たぬきのおかげ

halimo

たぬきのおかげ

 こんなところにもあるのか。

 薄暗い待合室を抜けた廊下の少し奥に、煌々と輝く馴染みのコンビニ看板があった。

 今は夜中の3時を少し回ったところ。

 企業努力なのか、それとも病院となんらかの取り決めを交わしているのだろうか。

 24時間営業恐れ入る。

 覗き込んでみる。ぼさぼさ頭で、青髭が目立つ少し腹の出た中年店員がぽつんと一人。店内に客は無し。

 若い女性店員だと入りづらいが、そのもさっとした男のおかげで急に店に親近感がわいてくる。

 店内に入る。別にいらっしゃいませとも言われない。

 もしかしたら何か言っていたのかもしれないな。もごもご口を動かしているようにも見えたが。気のせいか。まあいい大変結構。それくらい不愛想な方が気兼ねなくて良い。

 それに店員さんあんたも眠いんだろう。こんな時間だしな。わかるよ俺も眠い。

 店にはぎっしりと商品が詰まった陳列棚が4つほど。

 栄養ドリンクに漫画雑誌。お茶コーヒージュースにサンドイッチ髭剃りコピー用紙。スリッパにタオルに食器洗剤マヨネーズトランプ。なんでもある。

 さっさと買い物を済ませて病室に戻ろうと思っていたが、商品を見始めるとあれこれ気になって仕方がない。

 チップスだけでも大量にある。固いのから高いのから辛いのからチョコレートのかかったものまで。子供向けのアニメのイラストが付いたものだってある。選り取り見取りだ。

 ふと思いついてその横の壁のドリンク棚を見る。

「さすがに病院じゃ売ってないか…」

 アルコールのアの字もない。

 そりゃそうか。そりゃそうだわな。いやあっても飲まないけど。確認しただけ。

 いくらコンビニとは言え、欲しい物が売ってないこともあるよな。選び放題ってわけじゃない。選ばせてもらえないこともある。少し寂しく納得して別の棚を見ると、カップ麺のコーナー。

 見慣れたラベル達にまじって赤のうどんと緑のそば。

 カップ麺、どれぐらい食べたかな。新商品が出るたびにあれこれ買ってみては、でも結局のところこの赤と緑に落ち着いた。

 新しい食べ方があるとうわさを聞いて試してみたが、でもやっぱり湯を注いでうどんは5分、そばは3分。これが一番だった。

 そりゃそうだ。容器に書いてあるのが、一番おいしい調理方法に決まってる。

 そういえば…娘は子供のころから、赤いきつねが大好きで、土曜日の塾の前には決まってそいつをすすってからでかけていった。

 こっちはどうだと緑をすすめてみるが、結局赤が良いと6年間。

 時間が無い時は緑にすればいいのに。と俺はなおも言った。

 こっちは3分だぞ3分。赤よりも2分早く出来上がる。

 忙しい時の2分は大事だ貴重だぞ。結構しつこかったかもしれない。

 でもあわただしく準備をしつつ、娘は頑なに赤い方を食べ続けた。

 このつるつる麺でやる気になると。

 甘くふっくらジューシーなおあげさんが脳のパワーになるんだと。

 それにその2分の間も支度をすればいいじゃない。効率的でしょ?

 娘は片眉を吊り上げて得意気に言って笑った。

 赤と緑の対決は、いつまでたっても平行線だった。

 まったくゆずらない。頑固者め。誰に似たのか…。

 さてどうしたものかと赤と緑をそれぞれ手に取る。

 胃にやさしそうな赤にするか。

 それともこんな夜にふさわしい緑にするか。


 たぬきの蓋をめくる。

 ふわっと香ばしいかきあげてんぷらの香りが鼻をくすぐる。

 粉末のつゆを入れ、店内に置いてある電気ポットの湯を注ぐ。

 湯気が立つ。

 だしの香りを蓋で閉じこめ、割りばしをのせる。

 コンビニ袋をひじにひっかけ、白い蛍光灯まばゆい店内から、冷えた薄暗い病院の待合室へ、容器の汁をこぼさぬようにそろりと移動。

 壁の大きな時計の針は午前4時27分を指していた。そろそろ空も白み始める。

 妻に頼まれていたミネラルウォーターとスポーツドリンク、ヨーグルトの入った袋を脇におき、ひんやりとしたビニールレザーのロビーベンチに腰をかけ、湯と麺の入ったポリスチレン容器を両手で包む。

 暖かさが手にじんわり伝わる。

 なんとなく愛し気に、まあるい容器を撫でてみる。

 こんな感じかな。うむうむ。悪くないな。悪くない。ほーらほら…。

 あの店員が怪訝な顔でこちらを見ていたような気もするが、まあいい。

 そんなことをしながらきっちり三分。

 蓋をはがし、まだ少し硬いかきあげを割りばしで汁に沈める。てんぷらの上には溶け残りのだしの粉だ。それを湯に溶かし、うっすら油の浮いたやや熱めのつゆをすする。冷えた体に食道があるのを感じる。

