第51話 桃花




「アテンションプリーズ」





 そんなアナウンスとともに私を乗せた飛行機は天空の綿飴を降下する。





雪音ゆきね大丈夫?」



 隣には私の手を握り顔色を伺う桃色の瞳が映り込む。


 その左手の薬指には……藤の花。



千姫せんき……ダメかも」



 震える私は顔面蒼白。

 最愛の人の前でこんな姿を見せるなんて。



「雪音が高所恐怖症だったとは……ははっ。まだ知らないことがいっぱいだよ」


 心配してくれているけどその声には若干のいじらしさが垣間見える。


 ぎゅぅぅぅ


「いたたたっ……ごめんごめん」


 私は左手で彼の手の甲をつねり上げて少し涙目になりながら訴えた。


 もちろん薬指には……桃の花。


「だいたい鉄の塊が空を飛ぶなんておかしいのよ……どうなってるの? ねぇ!」

「人間の英智かな……」


「そんな真面目な答え聞いてないんですけどぉ」


 今度は彼のほっぺたをつねる。


「いふぁいよゆふぃねぇ」

「ふふっ変な顔」


 少しだけ気持ちが楽になった。彼の温もりを肌で感じながら心のメトロノームを整える。一度止まってしまった彼のメトロノームは、もう一度音を奏でて私とともにある。


 だから今日という日に報告したかったの。



 彼の両親に。




「雪音、手を握ろう」

「うん……離さないでね」

「もちろん……だって僕達は」



 決して離さない。




 降り立った大地は少し肌寒く風の音は冬の季節を連れてくる。


「じゃあ、行こっか」

「うん! エスコートよろしく〜」


「はいはい」

「はいは、一回っ!」

「わん!」


「ふふっ、何それ」

桃太郎ももたろうの真似」

「似てないし……うふふふっ」



 空港から見上げた空は私達を歓迎するかのような晴天。雲ひとつない空とはこの事かな。肌寒くも暖かな日差しを浴びあながら彼のトレンチコートのポケットに手を入れる。


「なっ!」

「んふふっ。ドキドキした?」

「もうっ……雪音はずるいよ」


 ほんの少しだけ目線を上げると彼の瞳が弓なりに。


「……千姫もずるい」

「ん?」

「ひとりだけ背が伸びて」


 あの時は私と背がそれほど変わらなかったのに同じ目線で彼を見る事ができたのに……今はヒールを履かないと届かない。



「雪音だってその……成長したよ?」

「どの辺が?」


 チラリと見る彼の目線が私の一部を捉えて目線を逸らして別の方へ。


「か、髪の毛とか……その、キレイだよ」

「ばかばかばーかっ! 千姫のあほぉ! どうせ私はちっちゃいですぅ!」


 まったく!

 千姫はまったくだよホント!



「いや、でもほらアレだよ? 手に収まる感じがいいと言うか清楚で可憐で慎ましやかで雪のように白くて柔らかくて、優しく包まれる感じ?」

「こんな所でそんな事言うなぁぁ」


 恥ずかしげもなくペラペラと桃色発言をする彼はいつものようにおどけてた。



「まぁまぁ、直接的じゃないからセーフ?」

「間接的でもアウトだよっ! 関節技を決めちゃうよ?」


「それは……夜にお願いします」

「もうっ!」


 私達の会話は相も変わらずこんな感じ。


「桃太郎、元気にしてるかなぁ」

「ソラが面倒見てくれてるから大丈夫だよ」


「確かにそれなら安心だけど……連れて来たかったな」

「まぁまぁ、お土産買って行こ?」

「だね!」


 日本に残してきた桃太郎を想いながらタクシーに乗車する。



((行先は?))

((フラワーガーデン教会でお願いします))


((あいよ! 兄ちゃん達観光かい?))

