第三話 悠生視点

相応しき者


『では……単刀直入に申し上げます。我らが偉大なる父、創世主ロード・ジェネシスは貴方の妻である永久とわ様……そちらの〝聖杯〟の返却をご所望です』

「……っ。聖杯なんて……私……っ」

「ふざけるなよ……! それが通らねぇのはとっくに思い知っただろうが……ッ!」

『ほほ……貴方の仰るとおり、私もそう思うのですけどねぇ……もうご存じかと思いますが、今の彼はとうに正気を失っておりますので。困ったものです……』


 地下トレーニング場に突然現れた〝毒の王ロード・ポイズン〟は、クソ親父からの言葉をまるで他人事のように淡々と俺たちに伝えた。


 俺は永久を庇いつつ、油断なく眼前の優男を見据える。


 よく見れば、このクソ明るい部屋の中だってのに奴の体には〝影がなかった〟。

 どうやら、ここでやり合う気がないってのは本当っぽいな。


『では……聖杯を返して頂くことはできないということですね? たしかに創世主様にお伝えします』

「やけに物わかりがいいな? お前のことだ、また何か企んでやがるな?」

『いえいえ……先ほども言ったとおり、私はただの使者に過ぎません。我が主のお言葉を伝え、貴方の返答を持ち帰る。それだけのためにこうして影となり、ここまで参上しただけのこと……。ですが――――』


 毒の王は薄く貼り付けた笑みをぴくりとも崩さず、ひらひらとした服を口元に当て、俺と永久に値踏みするような視線を向ける。


『お気をつけなさい、拳の王ロード・フィスト……創世主は貴方が聖杯の返却を断ることも当然予想しています。その次に彼が打つ一手は、この大都市東京を無辜むこの民ごと火の海に変えるでしょう』

「なんだと……?」

『たとえ今すぐに貴方と奥様がこの地を離れたとしても同じ事。この都市は、すでにあまりにも多くの因果を集めすぎた。かつて貴方が〝六業会ろくごうかいの太陽〟を墜とした地……アマテラス。彼の地に眠る〝太極の根〟……創世主はあれを〝再利用〟するつもりです』

「親父があの化け物を……? いや待て……なんでお前がそれを俺たちに教える? 何が狙いだ?」


 突然のその言葉に、俺は最大限の警戒と疑心を込めて毒の王を射貫いた。

 

 こいつのことは俺たちもよく知っている。

 エリカに精神支配の毒を仕込んだことなんざ、こいつにとっては遊び以下だ。


 毒の王。こいつは円卓の暗部の象徴だ。


 表立って殺し屋の力を誇示する役目を担う他の王と違って、こいつは拷問や裏切り、無関係な奴らの虐殺……そういう謀略を一人でやってきた。

 そんなこいつが、〝東京の一般人を巻き込みたくない〟なんて理由で、親父の狙いを俺たちに教えるなんてことは絶対にありえない。


『ほほほ……いかに私とて、とうに〝常軌を逸した指導者〟と心中するのはご遠慮したいのです。それにね、私は思うのですよ……拳の王』

「…………」

『恐らく貴方は、この世で初めて真の意味で〝神の寵愛〟をその身に受けた人間です。神と人……互いの有り様を超えて深く想い合うその姿……とうに狂った王などよりも、貴方の方が余程この世の〝統治者〟に相応しいのでは……?』

「てめぇ……!」


 それはもしかしたら、死ぬほど憎んでいたはずのクソ親父を侮辱された怒りだったのかもしれない。


 無意識に叫び、俺は奥歯を噛みしめる。

 思った通り、こいつは最低最悪のクズ野郎だ。


 円卓に従いつつ、俺たちが円卓をぶっ潰した場合の保険をかけておこうって腹か。


『考えてもご覧なさい。円卓の母の寵愛を一身に受ける貴方は、〝神の力〟を自由に出来るのですよ……? 試しに、そちらにいる奥様に願ってみてはどうですか? 〝今すぐ円卓の父を殺してくれ〟と……そうすれば、東京が戦場になることも、貴方の大切な奥様が危険な目に遭うことも……』

「……黙れ。もういい、さっさと消え失せろ」


 怒りに煮えたぎる心を必死に抑える。

 怒気はともかく、表情はあくまで平静を保つ。


 俺の妻を……まるで便利な道具か何かのように言い放つ毒の王。

 だが俺は、それが〝こいつのやり方〟だということを知っている。


 こいつの真意は分からないが、俺が怒れば怒るほど。

 奴の言葉に興味を示せば示すほど、それは奴の毒に身を晒すことになる。


 元々、俺も山田も永久を狙う親父が見境なく攻撃してくることは分かっていた。俺たち以外の一般人を巻き込まないための対策もとってある。


 親父があの化け物を利用するっていうこいつの話も、全部ブラフかもしれない。

 こいつに何を言われようが、俺たちがやることは変わらない。


「悠生……」

「大丈夫だ……今さらこの程度で揺らぐかよ」


 隣に立つ永久が、俺の手にそっと小さな手を添える。

 その様子を見た毒の王は、ますます笑みを深くした。


『フフ……〝お見事〟。では……私はこれで失礼するとしましょう』

「二度と来るな。お前の顔は見たくねぇ」

『それは残念。ですが、すぐにまた会うことになります。そして、先ほど言った〝私の言葉〟……出来ればそう無碍にせず、一度じっくりと考えて頂きたいものですねぇ……』


 そう言って、毒の王の姿が薄れる。

 もしこいつが本物なら、この瞬間に一発叩き込んでたところだ。


『真に〝聖人〟足りうるのはあの男ではなく、その子であり、蛇と呼ばれ、女神の愛をその身に受けた貴方です、拳の王……。貴方が愛する者と永久とこしえにありたいと思うのなら、ただそう願うだけでいい……どうか、それをお忘れなく』


 もう真意も忠誠もクソもない。

 その音を俺の耳に入れることすら不快だと感じる言葉を残し、毒の王は消えた――――。

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