第9話【斯く斯く然然なのです(1)Por tal y cual razón】 

 シャッターが閉まったシエルペス通りは、怖いほどに閑散としていた。さっきまでは、急ぎ足で家路に向かう人たちで、最後の賑わいを見せていたのに、今やセントロに向かっているのは私と前子さんだけで、わずかな通行人は、私たちと反対方向、つまりヘラクレス・デ・アラメーダやマカレナ地区方向に向かって歩いている。


 ヘラクレス・デ・アラメーダは、ファッショナブルなバルやレストランが集まる地区で、週末の夜は流行に敏感な若者たちが集まってくる地域だ。

 一方、マカレナ地区は高級住宅街。集合住宅が多いセビージャの中で、このエリアは一戸建てが多い。だからなのか盗難事件も多いらしく、私の友達の家は(もちろん戸建て!)2回も泥棒に入られたそうだ。


 みんな、家族が待っている家に帰るんだろうな。ちょっとうらやましくなった。


『そういえば、Penpen、なかなか起こしてくれないな?まだ、お腹空いていないのかな?』

 

 心臓がトクン。少しだけ不安が広がる。


 結局、前子さんの迫力に負けた私は、再びトラスマタ通りに向かって歩いている。


「家にいきましょう。話しはゆっくり、リビングで聞かせてね」というや否や、くるりと向きを変えると、トラスマタ通りに向けて歩き出したからだ。


 私は、一瞬、『逃げちゃおう』と思ったのだけれど、今以上に不信感を持たれ、かえって事態が悪くなると考え直し、覚悟を決めて前子さんに従った。

 前子さんは、私がちゃんとついてきている事を確認すると、さらに足を早めた。


「ちょっと急ぐわね。もう夫もラファも家に帰っている時間だと思うの。私がいないので、心配してるかも・・・・あら、電話・・・」


 どうやら電話は家からのようだった。前子さんが留守にしていたので、心配した夫か息子がかけてきたのだろう。


 ランチに誘ってくれた真面目そうなラファエルさんに、まだ見ぬ前子さんの旦那さんの前で、私は、『夢の中なんですよね?』なんて、荒唐無稽な話をするのかと思うと気が重い。なので、足取りが重〜く、ずるずる、ずるずると引きずるように歩いている。が、なぜか腹が立つくらいに、前子さんと足並みが揃っている。それだけ、前子さんもゆっくりと歩いているということだ。

 私を尾行してきたらしいし、かなり歩いたんだろう。『かわいそうに』と思っていると、電話を終えた前子さんと目があってしまった。


「家からだったわ。koukoさんの観光に付き合っているうちに、すっかり仲良くなってしまったから、お夕食も誘ったことにしておいたわ。二人ともお腹を空かせてるし、koukoさんも食事してないでしょ?Barに寄ってテイクアウトしましょ」


*********

 再び来訪した私を見て、ラファは笑顔で迎えてくれた。


「すっかりママと仲良くなったみたいだね。よかった。じゃあ、今日はあれからずっとママと一緒だったの?ママが解放してくれなかったんじゃない?」

「ラファったら、そんなことないわよね、koukoさん」


 急に前子さんに話を振られ、私は曖昧にうなずいた。前子さんの話に合わせられるような、そんな心の余裕がなかった。


「本当に?それならいいけど。でも僕はまたkoukoさんと会えて嬉しいよ」

「ラファ、アントニオは?帰ってるのかしら?」

「パパなら、とっくに戻ってるよ。今、書斎にいるんじゃないかな」

「じゃ、呼んできて。食事にするから」


 書斎から出てきたアントニオは、私を見ると右手を上げた。どうやら挨拶をしてくれたらしい。私も軽く会釈をしながら、日本から来たkoukoですと自己紹介をしていると、「お待たせ、ご飯よ〜」と前子さんの声が聞こえた。


