08話.[頑張ってみよう]

「あんたね、そこは文菜だけって言いなさいよ」


 昨日のことを説明したら馬鹿だわーとでも言いたげな顔で見られてしまった。

 でも、仕方がない。

 そこではっきり言えるような人間だったら非モテではなかったことだろう。


「いやだって……」

「いやもだってもありえないのよ、なんでそこでヘタるのよ」

「じ、実際に求められたらやっぱり変わるよ」

「私からのそれでも?」

「だからそうだよ」


 可能性があるとしたらそのふたりしかありえないんだから。

 どれだけ頑張って抑えてきても小さなことで駄目になることだってあるんだ。

 僕の気持ちが悪い願望だけ、というわけでもないだろうし……。


「言っておくけどね、あんたのことは人間として好きってだけだからね? 頼ったのだってあんたの家にはよく行っていたからよ」

「あ、うん、それはいいんだけどさ」

「つまり、求められるかどうかも分かっていないのにそう言ったってこと?」

「……そういうことになるね」


 僕だって言うのをやめようとしたんだ。

 だが、あそこで「言って」と言われてしまったらそうするしかなくなる。

 もし断っていたらどうなっていたのか分からないから。

 僕らはまだまだそんな一瞬で終わってしまうような関係だと思うんだ。

 だったらなるべくできることはしていた方がいい。


「よく分からないわね、変なところでヘタったりするのに」

「まあ、僕だってそういうことには興味があるというだけだよ。で、関わってくれているのはふたりだけだから、可能性があるとしたらという……」


 もうこの時点で異性側からすれば気持ちが悪い思考や発言ということか。

 確かにああいうことを言われたからって求められる的なことを考えてしまうのはおかしいか。

 じゃあまあ、これからはとにかくそういうのを気をつけつつ動くだけだ。

 何度も同じような失敗を重ねるような人間でもないし、意識していれば相手を不快な気持ちにさせてしまうようなことはないはずだった。


「あ、おかえり」

「ただいま」

「立端君とどんな話をしていたの?」

「ヘタれ野郎という話をしたわ」


 僕がぐいぐいいけるような人間だったら間違いなくこうしてふたりが来てくれることはなかった。

 とっくの昔になんだこいつという風に見られてやっぱり終わっていたことだろう。


「立端君は優柔不断かもしれないけどヘタれてはいないよ」

「ふっ、優しいのね」

「だって立端君が優しいからね」

「なるほど、相手が優しいから自分もできるということね」

「うん、嫌な子が相手だったら同じようにはできないから」


 ちなみにそれはこちらもそうだった。

 あまりにも自由にやられていたら煽ってしまうこともあるかもしれない。

 荒谷君があそこで折れてくれたからよかったものの、そうでもなければどうなっていたのか。

 それで彼女に嫌われていた可能性だってあったんだ。

 ただ、僕だってなんでも流せるわけではなかった。


「あ、文菜がどういう風に考えているのは分からないけど、立端に対する特別な気持ちとかそういうのはないからね?」

「え、なんで急に……?」

「だってこの前私を優先しているとか言って叫んでいたじゃない」

「えっ、な、なんでそれを知っているのっ?」

「そんなの近くに隠れていたからに決まっているじゃない」


 えぇ、早く帰らせるために早めに解散しているのにそれでは意味がないぞ。

 この子はこの子で色々と大変な存在だった。

 本当にもう少しぐらいは気をつけてほしいとしか言えない。


「ただ、怖かったのは事実だから少し活動は休むわ」

「私も当分の間は三十分にするつもりだから」

「そうした方がいいわ、立端に送ってもらえるとしてもね」


 というか、もう『猫を愛でる』ことが活動ではなくて喋ることがメインになってしまっているから無理して僕の家に行く必要はない感じになってしまっていた。

 ハルカに触りたいということなら構わないが、喋りたいだけだったら学校に残って会話をしていくというのもいいかもしれない。

 それもまた三十分程度に抑えれば怪しい人間と出会うということもないだろう。

 あとはとにかく彼女達が夜に出たりしないことを願うしかない。


「そんなに活動時間を減らしたの?」

「あ、久しぶりだね」

「久しぶり、それでどうして減らしたの?」


 事情を説明したら「あ、この前沙莉を追ったのは私だよ」と衝撃的なことを言ってくれたという。

 案の定、追われて怖い思いを味わったうえに地野さん的には恥ずかしいところを僕に見られることになった彼女は「ふ、ふざけんじゃないわよ!」と。


「声をかけようとしたけど無理だった、沙莉が余りにも速すぎて」

「「そうだったんだ」」

「……じゃあ私は珠花から滅茶苦茶必死で逃げていたってこと?」

「うん」


 勘違いで逃げてしまったことよりその後のことが気になっていそうだ。

 いまは予鈴が鳴ってくれたから強制的に解散になってよかったが、次に集まったときにどうなるのかは分からない。

