第5話【Sevillaの夕暮れ時、途方に暮れるEstar en una pérdida】

 Sevillaは夜の9時頃まで明るいと思っていたけれど、それは春から夏にかけての話しだ。残念ながら、今、季節は冬。日本よりは温かいし、日が長いといっても、午後7時前には日没を迎えてしまう。

 現在の時刻は、たぶん夕方の5時過ぎだ。あと1時間ちょっとで夜になってしまう。

 目が覚めるという可能性は、まだ消えていないとはいえ、ワイドショーの某コメンテイターの受け売りではないけれど、最悪の状況を想定して、次の行動を考えることが被害を最小限に抑えることができる、最善の方法だ。

 とにかく前子さんに追いつかなかければと考える私の足は、どんどん早くなり、既にトランヴィア(路面電車)が通るコンスティトゥシオン通りまでたどり着いている。

 前子さんと別れてから、まだそんなに時間は経っていない。きっと追いつけるはずだと、自分を奮い立たせて足を前へ前へと進ませた。

 しかし、急ぐ私を尻目に、街の中は、そろそろBarで夕食前のおやつを食べに行こうとする人たちで、ごった返しはじめている。声高にお喋りしながら歩いている地元民たちは、急いでいる私に取っては、大きな障害物だ。先を急ぎたいのに、平気で行く手を阻んでくる。

 

 私の前を歩いていた、大柄な女性が歩いていたと思ったら、急に立ち止まり、通りすがりの人とハグをしたかと思うと、両方のほっぺたに『チュッ、チュッ』。スペイン人の挨拶が始まり、立ち止まったまんま、長〜いおしゃべりを始めた。

 危うく彼女にぶつかりそうになったのをすんでのところで踏みとどまり、なんとかすり抜けると、歩く速度をあげる。しかし、全く前子さんが見当たらない。それでなくても小柄なのだから、もしかしたら、誰かの影になっているのかもしれない。

 そう思って、目を凝らして見るものの、あたりはどんどん暗くなり、人はどんどん増えていく。


 急げ、急げと思いながら小走りで道を進んでいたが、フェデリコ・サンチェス通りに出た瞬間に、パタっと足が止まってしまった。


 なぜなら、この先、どの道を通ったのか覚えていないことに気がついたからだ。

 

 今、私がいる通りはフェデリコ・サンチェス通りだ。少し先を右に曲がれば、いつも泊まる「アパルタメントス トーレ デ ラ プラタ」のある通りに出る。

 その通りを、まっすぐ進めば、グアダルキビル川に突き当たる。川を正面に見て、右に曲がればマエストランサ劇場があり、さらに進めば闘牛場がある。そこを通り過ぎて、さらにまっすぐ進めば、トゥリアナ橋のたもとの交差点にたどり着く。そこを右に曲がって、少し行けば金物屋さんがあり、そこを曲がればトラスマタ通りだ。

 自力でトラスマタ通りに行くことはできるけれど、前子さんがを通ったのかがわからないのだ。

 話しながらヒラルダまで行ってしまったし、そもそも深刻な状況だとは、あの時は思ってもいなかったから、どの道を通ったかなんて気にもしていない。それに、彼女を追いかけることになるなんて、思いもよらなかったのだから。


 どうしよう、とにかく、トラスマタ通りまで行ってみようか?

 そもそも、行ったところで、家がわかる?

 

 スペインの家は、ざっくりといえば長屋の状態になっている。戸建ての家がくっついているのは長屋だと思えば理解できないこともないけれど、集合住宅もくっついて建っている。

 何棟もの集合住宅がくっついているせいで、狭い路地の両脇にはに大きな壁ができている。圧迫感はものすごいし、見通しも悪い。

 景観のためなのか集合住宅の壁の色が、ほとんど同じなのだ。違いは、窓の形や数だったり。ドアの色ぐらいだ。

 そこに暮らしている人ならいざ知らず、通りすがりの日本人が、ちょっと寄らせていただいたからと言って、次に自力でその家を尋ねられるかと言われたら、難しいはずだ。

 私は、ホームステイしていた家さえ、風車が刺さったプランターがなければ、見つけられないのだから。


 まったく、夢だと思ってセビージャを楽しもうと思っていたあの時から、一体、どのくらい時間が過ぎたんだろう。

  

 トゥリアーナ橋の上でラファエルさんに声をかけられたのが、午後2時過ぎ。今は午後6時を回ったぐらいだから、約4時間か。

 そんなに寝る?日本は朝だったのに・・・

 早起きしたからって、昼寝しすぎだろ、私。

 いい加減、起きろと、自分の頭を叩きたい気分だ。でも、その一方で、正直に言えば、『夢じゃないな、これ』と思っている自分がいるのも否定できない。


 ラファエルさんとの出会いは、この状況の中で与えられた一筋の光だったのに、あっけなく手放してしまった。

 

 万事休す。


 いや、待て。ラファエルさんが、トラスマタ通りに入った時に何か言ってなかったけ?私は、記憶をフル回転で掘り起こす。

 そういえば、「グリーンのドアが僕の家だよ」と言っていた。「3階だけどエレベーターはないよ」とも。

・・・・・・手がかりが見つかったけれど、これで見つけられるのか、甚だ疑問。

 しかし、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。セビージャの人は親切だ。東洋系の人間が、ボーッと立っていたら、心配して声をかけてくるかもしれない。

 スリが活躍する時間帯だからだろうか、警察官の姿もちらほら見かける。警察官に声をかけられたら、不味いことになるのは目に見えている。とにかく、歩こう。

 私は、フェデリコ・サンチェス通りをグアダルキビル川に向かって歩き出した。


**********


 長い行列を見て、早々にヒラルダに登るのを諦めた前子さんは、家に戻る前に何か飲もうと思った。この辺りのBarは、観光客で混雑していたこともあり、あまり馴染みがないのだけれど、せっかくこっちまで来たのだからと、初めてのBarに入ってみることにした。

 セビージャで暮らして30年になるけれど、初めてのBarに入るのは、まだまだ緊張する。あまりお客さんがいないBarを選び、カウンターにいるカマレロに声をかける。

 慣れない店でカウンターで飲むのは、なんとなく気まずい。ビールをオーダーし、テラス席を指差し、外で飲むことを知らせると、寒いのに大丈夫?というように、カマレロが肩を竦めて見せた。

 

 家族とBarに出かける時も、みんなはワインを頼んでいるのに、前子さんだけはビールを頼むせいで

「ママがビールを飲んでいるのを見ると、こっちが寒くなるよ」と嫌がられている。


 そんなことを思い出しながら、黄昏の中、行き交う人を見ていると走ってくるkoukoを見つけた。


「あら、あれってkoukoさんよね?」

 

 前子さんは、ビールのグラスを置き、そっと時計を見た。まだ、別れてから30分も経っていない。

「ヒラルダには上がらなかったのかしら?とくに用事があるようなことは言っていななかったけれど」

 

 なんとなく目でkoukoを追っていると、ハッとした様子で、彼女が急に立ち止まった。

 一瞬、自分に気がついたのかと思って、右手を軽くあげて見たが、彼女は違う方向を見ている。

 しかも、立ち止まったまま、キョロキョロと周りを見回し、首を傾げているのだ。


「どうしたのかしら?道に迷ったのかしら」


 しばらく、様子を見ていたが、koukoは歩き出す様子もなく、立ち止まったままだ。やはり、何か問題が起きなのに違いない。そう思った前子さんは、残ったビールを飲み干すと、カマレロにありがとうと声をかけkoukoの方に向かって歩き出した。





 

 


 

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