第7話【この夢、疲れるわ(2)Cansado de los sueños】

 南欧とはいえ、冬の夜は寒い。そんな中で、前子さんは、ひたすらkoukoが出てくるのを待っていた。


 息子のラファエルがトゥリアーナ橋で出逢ったと言って、日本人の女性を連れてきたのには驚いたけれど、お手伝いを申し出てくれたことや食事のマナーを見ていると、厳しく親御さんに育てられたんだという事がわかり、好感が持てるお嬢さんだった。

 その上、セビージャが大好きで、いつかはここで暮らしたいと言ってくれたのも、何だか若い頃の自分を見ているようで、嬉しかった。


 前子さんの目には、きちんとしたお嬢さんに見えたkoukoが、ユーロを持たずにBarに入り、ビールを飲もうとした事が、不思議でならない。仮に、お財布を盗られてしまったのなら、まず最初に警察官を探すのでは?百歩譲って、気持ちを落ち着かせるためにBarに入ったとしても、日本の硬貨で払おうとするだろうか。

 クレジットカードを持っていたのだから、まずはカードを出すはず。たとえ、そのカードが使えなかったとしても。


 考えれば考えるほど、ますます不可解だ。


「あまり、関わらない方がいいのかしら?」


 そう思いながらも、前子さんはkoukoを待つことを辞められなかった。

 なぜなら、先ほどのkoukoを見て、とても危うく感じたし、なぜ日本円で払おうとしたのか、どうしても聞きたかったのだ。


「我ながら、困った性格だわ」


 ずっと同じところに留まっていては、スリの餌食になってしまうのは目に見えている。だから、不自然にならないように、前子さんは、何度もBarの前を行ったり来たりしながらkoukoが出てくるのを待った。

 

 何度目の行ったり来たりだろうか、結構、長くいるわねと思った時、koukoがBarの外に出てきた。そして、右、左と見回すと、グアダルキビル川とは反対方向、つまり市役所の方向へ歩き出した。


「ホテルに帰るのかしら?」


 確かに、koukoが向かった先のエリアにはホテルが点在している。

 とにかく、まずはホテルに入るのを見届けようと、前子さんは、またkoukoの後をついて行った。


**********


 一方、koukoはといえば、まさか日本円も(当たり前だって)カードも使えず、うろたえたけれど、親切なお兄さんにビールをご馳走になって気分も上々。

 もう一度、お兄さんにお礼を言ってBarを出たけれど行く当てもない。目が覚めるまでの束の間だと思えば、1秒でも惜しい気がする。

 そろそろ店じまいの時間だけれど、シエルペス通りは行っておきたい。

 

 シエルペス通りは、市役所の辺りから北に伸びるショッピングストリートだ。約400mほどの通りに、セビージャのセラミカ(陶器)やアバニコ(扇子)、フラメンコ衣装などのお店が軒を連ねている。通りの一番奥には、老舗のお菓子屋さん「コンフィテリア・ラ・カンパーナ」があり、ショップはもちろん、カフェテリアはいつも混んでいたのを思い出す。


 お店が全部、閉まってしまう前にと、足を急がせながらフェレデリコ・サンチェス通りを抜け、コンスティトゥシオン通りを過ぎ、ヌエバ広場を左手に見ながら通り過ぎると、シエルペス通りはすぐそこだ。広場を背にして、右側がシエルペス。左側がテトゥアン通りだ。


 話しは逸れるが、以前、語学留学していた頃に通ったアカデミーがテトゥアン通りにあった。あの頃は、おもちゃ屋さんや洋服屋さん、子供服のお店など、地元民が営むお店が並んでいた記憶があるけれど、今では、ZARAやMANGO、Camperといったスペインの人気ブランドショップやadidasなどのスポーツショップ、コスメショップが並ぶ、ちょっとセレブな通りに変わっている。


 変化しているのは、シエルペス通りも同じで、「あのお店が無くなっている」とか、「あのお店、アクセサリー店になっちゃた」とか。2年前に来た時に、あまりに変わっていたので驚いたのと同時に、少し寂しい気持ちがしたのも確かだ。観光客としては変わって欲しくないなと、勝手なことを考えていたっけ。と、取り止めのないことを考えながら通りの入り口に立った。一瞬、足を止め、携帯を確認してみると、時刻は19時30分を少し回ったところだった。あのBarで結構な時間を過ごしていたらしい。すっかり、夜の帳が降りている。


 心臓がドクンと、不意に音を立てた。


 いやいや、大丈夫。そのうちPenpenに起こされるから。

 そう、自分に言い聞かせて、シエルペス通りに足を踏み入れた。


**********


 「koukoさん、シエルペス通りを入ったわ。どのホテルかしら?」


 前子さんは、セビージャの地図を頭の中に広げて考えると、思いつくのは緑の壁がやたらと目立つ「ホテルアメリカ」しかなかった。


 そのホテルは、シエルペス通りを抜け、道路を渡ったところにある。3つ星ホテルだが、宿泊料は安くも高くもないといったところ。日本の三越デパートに匹敵する『エル・コルテ・イングレス』が目の前にあり、中心街へのアクセスも抜群のホテルだから、4月のお祭り時期にはなかなか予約が取れないと聞いた事がある。


 koukoは、どこのお店に入るというわけでもなく、ウインドウショッピングを楽しむように歩いている。

 

 好奇心に駆られて、ずっとkoukoを尾行?してきた前子さんも、流石に疲れてきた。Barでビールを楽しんだのは、2時間ほど前だろう。そろそろ家にも帰らないと、夫のアントニオもラファエルも心配するに違いない。

 koukoに追いついて声をかけるなら、彼女がのんびり歩いている今がチャンスだ。そう思った前子さんは、最後の力を振り絞って小走りし、koukoに手が届くところまで近づくと、少し息を切らしながら、我ながら驚くほどの大声で声をかけた。


「koukoさん!」


 よっぽど驚いたのだろう。彼女は『ギャっ』と声をあげると同時に、ぴょんと飛び上がりざまに、振り返った。




 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る