第4話【まさか夢じゃないの?¿No es un sueño?】

 食後のコーヒーを楽しみながら、会話が続く。


「Koukoさんは、セビージャは初めて?」

「何回か来ています。大好きなんです、セビージャが。いつかはこっちに移住できればいいなって思ってるんです」

「本当に!それは、嬉しいわねぇ。私、セビージャに住んでから30年以上経つのよ。子供たちが小さかった頃は、毎年、夏休みには帰っていたんだけれど、子供たちも大きくなったし、10年前に母が亡くなって以来、帰っていないの。最近、どんどん日本語を忘れちゃって。私の日本語、下手くそでしょ?」


確かに、なかなか単語が出てこない時もあるけれど、日本人の話す日本語だという意味のことを伝えると、彼女は嬉しそうに笑った。

そんな母親の様子を見ながらラファが立ち上がった。


「僕は、そろそろ会社に戻るよ」

「もう、そんな時間?いってらっしゃい、お仕事楽しんで来なさい」

「仕事を楽しむって・・・ママ、らしいね。じゃ、行ってきます。Kouko,、Hasta luegoまたね!」


 そういうと、ラファエルは会社に戻って行った。

 

 誘ってくれたラファエルが居なくなり、私はどうすればいいのか?

いつまでも、お邪魔しているのも悪いし、とりあえず、目が覚める前にヒラルダを見ておきたいと立ち上がった。


「あ、では、私も」

「あら、もう?そうかヒラルダに行くんだったわね。今日は、無料の日ですものね」

「はい」

「上に行ったことある?」

「あります。階段じゃなくてスロープだから楽勝だと思っていたんですけど、頂上に着く頃にはヘロヘロでした」

「そうなのよ、スロープが狭いから、途中で諦めるってわけにはいかないしね。今日は、上がるの?」


 夢の中なら、上がるのもそんなに大変じゃないかもしれないと思った私は、

「そのつもりです」

 

 私の答えに、うんうんとうなずき、少し悪戯っぽい笑みを浮かべて私の方に向き直った。


「ご一緒していい?久しぶりにヒラルダに上がってみようかしら。最後に上ったのは、何年前だったかしらねぇ。」


 1人で、目が覚めるまでの限られた時間を満喫したいとも思ったけれど、会ったばかりなのに、前からの知り合いのような居心地の良さを感じる前子さんなら、まぁ、いいかという気持ちになる。


「ぜひ」

「良かった!ちょっと待って、すぐに支度してくるわね」


 前子さんが身支度を終える間、私は改めて部屋の中を見回した。とても重厚な棚にたぶん46インチぐらいの大きさのテレビが埋まっている。両脇には家族写真だろうか。若かりし頃の前子さんとご主人?の写真や子供の頃のラファエルとその兄弟かな?の写真が飾られている。

 その写真の裏にセピア色になった小さな写真が隠れている。日本の家のようだ。よく見ようと前に屈みこんだ私に


「あら、気がついた?その写真、実家で撮った写真なのよ」


 前子さんの声が不意に聞こえて、びくっとした私に


「ごめんなさい、驚かせちゃったわね。ふふ、スペインに来る前に実家で撮ったのよ」

「すみません、勝手に写真見ちゃって」

「見せるために飾ってるんだから。さ、出かけましょう」


 淡いピンク色のコートの裾をひるがえして前子さんは玄関を開けた。

 

**********


 午後の4時過ぎだというのに、外はまだ明るかった。

 私は外に出た瞬間に、目が覚めるのでは?と少し緊張したが、まだ、夢の中にいた。

 並んで歩く私に、前子さんの質問が止まらない。


「セビージャに着いてすぐにトゥリアーナに行ったなんて、あのエリアに思い入れがあるのね」

「ホームステイしていた家を見たかったんです」

「あら、じゃホストファミリーの方にも会ったの?」

「いえ、ピソの前には行ったんですけれど、目印の風車かざぐるまがなくなっていて・・・」

「風車?」

「外のプランターに風車が、花の代わりに刺してあったんですよ。それが目印だったんですけど。今日はその風車がなかったので、どの窓かわからなかったんです」

「あら、じゃ訪ねていけなかったのね」

「ええ、まぁ」

 

 毎回、偶然の出会いを期待しているというと、何故?と聞かれるのが予想できたし、自分でもその理由をうまく話せない。面倒くさいので私は曖昧にうなずいた。


 その後も、ホストファミリーのこと、留学していたアカデミーのこと、何を食べたかとか、セビージャのどこが好きかなど、取り止めのない話をしているうちに、私たちはヒラルダの塔に到着した。

 入り口付近は、さすがに無料日だけあって、長蛇の列ができていた。20代前半の女子グループは、ヒラルダをバッグに写真を撮りあっては、何がおかしいのか大笑いしている。


「あらあら、こんな時期だというのに、すごい行列ねぇ。かなり待ちそうね。私は、やっぱり今度にするわ。待っている間に、お腹空いちゃいそうだから。Koukoさんは、せっかく来たんだから、並ぶでしょ?そうだ、何か困ったことがあった時のために、これ」


 前子さんの手には小さな紙切れが握られていた。

 手を伸ばして、受け取った私に


「私の携帯の番号よ。困らなくても、日本語が恋しくなったら電話ちょうだいね。お会いできて嬉しかったわ。また訪ねてきてちょうだい。日本語でお話ししましょう。すごく楽しかったわ。じゃKoukoさん、ここでね。良い旅を!Buen viaje!」


 前子さんは、そいうと、またコートの裾をひるがえし、今きた道を戻って行った。

私はその後ろ姿を見送りながら、さて、どうしようかと思う。

 この行列に並んでいる間に目が覚めてしまうかもしれない。かと言って、どこに行けばいいのか?

 1人になって気がつけば、陽が傾き始め、辺りが薄暗くなってきている。

なんだか心細くなってきた。

このまま、目が覚めなかったらどうしよう。


いや、そもそも、夢じゃなくて、現実だったりして。

さっき、不意に声をかけられて、すごくびっくりしたのにもかかわらず、私は目が覚めないで、ここにいる。


本当に夢なの?

ほっぺをつねっても、普通に痛い。

寒さも感じる。

さっき、お味噌汁で火傷した舌が、まだヒリヒリしているし。


夢じゃないとしたら、この状況は何?


『テレポーテーション』『瞬間移動』


いやいやいや、そんなことがあるわけないよね。

不意に浮かんだ言葉を、私はとっさに打ち消した。


でも、じゃぁ、どうして目が覚めないの、私!


だんだん、薄暗さが濃さを増し、ますます不安になってくる。

まじで玄関の前からセビージャに瞬間移動しちゃってたとしたら、今晩、どうするの?

まさか、この寒空の下で野宿。

そんな、危険すぎる。怖すぎる。

だからと言って、パスポートを持っていないのだから、ホテルに泊まることさえできない。


どうしよう。


今、頼れる人と言ったら前子さんだけだ。

ヤバイ日本人だと思われても仕方がない。

とにかく、今は前子さんだ。

さっき、彼女がくれたメモがある。

電話してみよう。

私は、iPhoneを取り出した。


が、絶望がそこにあった。


なぜならiPhoneの画面左上に『圏外』と無情な表示が照らし出されたからだ。

そうか、ここはスペインだ。

日本じゃないんから圏外になるのは仕方がない。

えーっ、じゃ、本当に私、セビージャに


こうしては居られない。

私は、今さっき別れたばかりの前子さんを目指して走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る