、目の前を飛ぶ鳥たちは警戒もせずに俺の肩に飛び乗ってきては、ゆっくりと羽を休めた――。


「だが……たしかにこの楽園を願ったのは俺だ。そして、一度はエヌアによって命を奪われた君に、もう一度会いたいと願ったのも……」

「アルト……」


 見渡す限りに広がる楽園の花園。

 親父はその中で、俺と母さんをその大きな両腕で優しく抱きしめた。


「この素晴らしい楽園を、お前たちに見せてやりたかった……。冷たい土の下で眠っていた、お前たちに……」

「ありがとうアルト……。私も……またあなたと会えて良かった……」

「ぼくもー! おとうさま、だーいすきっ!」

「俺はもう二度と、お前たちを放しはしない……! イーア……ユーセ……お前たちがいつまでも幸せであってくれることが、今の俺の願いだ……」


 ――――――

 ――――

 ――


「――――来たか、悠生ゆうせい。いや……大逆の蛇」

「親父……っ!」


 一瞬フラッシュバックした過去の光景が消える。


 あの楽園で感じた親父のぬくもりは冷めて、もう戻ってくることはない。

 かつての俺と永久とわが出会い、家族で暮らし……そして追放された楽園は、もうどこにもなかった。


 鈴太郎りんたろうたちに背中を任せ、どこまでも続く大穴を抜けた先。

 一気に開けた地下の空洞には、壁からいくつもの馬鹿でかい結晶が突き出し、そこに反射する青白い光がその空間を煌々と照らし出していた。


 そしてその空間の一番奥。

 そこには根とも木ともつかない、前に俺たちが倒した〝太極の根〟と、俺たちを待っていたらしいクソ親父が立っていた。だが――。


「その〝姿〟……どういうつもりだ……!?」

「都合良く〝俺の器〟の完成が間に合ったのでな。借り物だった以前とは違う」

「気をつけな、悠生……ッ! あの男の体……あれは〝永久と同じ〟だ……! 円卓が隠し持ってた、最後のエールの欠片を埋め込んで作られた……〝聖杯〟だよ……ッ!」

「永久と同じ……なるほど、ようやく人様の体を乗っ取るのは止めたってわけか!」


 そう、太極の根の前に立つ親父の姿は以前の〝少年の姿〟じゃなかった。


 長い金髪に引き締まった長身の肉体。やや褐色に近い肌に青い瞳……それはまさに、俺の記憶の中に残る一万年前の親父の姿そのものだ。


 しかもそれだけじゃない。


 すでに親父の周囲には深い戦闘の傷跡が残っていた。

 砕けた結晶、深くえぐれた地面。そして……全身をズタズタに切り裂かれて倒れる〝毒の王〟と、やはり同じように傷ついて倒れる渦の王……それに、あれは血の女王か……?


「ふん……まさか毒の王の正体が、かつて俺が倒した〝神の一体〟だったとはな。だが、すでに一度倒した相手……かつての俺ならばまだしも、殺意という願いの真実に到達した俺には及ばぬ」

「毒の王の正体が神…………? そういうことかよ……俺にも話が見えてきた……! なら、さっき俺たちが戦った獣の女王も……!」

「安心しろ……俺とお前の決着に無粋な横やりは不要。愚かな神はたった今俺が滅ぼした。ここからはお前の願いと俺の殺意……より強い方がエールを手に入れるのだ」


 瞬間。辺り一帯全てを震わせるほどの殺意が親父から放たれる。

 親父がただそうしただけで、周囲を覆う結晶体はひび割れ、砕ける。


「く……っ! これが親父の、本当の殺意……!」

「お願いですから、もう止めて下さい……っ! 今の私の中には、長い間ずっとあなたのことを見てきた私だっているんです……! でもその誰一人だって、あなたがこれ以上誰かを……ううん……〝あなた自身を傷つける〟ことを望んでいません……っ! もうあなたに自由になって欲しいって……〝私から解放されて欲しい〟って……そう願ってるんです……っ!」

「俺の自由だと……?」


 立っているのもやっとという、圧倒的殺意の渦。

 その殺意に押し潰されそうになりながらも、一歩前に出た永久は必死に親父に呼びかける。


 今の永久はエルでありエールだ。


 気の遠くなるような昔……かつての俺を好きだと言ってくれたエル。

 そしてそれから姿形も、何もかもが変わっても俺と出会い、愛してくれた永久。


 まだいくつか一つになっていないエールの力があるにせよ、永久の言葉はエールの意思そのものだ。今の親父に言葉が通じるとしたら、永久として俺たちと同じ存在になったエールの言葉だけだろう。しかし――。


