第3話 【夢の中だからいいよねEs bueno porque está en un sueño】

「ペルドン(すみません)」

「いえ、こちらこそ、すみません」


 相手の謝罪に、とっさに私も返事を返す。

この衝撃で、目が覚めちゃうのでは?と心配したけれど、大丈夫なようだ。

 ぶつかった相手をよく見れば、ネイビーカラーのスーツを着た、30代前半ぐらいの男性だった。たぶんサラリーマンだろう。中肉中背で、髪と目は黒く、なんとなくアジアの血が入っているのかなと思わせる顔立ちだった。


「どこに行きたいですか?」


突然、サラリーマン君に聞かれ、反射的に答えてしまった。


「ヒラルダの塔」

「おお、ヒラルダ!今日は午後から無料で塔に登れる日だからね」

「火曜日?」

「Si, そうだよ。今日は火曜日だよ。道はわかる?あそこに見える高い塔がヒラルダだよ。セビージャのシンボルだ」

「ありがとう、大丈夫、道はわかるから」

「観光?いつきたの?何日いるの?」


やたらと質問が多いサラリーマンだ。


「ええ、まぁ」

私は曖昧に答えて、ヒラルダに向かって歩き出した。数歩行ったところで、また例のサラリーマンの声。


「チーナ?ハポネサ?」

「ハポネサ」

「トキオ、キヨト、オオサカ?」

「トキオ」


 声が近いなと横を見ると、ちゃっかり並んで歩いている。


「あなたはどこに行くの?」


なんとか追い払いたくて聞いてみる。


「ヒルゴハン イエ デ タベル。キミ、タベタ ヒル?」


急に片言の日本語を話し出したサラリーマンに驚いて


「日本語、話せるんですね」と聞いた私に


「ママ、ハポネサ。アナタ クル。 ヨロコブ ヨ ママ」


 それを聞いた途端、これスペインあるある!と笑ってしまった。というのも、日本人と判るや否や、その真偽の程は定かではないけれど、自分の身近に日本人がいることをアピールしてくるスペイン男性は多いような気がする。

 例えば、息子の嫁が日本人だとか、隣の奥さんの友達に日本人がいるとか。スペイン在住の日本人が少なくないんだろうとは思うけれど、そんなに都合よく身近にいるなんて、ありえなくない?と私は思っている。


だから、


「ああ、そうなんですね」


 私は、当たり障りのない返事をし、この男性から離れようと少し足を早めた。


 しかし、サラリーマン君も諦めない。


「今日は、日本食だって言ってましたよ。お昼まだなら、うちに来ませんか?」


 そういえば空腹だった。朝、トーストとコーヒーで簡単に済ませたのだから仕方がない。とは言え、見知らぬ男の家にノコノコついていくのは憚れる。

そんな私の気持ちを察したのか


「心配ないですよ。母もいるから」


スペイン語でまくしたてるサラリーマン君はさらに


「ぜひ、来てください。最近、日本語を忘れてしまいそうだと母が話していたんです。母と日本語で話してあげてください」


 どうせ夢なんだから・・・私の頭の中で、そんな考えが浮かんでは消え、消えては浮かぶ。空腹感はどんどん募る。実は、ヒラルダの近くで、適当にBarに入ってビールとタパスでも食べようと思っていたのだけれど。よ〜く考えたら、日本円しか持っていない。でも、夢なのだから、問題はないかもと思ったり。


 結局、私は、サラリーマン君の申し出を受けることにした。どうせ夢なんだし、何か事件に巻き込まれても現実じゃないのだから。でも、きっとこれでヒラルダの塔には、たぶん、たどり着けない。絶対、どこかの時点で起きてしまうから。でも近くに行かなくてもヒラルダは見えている。今回はこれで良しとしよう。次回、リアルで来た時に、ゆっくりとヒラルダを見に来よう。


「突然、伺って、迷惑じゃないんですか?」

「全然、大丈夫ですよ。気にしないで。そうだ、自己紹介がまだでしたね。僕の名前はラファエルです。ラファと呼んでください」

「Koukoです。少し変わっていますが、幸せな子と書いて、Koukoと読みます。」

「こーこ、素敵な響きですね。こーこ、一緒にランチしましょう。ママの日本食はおいしいですよ」


**********


 私たちは、いつの間にイサベル橋を渡り終え、クリストバル・コロン通りとレジェス・カトリコス通りが交差する交差点にいた。この交差点を境に、クリストバル・コロン通りはアルホナ通りになり、アルホナス通りを直進すれば、アルマス広場のバスターミナルにたどり着く。