((はい。それと両親に報告を))


((そうか、楽しんで行くといい))

((ありがとうございます))



「…………」

「どうしたの雪音?」


 彼と運転手の会話を聞いていると自然とポーっとなってしまった。


「千姫……英語喋れたんだ」

「惚れた?」


 正直惚れた。

 いやそれよりもっと。


「……惚れ直した」

「ありがとう。今日は僕の勝ちかな?」


「まだ始まったばかりだし、負けてないし、うるさいし」

「飛行機で半べそかいてたのは誰かな?」

「うるさいしっ!!」


 笑う彼の胸をポカポカ叩く。

 海外だからか彼は余裕の表情で私をからかってくる。


((はっはっはっ!  夫婦喧嘩は程々にな))


「「……はい」」


 夫婦喧嘩という単語だけは私にもわかった。




 今日という日を選んだ理由。

 それは大事な報告があるから。

 とてもとても大切な……ふたりに捧げる愛のうた


((着いたよ))

((ありがとうございます。 料金はいくらで?))


((……いらねぇよ))

((えっ? でも……))

((兄ちゃん……ここの出身なんだろ?))


 タクシーのおじさんは教会の前で車を停めて彼と語っていた。


((よくわかりましたね))

((あぁ、観光でここを訪れる人はあまりいないからな……何となくそう思っただけさ))


((小さい頃にお世話になって……その、両親が事故で亡くなってひとりになった自分を育ててくれて……両親のお墓まで建ててくれて))


 タクシーのおじさんは車から降りると葉巻を取り出し火をつける。


((俺もな……ここで世話になったんだよ))

((えっ?))


 空を見上げて話すおじさんはどこか懐かしむよう。


((この教会は俺の誇りさ。孤児を見捨てず愛を与えてくれた……大切な俺の家さ))

((……はい))


 同じ空を見つめる瞳。

 見ている場所は同じでも、心の在り処は永遠とわの彼方。


((まぁ、ここは先輩風を吹かせてくれや! 同じ飯を食った家族としてな!))

((はい! ありがとうございます!))

「ありがとうございます」


 私も彼にならって深々とお辞儀をする。


((じゃあな! 奥さんを大事にしろよ!))

((さようなら〜!))


