かつての二人に


〝意味は無い〟


 それは、かつての俺を縛っていた下らない言葉。

 物心ついた時には殺し屋として〝主〟の支配下にあった俺が生み出した言い訳。


 最初から意味なんて求めなければ。

 殺した相手を哀れむことも、死んだ誰かに悲しむこともない。


〝意味は無い〟


 それは目の前で消えていく――――〝俺自身が消した〟無数の命という現実から目を背けるために、クソッタレの俺が捻り出した、クソ以下の言葉だ。


『マスターの命に意味が無いなんて……! 私には……そうじゃないんです……っ。私にとって、マスターは…………っ!』


 かつての俺に向かい、必死に何かを訴えようとしていたエリカ。

 

 だが俺はそんなエリカの声を無視した。

 そんなエリカのまっすぐな眼差しと想いに向き合おうとしなかった。


 今思えば、俺は彼女と向き合うことにビビっていた。

 エリカの想いを受け止め、エリカの運命も俺の物として共に歩むことに。


 何もかもに意味は無いと〝言い訳〟し、自分の罪と心から目を背けていた〝臆病者〟の俺は、そんな大層な勇気をこれっぽっちも持ち合わせていなかった。


 あの時、本当に〝弱かったのは俺〟だ。


 エリカは――――あの時俺が雪の中から連れ出したまだ十一歳だった少女は、あの時点で俺なんかより〝遙かに強かった〟。遙かに自分の命と正面から向き合っていた。だから、俺は――――。


 ――――――

 ――――

 ――


「殺してやる――――ッ! 死ね、拳の王ぉおおおおおお――――ッ!」

「来い。お前の炎で俺の拳を砕けるならな」

「……ッ!」


 迫る蒼炎。

 エリカの生み出した灼熱に埋め尽くされる巨大なホール。


 鬼気迫る絶叫を放つエリカに、俺は尚も挑発的な言動を浴びせる。


 その俺の言葉を受けたエリカの瞳孔が開ききり、無数の竜にも似た炎の渦が俺を押し潰そうと加速する。


 俺はただ正面のエリカを見据えていた。

 エリカの〝狂気に濁った瞳〟を。


 その狂気の中にある、かつての彼女と変わらぬ色を見つけ出そうと。

 今度こそその瞬間まで、目を逸らさずに見つめ続けた。そして――――。


「えっ――――!?」

「ぐっ――――があああああああああああッ!」


 衝撃。そして襲い来る超高温。


 俺の意識が圧倒的な熱量によって焼き切られ、視界が濁り、肉が焼ける。全身がバラバラになるような激痛が一瞬にして俺の脳髄を襲い、俺の命を砕きにかかる。


 幾重にも伸びた竜のあぎとに飲み込まれた俺は、一瞬にして何の抵抗も出来ずに焼き尽くされ、燃やし尽くされる。


 奪われ尽くした酸素は俺に呼吸することも許さず、分厚い鉄板すら一瞬で溶断する炎の熱は俺の表皮の痛覚神経全てを焼き切り、瞳が焼かれて視界が消える。


 そうして全ての感覚が焼けたことで、やがて何も感じなくなる。


「ど……どうして……っ!? なんで……っ!? なんで…………っ!?」


 どこか遠く。エリカの驚愕に満ちた声が聞こえる。

 どうやら、俺が炎を受けるとは思っていなかったらしい。


 人知を越えたエリカの灼熱。

 俺はそれを正面からまともに喰らった。


 俺の殺し屋としての能力は〝全てを砕く拳〟と、〝拳を握れる限り決して傷を負うことのない体〟の二つだ。


 だが、俺はあえてその不死身の力を行使せずにエリカの攻撃を受けた。


 最初からそうするつもりだった。

 かつての俺が情けなく逃げだした彼女に、もう二度と同じ事をしないために。


 目を潰され、皮膚感覚も全て焼き切られた俺にはいまいちわからないが、どうやら俺はそのまま地面にぶっ倒れたらしい。端から見れば、真っ黒に炭化した人型にしか見えない有様だろう。


 だが、今ここで意識を手放すわけにはいかない。

 エリカの中に巣くっている、〝奴〟の力を打ち砕くまでは――――!


「そんな……っ! どうして……どうして〝拳の王ロード・フィスト〟の加護も捨てて……!? いやぁ…………っ!」


 足取りもおぼつかないエリカの声が、俺のすぐ近くにまで駆け寄ってくる。

 エリカからすれば、俺が自分の炎を受けるのはまだしも、こうして力すら使わずに焼き尽くされるとは思っても見なかったのだろう。


 困惑し、震える彼女の声はどこまでも悲痛に満ちていた。だが――――。


「アア……アアアアアッ!? 違う……っ! 私が殺したのは〝裏切り者〟……ッ! 円卓を……私を……裏切った……! あは……あははははははっ! ザマァ見ろ……! ザマァ見ろ……! 死んだ、殺してやった……! 私は……ああ……! マスター……っ!」

 

 エリカの狂気と正気。

 二つの声が交錯する。

  

 エリカは確かに喜怒哀楽の波が激しい。

 思い詰め、キレれば手がつけられない時もあった。


 だが、それでも。

 俺は、もう二度とお前から目を逸らさない――――!