「下らんな……。もはや、俺にとってそんなことはどうでもいい。所詮お前たち二人は、エールという存在の簒奪者に過ぎぬ。お前たちが俺にエールを返さぬというのなら……! かつて、お前たち二人を〝あの楽園〟から追放したときと同じように……殺して奪い取るまでだ……ッ!」

「そんな……っ! そんなことをしても、もう私は……っ!」

「駄目だ永久! もうやるしかない……!」


 拒絶。

 

 それが親父の返答だった。


 やはり、親父にとって人の心と体を手に入れたエールはエールじゃない。

 ユーセにそそのかされてその本質を見失った……堕落した神。

 今の親父には、エルも永久も……そういう存在に見えているんだろう。

 

「そして既に新たなる〝エールの器〟は用意した……悠生、お前がその女の内にエールを集めてくれたお陰だ」

「なんだと……!?」

「使徒共の残党もたまには俺の役に立つ。奴らが育んだこの巨大なる根……今よりこの存在を呼び覚まし、天上に浮かぶ〝紅き月を地上に降ろす〟――!」


 そう言うと、親父は背後にそびえ立つ太極に手をかざす。

 親父の手が紫色に輝き、俺の目でも目視できるほどのなんらかの力を注ぎ込む。


 だが、俺は親父が放ったその力に見覚えがあった。


 忘れもしない。

 俺と永久が初めて出会った戦場で、永久が俺に見せてくれた……命の力だ。


「この巨木は命を喰らい、願いを吸って成長する化け物だ。かつて俺が生み出した円卓の母も、この化け物に力を吸われたことで月に封じられてしまった――だが、それは俺すらも予想しなかった〝変化〟を、あの月にもらたらしていた」

「チッ……! ここまできて、まだ何かやろうってのか!?」

「二十年もの間円卓の母を封じ続け、〝エールの牢獄〟となっていた紅き月は、俺たちが生み出したどのような器よりも、エールの器として相応しい存在になっていたのだ! お前にわかるか? この素晴らしさが……!」


 親父が笑う。

 俺のどんな記憶の中にもないような、狂気に満ちた笑みを浮かべて。


「月と地上に分かれた太極の根……これを利用すれば、遙か彼方に浮かぶ月そのものをこの星に近づけることすら可能だ。その余波はこの星を大きく傷つけ、全ての生物を死に追いやるだろうが……。クク……ッ! エールさえあればいくらでもやり直せる……! そして今度こそ、俺の理想郷を作ることも容易い……!」

「なに、言ってやがる……ッ! この……クソ親父が……ッ!」

「ククク……ッ。後は俺自らお前たちを破壊すればそれで終わる。巨大な器と化した月に、俺が砕いたエールの力は全て呑み込まれ、今度こそ人の身を持たぬ、かつてのエールとしての姿を取り戻すのだ……!」

「…………」


 親父は、俺たちの目の前で狂ったように笑っていた。

 蠢く化け物の前で。仲間も敵も……まとめて倒れた戦場で。


 その親父の姿。

 それは今の俺にとって……あまりにも辛すぎた。


 親父の笑い声が遠ざかる。

 さっきまで右往左往していた俺の心が一気に静かになって、研ぎ澄まされていく。


 そうだ。

 そうだった。


 俺はこのために、沢山の仲間に助けられてここまできた。

 愛する永久と、最高のダチと一緒にここまできたんだ。


「わかったよ、親父……もう自分じゃ止められないっていうのなら……俺がアンタを止めてやる……!」

「止められると思うか? 死の瞬間まで震え、ただ逃げることしかできなかったお前が、この父を……ッ!」


 親父の放つ膨大な殺意が俺めがけて収束する。

 並の人間なら、それだけで即死するほどの強大な意思。


 荒れ狂う殺意の渦の中。


 俺は一度だけ永久とサダヨさんに向かって頷くと、親父に向かって〝一人で〟歩みを進めた。


「ほう……?」

「俺はもう逃げない。あのときアンタから逃げ出した自分から……エルを守ってやれなかった自分から、二度と目を逸らしたりしない……!」


 俺はそのまま左拳を突き出し、右足を引いて半身の構え。

 そして構えると同時、俺の拳に〝輝く太陽と放射状に広がる陽光。そしてその輝きを優しく抱きしめる女神〟の聖像イコンが浮かび上がる。


「いいだろう……ならば殺してやる。何度でも、この世界が尽き果てるまで!」

「受けて立つ――! アンタを縛る何もかも……この拳で打ち砕くッ!」

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