鏡の女王
瞬間、俺は確かにぶち抜いた。
が……どうやら少しばかり遅かったらしい。
俺がその女の声に気付いてから、ビルの床を叩き割るのに秒とかからなかったはず。だが、確かに砕いたはずの分厚いコンクリの感触はすでになく、俺は奇妙な浮遊感と共に〝灰色の世界〟に放り込まれていた。
「やあやあ、改めて久しぶりだね
「久しぶりとか言う割には随分な挨拶だな? こっちはまだ〝名乗り〟もしてねぇってのに」
その灰色の世界の中。つい一瞬前までその場にはいなかったはずの女が俺の前に立っていた。
俺と肩を並べる程の長身と、肩で切り揃えられた髪。
どこぞのファッションショーからそのまま抜け出してきたような、均整の取れた完璧な美貌と肉体に、細いシルエットが浮かぶ馴染みのパンツスーツスタイル。
俺を見て敵意なく笑ってはいるが、その鋭い刃のような眼光は俺が最後にこいつを見た時と何も変わっちゃいない――――〝捕食者の眼〟だ。
「へぇ……まさかこの場で戦うつもりだったのかい? そう身構えなくても、私はただ君とゆっくり話したかっただけだよ。偶然とはいえ〝二年ぶりの再会〟なわけだからね」
「生憎と俺は忙しい。ここでお前に構ってる暇はねぇ……と言いたいが、どうやらお前が出向く程の理由を探らないといけなくなったな――――〝
「ただの観光……なんて言っても、どうせ信じてくれないんだろう? 私としても、君がどうしてこんな所に来たのかは興味があるんだけど……さて、どうしようかな……」
〝鏡の女王〟
俺がそう呼ぶと、目の前の女――――〝ユールシル・バルトレミー〟は肩をすくめて微妙な笑みを浮かべた。そういや、なんでかこいつはそう呼ばれるのが〝好きじゃなかった〟な。
俺は様子を伺うように、ユールシルから目線を外さないままゆっくりと横に歩みを進めた。
この女はその肩書き通り、〝鏡を操る〟。
この灰色の世界も、奴の能力で作られた鏡の中の世界だ。恐らく、ビルに入った瞬間に俺が割ったガラス……あれがこの世界の入口だったんだろう。
互いに殺し屋の〝名乗りを交わしていない〟以上、この世界も隙さえあれば今の俺でも壊せる。だが――――。
「んーー……〝決めたよ〟。せっかくだし、少しやろうか――――?」
「だと思ったぜ――――ッ!」
刹那。ユールシルの姿が目の前から消える。
だが、俺もこいつがそう来ることは分かっていた。
俺は左足を支えに、纏わり付くような大気に満ちた鏡の世界で右足を振り抜く。
突風を巻き起こしながら振り回した俺の蹴りは、同じく頭上から飛び込んでいたユールシルの矢のような蹴り足と激突。
火花を散らして交錯した俺と奴の蹴りが衝撃波を放つと同時、ユールシルは衝撃に逆らわず流れるように中空で縦回転、研ぎ澄まされた刀のような鋭利さで俺の〝アゴ先〟目掛けて反対の足を蹴り上げる。
「シッ――――!」
だがその蹴りが俺のアゴ先を捉えるよりも早く、俺もまたその場で即座に水平軌道の回転蹴りを繰り出す。下方から繰り出されたユールシルの蹴りと俺の蹴り。〝横と縦の軌道〟を描く旋風が再び交差し、二度目の炸裂と閃熱を閉鎖空間に放った。
「ククッ……! 流石だよ悠生、〝刃の王〟と〝鋼の王〟だけでは飽き足らず、〝六業会の太陽〟まで墜としたというのは本当のようだね……?」
「当たり前だろうが……円卓の奴らは報告もまともにできねぇのか?」
「前に言わなかったかな? 私はこうして自分の目で確かめるまでは〝何も信じない〟……それに、君の場合あまりにも活躍が派手過ぎて、話だけで信じろっていう方が無理がある」