*********


 「おお、今日はチピロン・プランチャじゃないか!」


 テーブルに並べられたお皿を見て、アントニオが嬉しそうに声をあげた。

 チピロンとは、小さいイカのことで、網ではなく一本釣りで捕る高級品だそうだけれど、結構、Sevillaのバルでは見かけるメニューだ。

 前子さんが近所のBarでテイクアウトしたのは、丸ごと鉄板で焼いて塩・胡椒で味付けしたシンプルなものだった。家に向かいながら、そういえば、ご主人の大好物だと言っていたのを思い出した。


「チピロンが食べられるなんて、なんて良い日なんだ。しかも可愛らしいお客さんも一緒だなんて。本当に素晴らしい!」

 

 一人で、感激している前子さんのご主人、アントニオさんは、年の頃は60代。手足はひょろっとしているのに、お腹だけが出ている。顔の彫りが深く、右と左の目が極端に中央に寄っている。左右の目の間を起点に、すくっと立ち上がる鼻の上には、金縁の小ぶりなメガネが鎮座ましている。

 視線をもう少し上にあげると、白髪混じりの金髪で、顎のラインできれいに切り揃えられている。毛先が、外側に跳ねているせいで、おそ松くんに出てくるイヤミのようだ。しかし、かのキャラクターと違うのは、その頭頂部。うっすらと申し訳なさそうに髪が残っているが、金髪ということもあり、ライトが当たると頭のてっぺんだけ白く光り、天使の輪が浮かんでいるよう見える。神々しいと言えなくもない。

 

「パパ、一昨日もチピロネス食べたじゃないか。まさか、覚えてないの?ボケちゃったとか?」

「ラファ、昨日は食べてないだろ?僕にとっては、恋しい恋しいチピロンちゃんなんだ」

「ママ、パパにはチピロンだけ出してればいいらしいよ」

「いや、他のも、そうだな、エビの塩茹でも食べたい。アドボ・デ・カソンも食べたいし、ステーキも、チキンも、おお!寿司、前子さんが作ってくれるのり巻きも食べたい。ラファ、チピロンちゃんだけは厳しい」

「ああ、パパ、ブロマ(冗談)だよ」

「なんだ、冗談なのか?そう言ってくれなければ、わからないじゃないか」

「はぁ〜。これは冗談だからねと前置きしてから冗談を言ったって、面白くないじゃないか。手品の種を明かしてから手品を披露するのと一緒だよ」

「おお、それはいい」

「ん?何が?」

「種を知ってから、手品を見ることだよ」

「まさか、推理小説を後ろから読むタイプ?」

「ああ、ラファ、ブロマ(冗談)だよ。ホッホッホッ」


 なんだろう、この父と息子の会話は。面白いか面白くないかと問われれば、私は、面白くないと答えるだろう。屁理屈に屁理屈で返すなんて、耐えられない。

 前子さんは?と見てみれば、やわらかく微笑みながら、でも我関せずという定でイカの《《丸焼きちゃん》》を、それぞれのお皿に取り分けている。

 

「はい、召し上がれ。koukoさんもどうぞ」

「ありがとうございます」

「あ、ビール飲むでしょ?パパは?ラファは?」


 2人ともうなずき、前子さんはビールを取りに、キッチンに戻っていく。4人分のビールを持ってくるのは大変だろうと、私も前子さんの後に続いた。


「前子さん、どれを持っていけばいいですか?」

「ありがとう、じゃ、そこのビール持っていってくれる?私、グラスを用意するから」


 私はCruzcampoクルスカンポの瓶を左右に2本ずつ持ちテーブルに戻ると、すでにアントニオさんが栓抜きを持って待機している。私が瓶を置くやいなや威勢よくポン、ポン、ポンと栓を抜いていく。

 4本の栓を抜き終わった頃合いに、前子さんのグラスが到着。いいタイミングで、ビールは注がれた。これぞ、夫婦の共同作業。私は心の中で拍手した。


 

 

 

 

 

 






 



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