中編

   

 吉見さんは、よく一緒に遊んだ仲良しグループの一人だ。

「ほら、倉田くん! ここじゃ見つかっちゃうよ? 場所変えよう!」

 かくれんぼの最中さなか、彼女に文字通り背中を押されて、隠れていた墓石の陰から追い出されたこともあったし、

「倉田くん、もう疲れたの? じゃあ、私が引っ張ってってあげる!」

 学校の遠足で山登りをした時、途中から手を引いてくれたこともあった。特に、彼女の手の感触は妙に記憶に残っており、「女の子の手って柔らかいんだな」と、僕が初めて異性を意識するきっかけにもなった。

 本来、まだ男の子だとか女の子だとか、そういう目で見ていなかった年頃だ。彼女はスキンシップの多い女の子であり、いったん意識してしまうと、彼女に触ったり触られたりしただけで、少しドキッとするようになった。

 今思えば、あれが僕の初恋だったのかもしれない。

 この田舎を去る時に名残惜しく思ったのも、吉見さんの存在があったからだろう。


 東京に引っ越して、新しい中学に通い始めてからも、しばらくは都会生活に馴染めず、友人関係も築けなかった。ついつい田舎の友達のことを思い出してしまい、その中には、吉見さんの笑顔が何度も出てきた。

 イマジナリーフレンドではないが、昔の友達と遊ぶことを妄想するのは、それに近いのだろうか。僕の妄想の中で、吉見さんや他の仲間たちは、いつまでも小学生の姿ではなく、僕と一緒に歳をとっていき……。


「もしかして、倉田くん?」

 急に声をかけられて、ハッとする。

 頭に浮かぶ回想をかき消して、慌てて振り返ると、一人の女性が立っていた。

 清楚な白いワンピースと、艶やかな長い黒髪。その白と黒のコントラストが美しい。しかも、見覚えのある顔立ちだった。

 たった今、僕が思い浮かべていた女性。僕の妄想の中で、僕と同じように自然に年齢を重ねていった女性。あの吉見さんにそっくりだった。

「吉見さん……だよね?」

「うん、久しぶり。元気だった?」


「ああ、吉見さん!」

 僕は両手を広げて、思わず彼女に抱きつきそうになった。特に思春期のハイティーンの頃、色々と妄想していた弊害だろう。現実では、いきなり女性に抱きつくのは問題がある。その程度は、僕もきちんと理解していた。

 たとえ小さい頃の吉見さんがスキンシップ好きな女の子だったとしても、それは子供だったからだ。いい歳した大人になった今では、話が違うはず。

 実際、吉見さんは目を丸くしていた。

「あら、やだ。倉田くん、都会へ出たせいで変わっちゃった? 気安く女性に手を出すような男になったの?」

「いや、これは……」

 広げていた手をダラリと垂らして、急いで言葉を続ける。

「……アメリカ帰りのせいかな。大学院を出た後、最初に見つかった働き口がアメリカの大学でね。去年まで、あっちで暮らしてたんだ」

「大学に勤務ってことは、倉田くん、先生になったの? しかもアメリカの大学って……。英語の先生? いや逆かな。アメリカ人に日本語を教えるの?」

「先生じゃないよ。生物系の研究職でね。僕の専門分野だと、日本より外国の方が仕事が探しやすくて……。あっちの大学、日本よりたくさん研究員を雇ってくれるから」

「そっか。学者さんか。しかもアメリカか。凄いな……」

「凄くないよ。それに、アメリカにいたのは去年まで。今は関西の小さな研究所で働いてる」

 そもそもアメリカの件を口にしたのは、外国暮らしを誇りたかったわけではない。抱きつこうとしたのを言い訳するためだった。

 日本と違ってハグの習慣があるから、それがつい出てしまった、と言いたかったのだ。

 しかし実際のところ、アメリカでも男女間のハグというのは、ドラマで見るほど多くはないのかもしれない。何年間も過ごしたけれど、僕が女の子とハグできたのは、帰国前の「元気でね! さよなら!」の一度だけだった。


「僕の方は、そんな感じだけど……。吉見さんは? あれから、どうしてた?」

「うん。特に面白い話はないよ」

 吉見さんは、寂しげな笑みを浮かべる。

「私の方は……。ずっと村の中だからね。今でも、この場所から離れられないのよ」

「そうなのか……」

 もう大人なのだから、田舎に縛られることなく、その気があれば都会へ出ることも可能なはず。でもこの土地にとどまっているのだから、吉見さんには吉見さんなりの理由があるのだろう。

 彼女の事情には興味あるけれど、吉見さんから見れば、僕は偶然再会しただけの昔の友達に過ぎない。詳しく語ろうという様子はなかった。

 心細くも見える彼女をギュッと抱き寄せて、その気持ちを解きほぐせるような仲ならば、色々と聞き出せるだろうに……。

「あら、やだ。倉田くん、また私を抱きしめたい、って顔してるよ?」

 気持ちを見透かされたようでドキッとする。

 彼女に触りたいけれど触れない。それは心得ているつもりだった。

 昔の吉見さんならば、向こうから僕にスキンシップしてきただろうに、今は違う。これが、大人になったということだ。

「そういうところは変わらないのね。倉田くんって昔から、思ってることが顔に出るタイプだったよね」

「え?」

「倉田くん、実は私のこと好きだったでしょ? 早く告白してこないかな、ってちょっと待ってたのに……。最後まで言ってくれなくて、残念だったよ」

 思いもよらぬ打ち明け話に、僕は思いっきり驚かされる。

 吉見さんが僕の初恋相手だとしても、当時は僕自身、恋心を自覚していなかった。僕の吉見さんへの想いは、会えなくなった後、妄想の中で彼女と遊ぶうちに膨らんでいったものだ。

 それなのに、本人である僕よりも早く、僕の気持ちの萌芽に気づいていたなんて……。やはり女の子の方が早熟なのだろうか。

「ま、今さら言っても仕方ないけどね。私は私、倉田くんは倉田くん。それぞれ別々の人生をあゆんじゃったもの」

   

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