第2話【始まりの始まり -El principio del principio-】

「間違えた」

玄関を出た瞬間にダウンジャケットを着たこと後悔した。想像以上に暖かかったのだ。

そういえば、今日は、季節外れの暖かさと、天気予報で言っていたことを思い出した。

「違うコートにしよう」

私は、部屋に戻ろうとして、足が止まった。

 「あれ?」

 目の前にあるはずの玄関が消えていた。

驚いた私は、キョロキョロと辺りを見回すと、、、、ごちゃごちゃと建ち並ぶマンション群が消え、ただただ真っ青な空が広がっていた。

「こんなに空、青かったけ?」

私は、頓珍漢とんちんかんなことを考えながら、もう一度、玄関があった場所を見ると、青空しかない。


 心臓がドキン、ドキンと急に大きな音を立てて鼓動し始め、その音に呼応するように、私の身体も震え出した。


「落ち着け」


 私は、自分に言い聞かせながら、目の前に広がる風景に目を凝らす。青空の下に広がる風景は、私がよく知っているあの場所だ。けれど、ここにあってはいけない、いや、私が今、居てはいけない場所なのだ。


もう一度私は、改めて

右を見、

左を見、

真正面を見、

そして最後に、足元を見た。


ああ、ここは。

やっぱり、そうだ。

間違いない。

幾度となく、この場所を思い返していたし、暇な時にはGoogle Earthで何度も通った場所だ。

それに、親しい人たちはもちろん、そうでない人たちにも「帰る」「帰りたい」と言っていたぐらい、大好きな場所。いつかは、PenPenを連れて移住しよう、そう決心している場所だ。だから、見間違えるはずがない。

けれど、どうして?なんで?


 私は、いつの間にか、スペインのセビージャ に居た。東京の自宅を出たはずなのに、だ。

 早朝、PenPenに手荒く起こされた後、ご飯をお出しして、夜明けの空を眺め、白湯を飲み、ワイドショーを見ながらトーストを食べ、コーヒーを飲んだ。そんな、いつもの朝を過ごし、買い物に出かけたはずなのに。

 スペイン南部に位置するアンダルシア州。その州都であるセビージャにかかる橋の一つ「イザベル2世橋」、通称「トゥリアーナ橋」の真ん中に、気がつけば立っていたのだ。

 橋の下を悠々と流れるのは、我らがグアダルキビル川だ。アラビア語で『大いなる川』という意味を持つこの川は、全長657km、流域面積は56,978㎢。アンダルシア州最大の河川だ。

 さらに言えば、グアダルキビル川は観光ポイントの1つだ。遊覧船が運行しているし、時々、川岸でイベントが行われていたりもする。川の東側に位置する旧市街にはヒラルダの塔やカテドラル(大聖堂)、アルカサル(王宮)、ユダヤ人街といった見所が点在しているのだ。

 そんな、セビージャ観光の要となる川の流れを眺めながら、私は、思った。

「これは夢だ」と。


 夢にしてはリアルすぎるような気もするけれど、明晰夢ということもある。ならば、こうしては居られない。目が覚める前に、セビージャの街を満喫しなければ。

まずはホームステイしていた場所を見に行こう。

 

 何年前になるだろうか、私はトゥリアーナ地区でホームステイをしていた。名目は、語学留学だったけれど、この街に魅了されて以来、どうやったらあの街に戻れるだろうかと考えた挙句に編み出した苦肉の策だった。

 当時勤めていた会社を退職し、雀の涙ほどの貯金を持って、私はセビージャに降り立った。留学期間は3ヶ月。私の財力では、それが限界だった。

 学校は、期待していたほど楽しくはなかったけれど、ホストファミリーやBarのカマレロ(ウエイター)、お客さんとの会話が楽しかった。何より、セビージャで暮らしているという事実が、私にとっては重要だったのだ。


 そんな思い出が詰まったトゥリアーナ地区に、私は急いで向かった。

 トゥリアーナ橋のたもとにある市場を過ぎると、以前はなかったフラメンコのカンタオーラ(歌い手)の銅像がある。その横を通り過ぎ、最初の交差点を渡るとサン・ホルヘ通りだ。ホームステイしていた頃は、雨が降ると水たまりができるようなボコボコ道だったのに、今は、舗装され、小さな商店がBarに変わっている。

ちょうどランチタイムらしい。どのテーブルも美味しそうな料理が並び、人々がおしゃべりの花を咲かせている。

話し声がわんわんと響くサン・ホルヘ通りをまっすぐ進み、次の交差点を越えるとサン・ハシント通りになる。角にある教会の横を通り、さらにまっすぐ進むと、当時、毎日のように通ったBarがある。その先の壁に囲まれたアルカルデ・ホセ・エルナンデス・ディアス広場を入ると目指すピソはすぐそこだ。広場の突き当たり、ビセンテ・フローレス・ナバロ通りに面したピソが、私が3ヶ月過ごした場所だ。

 セビージャを訪れるたびに、この場所に来るのだけれど、残念ながらホストファミリーのパトラにもルシアにも、当時4歳だったエリアにも会えたことがない。部屋を尋ねればいいのだけれど、突然、尋ねるのはハードルが高い。偶然の再開を期待しているのだが・・・・。

 しばらく待ってみたが、今回も、残念ながら会えなかった。この時間、きっとルシアはランチの用意をしているはずだ。さすがにお昼時に尋ねるのははばかられる。いかに夢だったとしてもだ。

 当時の思い出を振り返り、満足したところで、次の目的地ヒラルダの塔に向かうことにする。

 セビージャを訪れたら、必ず見なければ気が済まないヒラルダの塔。4年前、友人の家に滞在させてもらっていたのだが、セントロから離れている事もあり、友人の家からはヒラルダの塔が見えなかった。結局、帰る日の前日、どうしても見たくて、1人でヒラルダの塔に向かったのだ。しかし、途中で迷子になってしまった。人に道を聞こうにも誰もいない昼下がり、当方に暮れていたら、向こうの方から、勇しく歩いて来るセニョーラを発見した。なぜか手にスペイン国旗を持っている。

「すみません、セニョーラ、ヒラルダの塔には、どうやって行けばいいんでしょうか?」

「ヒラルダ?ちょうどそっち方面に行くから、一緒に行きましょう」

と、一緒に途中まで行ってくれることになった。

 10分ほど歩くと、ヒラルダの近くにある市役所広場までたどり着いた。

「ここまで来ればわかる?私はこっちに行くから。ここでお別れね。あなたのカスティジャーノ上手だったわ。良い旅を!」と言って、颯爽と去っていった。

「スペイン語上手って言われた」と、私はちょっと嬉しくなって、足取りも軽くヒラルダに向かったのだった。なぜ、国旗を手に持っていたのかは、聞けずじまいだったが、その時に見たヒラルダが、いつもより親しみやすく感じたのは、気のせいではないだろう。

 そんなことを思い出しながら、まだ、ランチで賑わうサン・ハシント通り、サン・ホルヘ通りを過ぎ、トゥリアーナ橋のたもとまで戻ってきた。

 たもとにある市場も寄りたい場所の一つだ。この市場の地下には、遺跡がある。ずっと手付かずの状態だったのだが、一昨年に来た時に、なんと整備されていたのだ。せっかくだから、もう一度見たいと思うのだが、いつ目が覚めるか分からない今、優先順位はヒラルダの方が上だろう。ヒラルダに行った後に、まだ、夢の中にいるのなら、またここに戻って来ればいい。そう考えて、急ぎ足で向かおうとした瞬間、ドン!という衝撃音が耳の奥でこだました。



 


 






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