壊れていた心


「なぜだエール……なぜ俺の声に応えてくれない……!?」

「お父様……」


 天上神殿の祭壇の前。

 いつもと変わならい光を放つエール様の前で、お父様は僕が今まで見たことがないような、とても辛そうな顔で膝を突いていた。


 異変が起こったのは本当に数日前。


 今までお父様が伝えるどんな願いでも叶えてくれていたエール様が、突然お父様に応えなくなった。


 このことはまだ殆どの人が知らない。

 九人の王様も、他の偉い人も。


 多分、このことを知っているのは僕とお母様。そしてお父様が一番信頼している友だちのヤジャ先生だけ。


 どうして僕たちだけが知ってるのかっていうと……実はお父様に頼まれて、エール様に僕やお母様の声が届くか試してみたんだ。そうしたら……。


「あ……ありがとう、ございます。エール様……」

「な、なん……だと……?」


 僕の声も、お母さまの声も……ヤジャ先生の願いも、エール様は全部叶えてくれた。

 翼が傷ついて飛べなくなっていた鳥さんが、僕の願いを聞いたエール様の力で元気になって飛び立っていく。

 

 そうなんだ。

 エール様は、〝お父様の声だけ〟を聞かなくなってしまったんだ。


「え、エール……なぜだ……なぜ、俺だけを……」

「あなた……お気をたしかに、今は少しお休みになられては……」

「ッ! 黙れッ!」


 とても辛そうな様子のお父様の傍にお母さまが寄り添う。

 だけどお父様は、お母様を凄い勢いで払いのけて立ち上がると、僕も震えて何もできなくなるようなもの凄い顔で、どこかに行ってしまったんだ……。


「大丈夫、お母さまっ!?」

「ええ……心配してくれてありがとう。お父様は今とても傷ついていらっしゃいます……このような時こそ、私とあなたとでお父様を支えましょう」

「……はいっ!」


 お父様と同じくらい辛そうな表情のお母様。

 お母様の言葉に頷きながら、僕は今までよりももっとお父様のためになにかしなくちゃって、そう思った。だけど……。


『怖い……』

「エル?」


 お母様を支える僕の後ろ。

 僕以外には見えない、僕の大切なエル。


 僕がふとエルを見ると、エルは去って行ったお父様の方に視線を向けて、〝震えていた〟んだ――。


 ――――――

 ――――

 ――


「ユーセよ……俺がこの国の王であると同時に、古くから続く殺しの者……罪人を裁く一族の主であることは知っているな?」

「はい。お父様」


 お父様の声をエール様が聞かなくなってから更に一年が経った。

 表向きには、エール様への願いはお父様が聞き届けて、実際には僕とお母様がエール様に願いを祈るようにして事なきを得ていた。


 エール様に願う力をお父様が失っていることがおおやけになったら、きっとこの国は大混乱になっちゃう。

 僕とお母様はそれを防ぐため。それになにより、大好きなお父様の力になりたくて、一生懸命その務めを果たしていた。


「お前は本当に立派になった。体が弱く、殺しの者として争いを行うことは出来ずとも、お前は今日まで俺のために、国のために尽くしてくれた。故に、今日はお前に〝新たな役目〟を与えようと思う」

「新たな役目……?」

「そうだ。エールが望む強い願いを〝奉納〟する、偉大なる役目だ」


 お父様に連れられた僕がやってきた先。

 そこは、僕たちやエール様が住む天上神殿と地上とを結ぶ大きな塔。みんなからは〝ヴァーレル〟って呼ばれている塔の上層階。


 普段から天上神殿に住んでいる僕から見れば、逆に地下に潜っていくような感じで下ったその場所。そこには、信じられないような光景が広がっていたんだ……。


「な……なに、これ……?」

「よく見ておけ、間もなく最も強い願いがエールに捧げられる」


 紫色の篝火が四方に掲げられたその場所では、全身血だらけの男の人と女の人が激しく争っていた。


 男の人は沢山の砂粒を、女の人は、キラキラ光る鏡をいくつも自分の周りに浮かべている。


 よく見れば、その二人の周りには何十もの死体も転がっていて、どれも燃えたり、切り刻まれたりしてるみたいだった。


「た、助けてくれ……ッ! 死にたくない! 死にたくないッ!」

「死ね……ッ! 死ね、死ね、死ね、死ねッ! お前は私の夫と子を殺しただろうッ!? 殺してやる、殺してやる、殺してやるッッ!」

「ひっ!?」


 それは、あまりにも凄惨な光景だった。

 死にたくないって絶叫する男の人は、もう片腕も片足もなくなってて。


 その男の人に迫る女の人も、まるで悪魔のような顔で、片眼が潰れているのも構わず、その男の人を殺そうとしていた。


 状況を理解した僕は、思わずその光景から目を逸らそうとした。だけど――。


「目を逸らすな。よく見ろ、あれこそがエールが望む、人の持つ願いの中で〝最も強い願い〟だ」

「お、父様……っ?」

「あああああああああああッ! 死にたくない死にたくない死にたくない! 許してくれえええええええッ!」

「殺してやる殺してやる殺してやる! 殺してやるッ!」


「気にするな、奴らは二人とも敵国の捕虜だ。その中から才ある者を見出し、ヤジャを経由して殺しの力を与えてある」


 なに……?