 白い歯を輝かせながら親指を立てたおじさんの左手の薬指にはキラリと指輪が輝く。



「素敵な人だったね」

「うん。タクシーを使う時はあのおじさんの会社がいいな」


「だね。後でお礼の電話しなきゃだね」

「雪音がしてくれるの?」


「……ばか」

「ごめんごめん」


 昔より返しが上手くなったと感心してしまう。昔はドキドキさせていた私なのに、今は彼にドキドキさせられっぱなし。


 彼の世界を桃色にしてあげると言いながら、最近では私ばかり桃色になる……心も体も。



「シスターただいま!」


 教会の扉を開けて進んだ先には修道女が佇んでいた。その人の所まで進むと彼はニッコリと日本語で挨拶する。


「ワオッ!  せんきですかっ? はやかったデスね」

「うん、タクシーで来たから。それに運転手さんがここの出身で」

「そうデスかっ! よかったデース」


 眼鏡が似合うご婦人。

 彼から聞いていたお世話になったシスターさん。そんな彼女は私と彼を抱きしめてくれた。


「あ、あの……初めまして! 私は千姫の妻の鬼神雪音おにがみゆきねと言います」


 改めてこちらに視線が向いたので慌てて口を開く。


「はじめましてー。ワタシはシスターサンフラワーといいマース」

「サンフラワーって、ひまわり?」


「せいかいデース。ひまわりが大好きで名前にサンフラワーって入れました」


 可愛いでしょ? とおどけて見せるシスターは年齢を感じさせないお茶目な人だ。


「シスター、改めて紹介するね」

「ハイ」


 彼は私の肩に手を回すとシスターを見て、微笑みかけた。




「僕の最愛……妻の雪音です」




「ブラボーデス! せんき、ゆきーね……おめでとうごさまいマース」


 私の名前の発音はおいといて、シスターは拍手するとまた私と彼を抱きしめる。今度は頬ずりつきで。


「きょうきたのは……ソウメイさんとアカリさんにあいさつデスか?」


「……うん」

「……はい」


「わかりました……おわったら、しょくどうにきてくだサイね。ごちそうをつくってマース」


 シスターサンフラワーは暖かな笑みを残して大聖堂を後にする。目元に光るガラスの欠片を落としながら。



「ちょっと座ろうか」

「……うん」



 温もりをくれたシスターを見送り、ふたりで木の温もりがある椅子へ。



 私はここに来た事がある。


 あの白夜の奇跡を見た場所だ。


 目の前のステンドグラスは聖母と我が子。

 自然と吸い込まれるような表情をしている。




「雪音……」

「ん?」


 手と手を重ねながらステンドグラスを眺めていると彼から優しい音色が聞こえた。



「仕事はどう?」



 仕事……それは私の夢であり、自分自身の手で成し遂げた成果の事。


「うん、順調だよ。医院長の腕が凄すぎて圧巻なんだけど……同僚も女の人ばかりだから安心して……ってか女性しかいない」

「えっ、あぁうん……そういう事じゃないんだけど」


「なにか?」

「滅相もない!  雪音が女性ばかりの職場を選んでくれて僕は嬉しい限りですはいっ!」

「ふふっ」



 私の夢は獣医師。

 そして去年から今の職場で働いてる……だけどもうすぐ――



「雪音?」

「なんでも無くはないけど、なんでもないよ」


「何それ?」

「もう少ししたら……ね?」

「?」


 疑問顔の彼はまぁいいや言うとステンドグラスへ視線を戻す。




 賛美歌が聞こえる。

 祈りのうただ。


 少年少女達の……想いの詩。



 しばらく目を閉じて聞いていた。


 そして天使達は拍手を背に温もりの園へ帰って行く。





「しかしソラが百草ももくささんの手伝いするとはね」


 彼がしんみりする雰囲気を変えようと幼馴染の話を持ち出した。それにのって私は続ける。


「あの子らしいじゃない。犬丸いぬまるさんもいるし」

「僕はてっきり本物の忍になると」


「あの子の事なんだと思ってるのよ。まぁわからなくもないけど……」


 ソラは私達に指輪の奇跡を贈ってくれた百草さんの手伝いをしている。たまにバイトと称して一緒に喫茶店で働いてるらしいけど自由な所は変わらない。


「それから一番意外なのは……」

「あ〜うん……ビックリだよね」


「「かおる」」


 あのなんちゃってヤンキーのかおるの今の職業は……



「先生だもんなぁ」

「先生だもんねぇ」


「「かおる先生」」



 まさかの教師になっていた。まだ新米なので忙しい忙しいと言いながら走り回っている。


 パンツスーツを着て試験に臨む姿を幼馴染総出で笑ったのはいい思い出。


咲葉さくはは相変わらず?」

「うん、バリバリ親の仕事手伝ってる。今度オープンするカフェを任されたんだって」


「へぇ! 凄いね」

「冷やかしに行こうよ? 今まで私達を冷やかしてたんだし」


「怒られないかな?」

「その時はかおる先生に泣きつこう」