「出来れば、目立たずひっそりと暮らしたいんだがな……!」
力の拮抗は一瞬。
俺とユールシルは互いに後方へと弾かれる。
この女……ぱっと見外見も物言いも理性的だが、中身はどんな肉食獣よりも獰猛だ。
生身の格闘術で俺と張り合える奴は円卓の王にもそうはいない。だがこの女はまともに俺と殴りあえる上に、その正面からの殴り合いこそが大好物ときてる。
さて、どうするか。
見れば、目の前のユールシルは〝今の挨拶〟で完全に火がついちまったようだ。
瞳孔が虎のように縦に開き、心底楽しいとばかりに白い歯を覗かせて、中腰の姿勢で俺の隙を伺っている。
名乗りを終えてさえいれば、隙を伺うまでもなく問答無用でこの世界を叩き割れるんだが……厄介なことにこの女、サダヨさんと同じく名乗りだのなんだの関係なく〝普通に強い〟。
ぶっちゃけ、〝鏡を操る〟なんていう力はこいつにとっちゃただのオマケだ。
この世界に俺を引きずり込んだもの、久しぶりに会った俺と気の済むまで殴り合うためだろう。まったく……今からでも〝
「来ないのかい? 悪いけど、私はまだ満足してないんだ。むしろ久しぶりに会えた君をもっと味わいたくなってきた――――!」
「食われるのは趣味じゃねぇ……!」
逡巡する俺とは対照的に、ユールシルはその染み一つない顔に笑みを浮かべて赤い舌を覗かせ……来る――――!
両手を突き出して構える俺と、地を這うような姿勢で加速するユールシル。
高速の踏み込みは、瞬きする間には三度目の激突が辺りを揺らすことになる――――だが、長期戦を覚悟した俺の予想は次の瞬間には覆された。
ひるがえる銀閃。
俺とユールシルが向き合う中央が閃光によって両断され、木っ端微塵に砕け散る。
灰色で塗り潰された世界が放射状に色を取り戻し、風に乗って運ばれてくる海水の匂いと、淀んだ廃ビルの空気が俺の鼻をくすぐる。そして――――。
「無事だったか悠生……。お前が死んだら、俺はどうやって家に帰ればいい……?」
砕かれた灰色の向こう。そこにのっそりと立つ金髪長身の男――――レックス。
そして、鏡の世界から出てきた傷一つない俺を見て息をつくレックスの左手。
そこにははっきりと
「悪い、助かったぜ――――って、そん時は一人で帰れよ!?」
「無理だ……俺には道が分からない……!」
「お前今までどうやって仕事してた!?」
「まさか……ッ!? これは驚いた……今日はなんて幸運な日なんだろうッ!? 悠生だけじゃなく、こうして〝君〟にも会えるなんてっ!」
レックスの手に輝く聖像。
それは、〝神なる大地に突き刺さる一振りの聖剣〟。
だがレックスの手に浮かぶその聖像は、まるで亀裂が走ったように中程でひび割れ、聖剣の〝刃の部分が砕け折れたような形〟になって刻まれていた。
そして、その下に現れるこいつの肩書きこそ――――〝
「元気そうで嬉しいよ、〝刃の王〟……! そしてもちろん、君も久しぶりに私と遊んでくれるんだろう!?」
「〝断る〟……ッッッッ! 〝ピックアップガチャ〟の更新時刻が近い……! 一刻も早く課金しなくては……!」
「な……っ!?」
〝
ってか、ガチャって別に急いで回すもんじゃねぇよな……?
「ねぇ悠生……ピックアップガチャってなに?」
「説明するのも面倒だ。自分で調べろ」
「ひどい……っ!?」
ショックを受けた様子のユールシルを溜息と共に眺めながら、俺はとりあえずこの窮地を脱したことを確認した――――。
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