 お父様は、何を言ってるの……!?


「互いに肉親や友、同胞を目の前で殺害させた。あの男も娘を殺されているからな、最初は鏡の女を殺してやると息巻いていたが……どうやら、今回はあの鏡の女の方が殺意が強かったようだな」

「家族や、友だちを殺させて、争わせて……? な、なんでそんなことを……!?」


 信じられなかった。

 さっきまで僕が見ていた、優しくて、強くて、僕がこの世界で一番尊敬する、大好きなお父様と同じ人とは思えなかった。


「俺は知っている……〝俺だけが〟知っている。エールが望む、人の持つ願い……その中でも最強の願いは、〝殺意と生存〟だ……! 憎悪に駆られ、自らに地獄を見せた他者を〝必ず殺す〟という殺意。そしてその殺意に晒され、死にたくないと願う生存欲求……! この二つこそ、人が持つあらゆる願いの中で最上かつ究極なのだ……ッ!」


「ギャアアアアアアアアアアアアア――――ッ!」

「っ!?」


 死んだ。

 僕の目の前で、無理矢理お父様に開かされた目の前で。


「ふむ……あの女、このまま殺すには惜しい才だ……。俺もここで何十万という死に様、殺し様を見てきたが、なかなかに見事な……」


 女の人に首を切られた男の人は、僕が見たこともないような量の血を噴き出して死んだ。


 僕はもう、お父様のその言葉をどこか遠い世界の事みたいに聞いていた。大好きなお父様が、エール様のために、こんなことをし続けていたなんて。


「俺もそうだった! 俺はエヌアを殺したいという殺意によって〝エールと結ばれ〟、殺意によって繋がった! 俺はあれから今日まで休まずこの儀式と奉納を続け、エールに〝新鮮で強い願いを与え続けてきた〟! エールが俺の声を聞かなくなった今……俺はこれから〝大陸中〟でこの儀式を執り行い、より多くの殺意と生存欲求をエールに捧げなくてはならない……!」

「おとう、さま……っ」

「ユーセ……俺の息子よ。俺はこれから戦火を広げ、より多くの才ある者を捕らえ、この手で殺意を磨き上げる。この天上神殿の統治はお前に任せる故、俺が留守の間、滞りなく奉納を続けよ……!」


 おかしい。

 おかしいよ。

 

 分からない。

 

 僕だって怒るときはある。

 だけど、僕は人を殺したいなんて思ったことは一度もなかった。


 猫さんも、鳥さんも、犬さんも。

 虫だって、お花だって……もちろん人間にだって。


 相手が嫌がるような、酷い事をしちゃいけませんって、ヤジャ先生もお母様も、お父様だってそう教えてくれていたんだ。


 お父様も言っていた、禁じられた三つの願い。


〝人を陥れること〟

〝人の不幸を願うこと〟

〝人の行いを自分の考えだけで裁くこと〟


 お父様のやってることは、たしかにこの三つのどれでもないのかもしれない。だけど、どう見たってこの人たちは不幸になってるし、辛い目に遭ってる。


 しかも、お父様はそれを今までずっと続けてきてたんだ。

 そんなの、絶対におかしい。


 ヤジャ先生から教えられて、僕が〝これをおかしい〟って思って、そのまま大きくなれたのはとても幸運で、恵まれたことだっていうのも知ってる。


 本当の世界は……僕が〝いつも空から見下ろしていた世界〟はとても辛くて、みんなが人を殺したり、奪ったり、陥れたりしてるんだって。


 だけど。


 だけど……僕がこんな風に思えるように〝大切に育ててくれた〟のは……僕が大好きな、本当に大好きな、お父様なのに……っ!


『ゆ、ユーセ……っ』

「エル……?」


 そして……僕がその凄惨な状況に思わず後ずさったとき。


 それまでずっと僕の後ろでその光景を見ていたエルが、ガタガタと小さく震えながら、僕の手を握ってきたんだ。


 エルが怯えてる。

 僕と同じように、肩を震わせて、目に涙を浮かべて怯えている。


 駄目だ。


 やっぱり、僕にはこんなこと……っ!


「い、やだ……」

「ん……?」

「ごめん、お父様……っ! 僕にはこのお役目は……!」


 意を決した僕は、ぼろぼろ涙を流しながらお父様に叫ぼうとした。

 だけど、その時――。


「なんだ……? お前の後ろにいる〝その娘〟は……?」


 お父様の虚ろな瞳には、はっきりと僕の後ろにいるエルの姿が映っていた――――。


 


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