 ふぅ…。白い息が暗闇に散る。

 麺をすする。


 喧嘩をした。

 一人娘でかわいくて、そして幸せを願っていた。

 勉強ができれば選択肢が増える。将来やりたいことができるようになるんだと呪文のように繰り返した。

 塾にもたくさん通わせた。100点を喜び、成績が落ちれば何が悪かったのかと問い詰めるようになった。

 やりたいことがある。高校三年のある日彼女は言った。

 デザイナーになりたいんだと。

 国立の大学を目指しているとばかり思っていた。それがどうして。

 絵で食べていく事がどんなに大変な世界か分かっているのかと俺は否定した。お前のそれは逃げじゃないのかと。

 その言葉は彼女にとって、自分の存在自体を否定するものに聞こえたのかもしれない。

「私は選んだんだ」彼女は言った。

「選択肢が増えるってずっと言ってたのに、お父さんの気に入らない選択肢だったら、私は選ばせてもらえないの?」

 何度かの衝突の後、彼女は家を出ていった。

 その日の夜、妻がテーブルに、スケッチブックを何冊も広げた。どれも隅々までびっしりと絵が描きこまれてあった。あの子の部屋にはまだたくさんあるの。もっとあの子の本当の姿を見てあげて欲しかった。そう言われた。

 廊下の光が差し込む彼女の部屋は、たくさんの絵で溢れかえっていた。

 知らない娘の姿だった。いつの間にか何も知らなくなっていたんだ。

 10年前の事だ。


 つゆのなかに、くずれて浮かぶてんぷらをいくつか残すだけになった。

 最後はトロトロになったそれを粥でも掬うように割りばしで舌にのせた。

 小エビの風味を残して口の中で、跡形もなくふわりと消えていく。

 夜中のそばは、うまかった。



「あなたいつまでかかってたの?!」

 病室に戻る途中、廊下の角で立っていた妻が声をかけてきた。

「あの子もう移動したの、ほら急いで!」

 道すがら、あと30秒待って戻ってこなければ置いていこうと思っていた、と小言を言われた。

 いや…まだ時間は大丈夫だからって、おまえに買い物を頼まれて出かけていたのに理不尽じゃないだろうか。

 そう思いつつ、入り組んだ廊下を進み分娩室へ急ぐ。

 扉の前に立ったちょうどその時、向こうから今まさに生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。

「…え…もう産まれたのか?」

「そうみたいね。ほら、おじいちゃんになったのよ」

 間に合ったわねと妻は笑った。

「そうか……おじいちゃんか…」

 そしてあの子は母親になったのだ。


 白い光の差し込む病室のベッドで娘だけが横になっていた。

 赤ちゃんはまだ新生児室だそうだ。

 何も言葉が見つからず、そわそわとあたりを見回す。

 壁に可愛らしい動物達のイラストに囲まれて孫の名前が書かれた色紙が貼られていた。

「それ…。私が描いたのよ」

 彼女が言った。バイトしながら専門学校を出て、あちらでちゃんと絵に関わる仕事に就けたのだと。web関連の会社だとか何とか。

「超スピード出産だったって。先生にびっくりされちゃった」へへへと笑う。

 旦那は仕事で遅れて今日の午後に到着の予定だそうだ。職場の先輩だという。大事なこんな時に遅れるなんて、くそうなんて言ってやろうか。

「そう言えばお父さん、買い物から全然戻ってこなかったって…」

 すこし責めるように彼女は言った。

「ぎりぎりで間に合ったって、お母さん文句言ってたよ」

 何か言おうとしたけれど、もごもごとすぐにはうまく言葉が出なかった。

「そば…食ってたんだ。…緑のたぬき」最近主張し始めたお腹をさする。

 娘はあきれた顔。

「それずっと食べてたよね?私が子供のころから何年も何年も」

 そうだったか?他のも食べてただろ?

「そうだったって」と娘は笑う。

 そうか…そうだったかもしれないな。

「まあでも…」

 俺は言葉をつづける。

「もしもきつねを食べてたら、かあさんに置いて行かれるところだった。たぬきのおかげで2分余裕があったから間に合ったんだ。昔から言ってただろ?やっぱり緑がいいんだって」俺が少し得意気に言う。

 あの頃の赤と緑の対決だ。

 娘は片眉を吊り上げて、

「でもきっとこれからは2対1。私の赤ちゃんは絶対きつね派よ。だってつるつるお肌にふっくらジューシーほっぺちゃんだからね」

 なんだそれ。何言ってんだおまえはと言おうとしたけれど、涙で最後まで言葉にすることは出来なかった。


 娘にあの頃の事を何度も詫びた。

 そして最後は二人で笑った。

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