 夢の中でも、ちゃんとセビージャのマップが頭の中に入っているんだなと自分でも感心してしまう。


 そんな、私の思いを知ってか知らずか、ラファエルは、どんどん歩いていく。

レジェス・カトリコス通りに向かって交差点を渡り、金物店の角を左に曲がってトラスタマラ通りに入る。

 この通りは、初めて歩く。どんな通りなのかは知らないけれど、様子からいえば、たぶんピソが並ぶ住宅街なんだろう。同じような建物が、ずっと並んでいる。


 深緑色の重厚なドアの前で、ラファエルが止まった。


「着いたよ、うちは3階なんだけど、エレベーターはないんだ」と申し訳なさそうに言う。

 

 3階っていうことは、日本なら4階。階段で上がるのはキツいなと思いながら、

「エスタ ビエン(大丈夫)」とやせ我慢だ。


息を切らせているのを気づかれないように、なんとか3階、いや4階にたどり着いた。


「ただいま。ママ、珍しいお客さんを連れてきたよ」

「お帰り。珍しいお客さん?」

「こーこ、さ、遠慮なく入って」

 

 息を整えながら、ラファエルに促されて、玄関に入った私を白髪混じりだけれど、黒髪を短く刈り上げた小柄な女性が出迎えてくれた。どこから、どう見ても日本人だった。ああ、彼は本当のことを話していたんだと、スペインあるあるとお腹の中で笑った自分が少し恥ずかしい。


「はじめまして、Koukoです。すみません、突然、お邪魔してしまって」

「あら、日本の方?」

「はい」

「まぁ、ラファ、ラファ、日本人のお嬢さんと知り合いだなんて聞いてないわよ」

「そりゃそうだよ。さっき会った人だから」

「さっき?観光でいらした方なの?まぁ、それは、それは。私、ラファの母親の前子です。前の子って書いて「さきこ」と読ませるから、日本人でもなかなか読んでくれないのよ」。


 久しぶりに日本人に会って嬉しかったのだろうか、前子さんのおしゃべりが止まらない。

 そんな母親に向かって

「ママ、トゥリアーナ橋で偶然、会ったんだ。お昼を食べていないというから、彼女を誘ったんだけど。一緒にランチいいかな?」

「もちろんよ、だけど珍しいわね、ラファが、そのナンパするなんて」

「ママ💢この間、日本語忘れちゃってるって話してたから。koukoを見た時、ママと話が合いそうな気がしたから連れてきたんだ」

「ラファったら、そんなこと気にしていたの。でも、ありがとう。Koukoさん、今日は和食を作ったのよ。どのくらいこちらに?久々の和食かしら。うちの子たちは、みんな和食で育ったのよ。Koukoさんのお口にも合うといいのだけれど」


 明るい笑顔でよく喋る彼女は、キッチンとリビングを行ったり来たりしてランチの支度を始めている。味噌の匂いと醤油の匂いが、充満した室内は、まさに日本の家庭だ。私は、夢の中でも嗅覚が働くのかと、少し驚いてもいる。


「あのお手伝いします。突然、伺って申し訳ないので」

「あら、いいのに。でも、そうね、じゃあ、お味噌汁、このカップによそってくれる?」

「はい」


 ほかほかのご飯にレタスとニンジンの味噌汁、そして豚の生姜焼き。定番の定食メニューだ。個性的なお味噌汁の具に、少し戸惑ったけれど、長くスペインに住んでいれば、そんなものかもしれない。いやいや、これは夢なのだから、ちょっとおかしい方が夢らしいじゃないか。


「遠慮なく食べてね、Koukoさん」

「ありがとうございます。いただきます」

 

 温かいお味噌汁を飲み、ご飯をひと口。そして、生姜焼きに手をつけると


「どお!おいしい?日本とは違うでしょう。」


 前子さんが、少し前のめりで感想を聞いてくる。


「すごく、おいしいです。日本にいるみたい」

「ああ、良かった。私ねしばらく、日本に帰っていないの。だから、日本食って言いながら、これでいいのか心配だったのよ。よかったわ、の日本人においしいって言ってもらえて」


 笑顔の前子さんの前で、生姜焼きを頬張っているのに、なぜだろう、目が覚める気が一切しない。というか、今まで、ずっと夢を見ていると思っていたけれど、本当に夢の中?こっそり太ももをつねってみたが、困ったことに痛い。お味噌汁は熱いし、生姜焼きは日本の定食屋さんに引けを取らないくらいおいしい。リアルすぎる。でも、これが夢じゃないという証拠もない。いったい、どうやって確かめればいいの?

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