 こちらは忘れる約束を本人としているから見守ろうと決めて意識を切り替えた。




「結局、来てくれなかったね」

「うん、だけど勘違いだったことが分かったら僕でも多分そうなるよ」


 それでも半日でなんとかしてくるんじゃないかと想像していた。

 ちなみに珠花は今日も来なかったから加藤さんとふたりきりだ。

 学校に残らないかと誘ってみたものの、すぐに「立端君の家の方がいい」と言われて従うことになったわけだ。


「あの言い方だと立端君は振られちゃったんだね」

「そうだね、人として好きだとは言ってくれたから嬉しかったけど」

「じゃあ、大切なのは私と立端君の気持ち、だけだよね?」

「そうだね」


 今日は珍しく彼女がいてもこちらの足の上で休んでくれているから撫でていた。

 そういう癒やしパワーがないと少しついていけなくなるというのもある。

 すぐにこういう話題になるから試されているようなものだし……。


「一年生のときから文句も言わずに付き合ってくれた立端君が好きだよ」

「ありがとう、だけどこの前も言ったように下心が沢山あったからね」

「それでもだよ、馬鹿にする人も多い中で立端君はそれもせずにずっと付き合ってくれたんだからさ」

「それも結局加藤さんが一緒にいてくれたからだよ」


 部活のときだけではなく休み時間なんかにも来てくれた。

 ひとりならひとりなりに上手くやっていくしかないからそのときのことを考えても無駄ではあるが、そうならずに済んだのはとにかく彼女のおかげだからだ。

 もうそういう存在がいてくれると遥かに楽しくなるから本当にありがたいことで。


「荒谷君にだって本当は煽ろうとしたわけではなかったんでしょ? 無駄なんて言わないであげてって言ってくれたんでしょ?」

「本人が無駄だからと辞めたならともかくとして、加藤さんは毎日活発的に活動していたからだよ」


 あの最初のときに言えなかったことだけはださいことだった。

 後からだったら誰だってああ言える、だが、実際に地野さんみたいにすぐに動くことというのは勇気がいることなんだ。


「地野さんにはやっぱり敵わないよ、実際に動けたのは彼女だけだ」


 直接ああ言われたからこそ荒谷君も言い過ぎたと謝ろうとしたに違いない。

 あと、あれがあったからこそ僕との件もあそこで折れてくれたはずで。

 本当に地野さん様様というか、いてくれなければどうなっていたのか……と不安になってくるというか。


「沙莉ちゃんとは長いからね、何度も助けてもらったよ」

「去年の僕に加藤さんはずっとそういう風にしてくれていたよね」

「え、助けられてた?」

「うん、放課後になったら加藤さんと活動できるからってことで頑張ったことや乗り越えられたことがあるよ」


 それでも余裕がないと付いていくことすら難しかったから辞めるとか言い出してしまったけど……。

 あれも後悔している、ただ、そこまで引っかかっているというわけではない。

 過去のことばかりに意識を向けていたところで転んでしまうだけだから前を向いて頑張っていた。

 それで何故かいまはこうなっているというわけだ。


「休み時間にだって変わらず来てくれたからね」

「それは部活仲間だったし、友達だと思っていたから……」

「うん、だからそういうのも全部僕の力になっていたということだよ」


 なかなかできることではない。

 相手が面白かったり魅力的な存在だったらともかくとして、残念ながら僕はそのどちらにも該当しないから。

 下手をしたら名字すら覚えられないまま終わっていく可能性だってあるような存在だから。

 ……自覚していなかっただけで四月の頃から実は彼女とそういう関係になりたいと行動してしまっていたのかもしれない。

 気持ち悪がられなかったのは彼女がとにかく猫に集中していたからだろう。


「じゃあまずは名前、名前で呼んでみますか」

「そうだね、えっと、文菜さん」

「さんはいいよー、えっと、哲義君」

「それこそ呼び捨てでいいよ」

「いやっ、哲義君は哲義君だよ!」


 特にこだわりもないから好きに呼んでもらおうと決めた

 それとこれだけで物凄くドキドキした、なんてことはなかった。

 いきなりではないし、一緒にいた時間的にもおかしなことではないからというのはある。


「なんか……恥ずかしいな」

「え、そう?」

「うん、名前で呼ぶことは全くしてこなかったからさ」


 彼女は横髪をいじりつつ「荒谷君とか他の子の名前だって呼んでないよ」と重ねて言ってきた。

 そういえばそうだった、彼女にはこだわりがあるということか。


「哲義君はなんか慣れている感じだね」

「不安なところはあるよ、ひとつのミスで終わってしまうかもしれないからね」

「……別にそこまで厳しくないんですけど」

「ははは、だけど気をつけておいた方がいいからさ」


 距離感を見誤って嫌われてしまっても嫌だから難しかった。

 とはいえ、こうなってくると求めすぎないのも問題になってくるわけだ。

 え、というか、関係ってどうなっているんだろうか?

