第10話【斯く斯く然然なのです(2)Por tal y cual razón】
アントニオさんが溺愛するチピロン・プランチャは、小ぶりのイカの丸焼きスペイン風という感じ。たっぷりのオリーブオイルにニンニクのみじん切りを入れ、香りが立ってきたらイカを投入。ほどよく焼けたところで塩をパラリとかければ完成という、いたってシンプルな料理なのだけれど、これが驚くほどおいしい。食欲そそるほのかなニンニクの香りに、ほどよい塩加減。これがビールに合わない理由がないのだ。
というわけで、アントニオさんもラファエルも前子さんも、もちろん私も、イカを食べ、ビールを飲み、イカを食べ、ビールを飲み・・・と、永遠ループにはまっている。もぐもぐと食べ、グビグビと飲む合間に、アントニオもラファエルも、1日の出来事を前子さんに話している。前子さんはといえば、2人の話を笑顔で聞きながら、みんなのお皿が空になると、イカを取り分けたりサラダをよそったりと気を配っている。
アントニオさんは、前子さんが取り分けたそばから、イカを美味しそうに頬ばり、ビールをぐびっと飲んでいる。
「koukoさん、知ってるかね?
そう話すと、アントニオさんは、またイカを一口。そしてグラスに残っていたビールを飲み干した。そして、Cruzcampoのラベルに描かれている男性を指しながら、
「そうそう、この男性は誰だか知っているかね?」とアントニオさん。
改めてラベルを見てみると、緑色の羽つき帽子をかぶり、赤いチョッキを着た太っちょのおじさんが描かれている。さらに細かいところを見れば、太っちょおじさんはビールの樽らしきものに寄りかかっている。左手には、ビールの泡が盛大にこぼれているジョッキを掲げ、目は閉じている。微笑んでいるようにも見えるけれど、私の印象では“酔っ払い”だった。
「えっと、ビール好きの男性を象徴してるんですか?」
「ノー!
そうだっけ?確か古代エジブトの頃からビールは飲まれていたはずなんだけど・・・エジプトのビールはホップを使ってなかったっんだっけ?そうだそうだ、パンを発酵させて作っていたんだ!と記憶を引っ張り出していると、私が返答に困っていると思ったのだろう。前子さんが助け舟を出してくれた。
「アントニオ、Sevillaの人たちだってあまり知らないことよ。観光客であるkoukoさんが知らないのは当たり前じゃない」
何となく、観光客という言い方に引っかかるものを感じたのは気のせいだろうか?
「確かに、ラファも知らなかったからな」
「パパぐらいだよ、ビールのラベルに描かれた人が誰かなんて調べるのは。koukoが驚いているよ」
「情けない、我が息子ながら情けない。いいか、スペインには各地を代表するビールがあるだろう。マドリードならMou、バルセロナはエストレージャ、グラナダにはアルハンブラというビールがある。それらのビールが生まれたのは、なぜだ?そうだ、ガンブリヌス王が、ホップを使ったビールの醸造を考案したからだ。SevillaのCruzcampoは、王に敬意を評してラベルに彼のお姿を描いておるのだ。しかし、他の地域のビールは、この現代ビールの父とも言えるガンブリヌス王へのリスペクトが足らんのだ」
「すべてのビールのラベルにガンブリヌス王が描かれていたら、買うのに困っちゃうよ、パパ」
さらに議論が始まりそうな気配を察した前子さんが、慌てて
「はいはい、イカが残っているは?koukoさん、お代わりは?」
「お腹いっぱいです。ありがとうございます」
「なら、私が食べよう。愛しのチピロンちゃん!」
最後のチピロン・プランチャを取り分けてもらって、アントニオさんはご機嫌で頬張っている。さっきまで激昂していたはずなのに、感情の起伏が激しい人らしい。
ワイワイと楽しかった夕食も終わり、アントニオさんは、調べ物があるというと書斎に戻って行った。
前子さんを手伝って、夕食の後片付けをしにキッチンへ行こうとする私に、ラファが声をかけた。
「kouko、もうこんな時間だからホテルまで送って行くよ。どこに宿泊しているの?この近く?」
「あっ、えっと・・・」
言い淀んでいると、前子さんが
「今日はね、うちに泊まっていただくのよ」
「え、いいの?kouko。ママは少し強引だから、嫌なら嫌だってはっきり言ったほうがいいよ。日本の女性は、なかなか断れないというのを聞いたことがあるから。言いづらいなら、僕に話して。僕がママに言うから」
「いえ、あの、喜んでというか。。。アハハ」
どうしたらいいのか。もうそろそろPenpenが起こしてくれるはずなのに。一向に目が覚める気配がないことに、またぞろ不安になってきた。ここは、前子さんの提案に乗っかろうと決心する。ただ、その前に、前子さんに何もかも話さなければいけないという、厄介なミッションが待っている。
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