第8話【この夢、疲れるわ(3)Cansado de los sueños】

「koukoさん!」


 急に自分の名前を呼ばれて、ドクンと心臓が思いっきり飛び跳ねた。

 私は、思わず『ギャッ』と声が出てしまい、慌てて口を手で塞ぐ。そして、今の衝撃で『目が覚めちゃったかもしれないなぁ』と、残念な気持ちと、どこかほっとした思いが入り混じりながら恐る恐る振り返った。と、そこには、少し前までは会いたくて、会いたくてたまらなかった前子さんが立っていた。

 しかし、今、このタイミングで会っちゃうって、トラブルの予感しかない。


「前子さん、どうして、、、?ここに?」

「やっと追いついたわ、koukoさんを見かけて追いかけてきたのよ」


 確かに、わずかに息を切らしている。


「追いかけてきたって、どこから、ですか?」

 

 Barの件を見られていたらと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしい。

 常識ある日本人、いや大人なら、異国で自国の通貨を堂々と使うなんてことはしないはず。いくら夢の中とはいえ、ユーロで払ったあげく、お釣りもらえちゃうかもと思っていたなんて、我ながら図々しいし、スペインで暮らしている日本人には絶対、見られたくない場面だ。

 なので、どこで自分を見かけたのか、気になっている私に、前子さんはお構いなしで、まるで聞こえなかったように、矢継ぎ早に質問をしてくる。


「ホテルに帰るところなの?どこに宿泊しているの?ホテルはこの近く?」

「あ、え、あ、はい?いや、あの・・・」


 煮え切らないkoukoの返事に、ますます不信感を抱く前子さんは、Barの不思議な行動を単刀直入に聞くことにした。


「あのね、私、聞きたい事があって、実はずっとkoukoさんの後ろをついてきてたのよ」

「え?ついてきた?」

「koukoさん、さっきBarに入ったでしょ?確かフェデリコ・サンチェス通りだったかしらね」


 『あちゃー、あれ見られちゃってたのか』と、koukoは心の中で舌打ちをした。


「でね、あなた、ビールを頼んだと思うんだけれど、お支払いの時に日本円で払ってたでしょ?どうして?ユーロの持ち合わせがなかったの?お財布、失くしちゃった?」


 前子さんは、なるべく問い詰めるような物言いにならないよう気をつけながら話しを続ける。


「間違えて日本円で払っちゃったのかなって思ったのだけれど、見ていたらユーロを持っていないように感じたの。クレジットカードも、スペインでは使えないカードだったみたいだったし。だからね、もしかしたらkoukoさん、ユーロを持っていないのかな?なんてね、旅行に来ているのに、ユーロを持っていないなって、そんなバカな話があるわけないじゃない?」


 笑いながら、なんとなく冗談めかしで話している前子さんだが、よく見ると目は笑っていない。どうやら、あの場面を見て、怪しい人物に思われているらしい。う〜ん、それなら放っておいてくれればいいのに。わざわざ、面倒に自分から飛び込んでくるなんて。

 さて、どうしよう。


「ね、koukoさん。何か困っているなら話してみて。ここはスペインなのよ。日本と同じように考えていてはダメ。何かトラブルにでも巻き込まれているなら、相談してちょうだいな。警察に行くなら一緒に行くわよ。koukoさんなら、ちゃんと警察官に説明できるかもしれないけれど、手続きは複雑だし、分からないこともあるでしょ。私なら、お手伝いできるし、助けてあげられるわ。それに、日本人の知り合いがそばにいた方が、何かと心強いわよ」


 ああ、前子さん、違うんです。放っておいて、お願いだから。私は、そのうち目が覚めて、この世界から消えちゃうんですよ〜。


「あの、前子さん。私、何もトラブルに巻き込まれてません。大丈夫です。ただ、さっきは、習慣で日本円を出しちゃって恥ずかしいと思ったところに、カマレロにユーロで払ってと言われて、頭に血が昇っちゃって。パニックになっちゃったんだと思います。カードも使えなかったし・・・。前子さんに目撃されてたんですね、やだ、恥ずかしいな、もう」

「そうだったのね。私も声をかけるタイミングを失っちゃって。でも、やさしいカマレロでよかったわね」

「はい、まさかおごってくれるなんて思わなかったので、嬉しかったです」

「じゃぁ、ユーロはあるのね?大丈夫なのね?」

「は、はい」


 前子さん、ごめんなさい。嘘ついてます。でも、きっともう少しで目が覚めるはずだから、きっと、これでお別れですね。ランチごちそうさまでした。しょうが焼き美味しかったです。あと、心配してついてきてくれてありがとうございます。でも、これは夢の中の出来事だから大丈夫です。


「もう暗いので、ホテルに帰りますね。お休みなさい。前子さんも気をつけてお帰りください」


 そう挨拶して、ホテルに向かう振りをする私に向かって、


「koukoさん、嘘はいけないわ」

「・・・・」

「その先に行っても宿泊するホテルはないんでしょ?ユーロも持っていないんでしょ?オーバーステイ?違うわね、もしかして、あなた密航してきたの?」

「密航!!!」

「私は2人の男の子を育ててきたのよ。『花瓶を割ったのは、近くを通った猫だよ』とか『ケーキなんて食べてないよ』とか。何度、子供たちの嘘を見抜いてきたことか。嘘をついているのか、本当のことを話しているのかなんて、母親にかかれば一瞬で見抜かれちゃうのよ。国籍や性別が違っても同じなのね、驚いちゃうわ」

「・・・」

「で、本当は何なの?今日、泊まるところはあるの?お金、ユーロは持ってるの?」


 さっきまで、フワッとしたママさんだと思っていたのに、今、ここで立ち話をしている前子さんは、肝っ玉母さんのそれだった。

 これ以上、私も嘘をつき通すのは難しいと思う。実は、さっきはこれで言い逃れできたと真剣に思っていたのだ。我ながらすごい演技力なんて思っていたのだから。ざまは無い。だからといって、どう話せばいいのだろう。話したところで、それも嘘だと思われたら?

 でも、話しているうちに目が覚めちゃって消えちゃうかもしれない.

ま、それはそれで真実だし、仕方ないか。いいよ、話しちゃおう。今までのことを。


 

 

 

 

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