 って、あくまでこれからの話かと片付ける。


「ところで、どうしてハルカちゃんの尻尾が太くなっているんだろう……」


 その割には丸まっているだけだから余計に気になるんだろう。

 頭を撫でても攻撃してくるわけでもないし、益々よく分からない状態となる。


「あ、もしかして私に哲義君を取られちゃうと思っているのかな?」

「え、そんなことあるのかな……」

「ほら、この前まで荒れていたのだってさ」


 そうか、そういう可能性もこの前の荒れ具合を見るとゼロではないのか。

 大丈夫だよと言って再度撫でてみたら一度こちらを見てきてからまた目を閉じた。

 心配しなくても家ではほとんどひとりなんだから安心してほしい。

 そういうときだけ利用しているみたいになってしまうが、少なくとも僕にそういうつもりはないから信じてほしかった。


「ハルカちゃー、うわ!? や、やっぱりそうだよ!」

「はははっ」

「笑い事じゃないから!」


 それでも怪我に繋がりかねないから止めておいた。

 彼女は少し拗ねたような顔で「意地悪」と言って睨んできていたものの、ごめんと謝ったらすぐに戻ってくれて安心できた。


「いいや、ここに来るまでの間は独占すればいいんだしね」

「他の人も文菜さんと過ごしたいだろうからね」

「あ、そうか、それなら家に来るまでの間はそうしよう」

「どうするの?」

「そんなの手を繋いだりとかしたいでしょ」


 僕が考えているよりは気に入ってくれているみたいだ。

 彼女と手を繋いで歩いているところを想像しただけでなんか不思議な気持ちになってくる。

 元々一定の時間はふたりきりでいたからそこまで違和感があるというわけではないものの、あくまで付いていくだけだったあの頃からすればね。


「はい、ちょっと練習」

「うん」

「あっ」

「え? あ、力が強かった?」


 そのまま黙られてしまうとこちらとしてはどうしようもない。

 一旦離そうとしたらぎゅっと掴んできたし、理解できる日は延々にこなさそうだ。


「……えっと、これをしながら歩きたいっていま私は言ったんだよね?」

「うん」

「だ、大胆すぎたかな?」

「抱きしめたいとかそういうことではないんだから大丈夫だよ」


 流石にいきなりそんなことを言われたら驚いてしまう。

 そもそも現在の関係が曖昧すぎるから調子に乗らないためにもはっきりしてもらいたいところだった。

 手を繋いだりなんかしたらもしかしたらがばっと抱きしめたくなってしまうかもしれないし……。


「え、そういうこともしたかったんだけど……」

「そ、外じゃないなら……」

「じゃ、じゃあちょっとハルカちゃんをさ」


 って、まさかいきなりそうなるなんて。

 なんで最近になって急にこんなに変わったんだろうか?

 僕らはあくまで普通に一緒に過ごしていただけ、特別仲が深まるようなことなんてなかったはずだけど……。


「するよ?」

「うん」


 それこそ結構力強くこられていろいろな意味で心臓が跳ねた。

 僕よりは身長が低いからもしかしたら聞かれてしまっているかもしれない。

 こうなってしまったらとこちらも同じようにしてみたが、冗談抜きでどれぐらい力を込めたらいいのか分からなくてずっと心配になっていた。


「ありがとう」

「うん」


 終わってみたらこちらの方が慌てているというのもなんだかなあ……。

 もう少し先程みたいな感じでいてくれればすぐに落ち着けたのに……。


「哲義君とこうするときがくるなんてね」

「文菜さんのおかげだよ」

「だから哲義君が優しかったからだよ」

「はは、そっか」


 大人な対応ができるハルカは彼女の足の上で既に休んでいた。

 これからもハルカがいる限りはこうして来てもらえるから安心できる。

 ただ、僕だけでも来てくれるようになってくれればいいかな、と。


「さて、明日からはちゃんと沙莉ちゃんにも来てもらわないとね」

「そうだね、ハルカだって地野さんに会いがっているから」

「そろそろ名前で呼んでもいいと思うよ、沙莉ちゃんは哲義君のことを気に入っているからさ」

「あ、じゃあ明日言ってみるよ」

「うん、そうした方がいいよ」


 よし、それなら明日はそれで頑張ってみよう。

 なんとなく上手くできる自信しかなかった。

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