「どんなに辛い時でも……お前は自分を見失ったりしない。そうだろ……エリカ」

「あ……っ!」


 瞬間。俺は二つの心が激しく入れ替わるエリカの瞳の中に、かつて俺のことを真っ直ぐに見つめてくれていた少女の光を見つける。


 その光を見て取った俺は、炭化した拳に残された力全てを注ぎ、起き上がると同時に目の前で膝をつくエリカの胸元めがけ、トン、と――――握った拳を当てた。


「ます、たー……どう、して……?」

「〝毒の王ロード・ポイズン〟だ……お前の思考を濁らせた。相変わらず、ふざけた女だ……」


 エリカの胸元に当てられた炭化した拳が熱を放ち、彼女の体内を駆け巡る毒を消し飛ばす。エリカの濁った瞳が透明さを取り戻し、張り詰めた感情の糸が切れる。


〝毒の王〟


 俺があの廃工場でスティールに殴り倒された時に聞いた言葉が確かなら、奴はエリカをこの永久奪還任務に差し向け、俺を裏切るよう全てを仕組んだ張本人だ。


 毒の王はあらゆる毒を操る。


 その毒には薬物的な毒もあるが、それとは別に、人の〝心に仕込む毒〟も存在する。心の毒は一度混ざり合えばそう簡単に抜けることはないし、無理に抜こうとすれば、エリカの心は跡形もなく吹っ飛んじまう。


 恐らく、毒の王はエリカの心に毒を仕込み、エリカの心でくすぶっていた俺への激情を狂気と円卓への忠誠心に転化した。


 だから俺はあえて〝エリカを挑発〟し、その心をかき乱した。


 感情が高ぶり、エリカ本来の心と毒の王が仕込んだ毒の心の乖離が進めば、俺の拳はその〝毒だけを砕く〟ことが出来る。俺も毒の王にやられた奴と会うのはこれが初めてじゃない。どうやら、それが役に立ったな。


「マス、ター……」


 力を失って倒れ込むエリカを俺は黒焦げのままなんとか抱き留め、安堵の息を漏らす。まあ、いくら俺が頑丈とはいっても、少しばかり今回は無茶が過ぎたかも知れないな――――。


 ――――――

 ――――

 ――


「あ……」

「起きたか」


 十分と少しの後。


 目を覚ましたエリカの前で膝をつき、〝消し飛ばされた服を着直した〟黒焦げの俺は笑みを浮かべた。いや、全身火傷だらけで、ちゃんと笑ってるように見えるかはわからないが。


 ぶっちゃけると、俺には〝奥の手〟がある。

 あの〝刃の王ロード・エッジ〟をぶちのめしたとっておきだ。


 まあ、〝それ〟を使ってもすぐに俺の傷が治ったりはしないが、燃やされた〝服が直った〟だけ良しとしよう。 


「〝聖像イコン〟は残してある。後は、エリカの好きにしろ」

「なんで……どうして私を助けたんです……!? 私は……私はマスターを裏切って……っ! 毒なんて関係ないんです……っ! 私は、永久とわさんに……嫉妬して…………っ」

「〝先に裏切ったのは俺〟だ。というかな……会ってから今日まで、俺はお前のことを裏切ってばっかりだっただろ……今まで俺がエリカにやってきたことを考えれば、何をされたって文句なんて言えない」


 エリカの覚醒を確認した俺は、体の半分以上が炭化したままの状態でなんとか立ち上がる。拳を握り、状態を確かめるが――――右拳は使えないな。


「そんな……っ! 私はただ……マスターとまた一緒に……いたくて……っ! 傷つけようなんて……恨んでなんて……っ!」

「わかってる……だがそれでも、これだけは謝らせてくれ」


 あの雪の日。初めて会った時と同じように俺を見上げるエリカの瞳。俺は今度こそその瞳を正面から受け止め、俺の気持ちを出来る限り伝えようと見つめ返す。


「〝意味が無い〟なんて言ってすまなかった……。ちゃんと意味はあったよ……お前と一緒だった二年間……悪くなかった」

「マス……ター……ぁ……っ……あぁ……! うぅ……ぅ……うっ……っ……」


 俺は最後に頷き、そのままふらつく足取りでホールの奥へと歩みを進める。


 背後から漏れ聞こえるエリカの嗚咽。

 

 エリカだって、今更俺から謝られたいわけじゃない。

 それくらい俺にだってわかる。


 ただそれでも……あの雪の中で俺の手を握ったあの少女なら、きっと――――。


 俺はそう信じ、祈りながら永久の待つ要塞最奥へと向かった。


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