「いいね!」


 咲葉はおじさんの後を継ぐ為に勉強中。

 時折試作品と言って私達に毒味をさせてるのは笑ってしまう。


「みんな進路はバラバラなんだよね」

「それが楽しいんじゃない! ってか大学生になっても結構な頻度で私達の家でパーティやってたからねあの子達」



 進む道は違っても、それぞれ歩む花の道。

 けれど離れる事はなく、庭に輝く華の色。



「じゃあ……行こっか」

「うん」


 彼に手を引かれて教会の裏手へ。



 そこには一面の花達が舞い踊る。

 冬の寒さに負けず懸命に咲き誇る花達が。



 少し高台になっている丘を登ると海を見渡せる所に出た。


「ここにも……桃の木」

「うん……随分昔からあるんだ」



 桃の木の真下に十字架と石碑が見える。





「ここが?」

「うん。僕の父さんと母さんが眠る場所」



 私は彼の隣に立ちじっと石碑を見つめてた。





「父さん、母さん……ただいま」





 膝を折る彼の目には桃の雫が流れ出る。



 そっとその肩に手を置いて私も一緒に膝を折る。




「……ありがとう雪音」

「……うん」




 雫はまだ瑞々しく甘い露を石碑に刻む。



「父さん、母さん。報告があります」



 決意に満ちた表情で私の手を取り石碑に重ねて。





「僕……雪音と結婚するんだ」




 想いを口にし

 思い出を噛み締めるように

 魂に刻み込むように







「えっと……正確には婚姻届は出してるんだけど……結婚式はしてなくて……あの」


「もうっ! 締まらないじゃない! せっかくカッコよく決めたのに」



 やっぱり千姫は千姫だ。

 なので気を取り直して私も報告。



「私からも改めて言います……お義父とうさん、お義母かあさん。私、桃宮雪音は……鬼神雪音になりました。挨拶が遅れて申し訳ありません」


 ふたりが眠る石碑の上で深く頭を下げる。


 そしてもう一度目を開くと決意を込めて口にする。


 彼にもまだ言っていない……あの事を。



「お義父さんとお義母さんがあの日言ってくれた言葉。私はこの胸に刻んで毎日を生きてきました」


 あの日の誓いを果たそう。



「辛い時も苦しい時も、もちろんありました。そんな時、私を隣で支えてくれたのは千姫です」


 雪の日に誓ったあの言葉を。



「だから……これからは、私の人生全てを賭して千姫を幸せにします」


 桃色の世界で生きていく。



「それ僕のセリフなんだけど……」

「まぁまぁ……ところで千姫」

「なに?」



 彼はどんな顔をするだろう。

 蒼明そうめいさんと朱里あかりさんの命日に来た理由。それは結婚の報告だけじゃなくて……



「藤の花の花言葉を知ってる?」


 まずは軽いジャブから。


「今更だね……僕にそれを聞く?」

「いいからいいから」


「決して離さないだよ」

「正解!」


 次はボディブロー。


「じゃあ、桃の花の花言葉は?」

「愚問だね」

「で? で?」


「チャーミング・気立ての良さ・天下無敵……それから」


「「私はあなたのとりこ」」


「ピンポンピンポン、だいせいかーい!」

「なんなの雪音。 これでも花には詳しいんだよ?」



 うん。知ってるよ……でもね千姫。


 さてそろそろ仕上げのストレート。






「実はね……桃の花にはもうひとつ、別の意味があるんだよ?」

「えっ? そうなの?」



「……それはね」



 彼の手をゆっくりと私の胸に触れさせて。


「ちょっえっ、雪音? こんな所でっ?」


 ふふふっ、驚いてる……でもね。



 そのまま私は彼の手を胸からそっと下へ持ってゆく。そこは……




「えっ…………ゆき……ね?」





 そこは大事な大事な私のもうひとつの命。





「桃の花のもうひとつの意味はね」






『こども』







「えっ!? ゆきね……ホントに!?」


 彼の手は私のもうひとつの命が宿る花の上に。



「三ヶ月なんだ」




 その瞬間、彼の瞳から今まで見たことないようなクリスタルの雫が溢れ出す。




「ふぇ……えぐっ……ゆいふぃねぇぇぇ」


「おわっちょっ! せんきぃ」



 私を幼子のように高い高いしてクルクル回る千姫。どっちが子供だかわからない。




「ゆぃねぇ……ぐすっ……ありがとぉ」


「せんき〜おろして〜こわいよ〜」


「ごめぇん」


 それでも降ろしてくれなかった。



 その後、千姫が泣き止むまで私の胸をかしてあげた。


 大きくなるよね?


 何がとは言わないけどきっと大丈夫。




「……それでね千姫」

「……うん」


「初めて藤園でデートした時の事、覚えてる?」

「忘れない……忘れるわけがないよ」


 あの日が私達のスタートだった。




「その時、小さい子供を見て……自分の子供だったらって話をしたじゃない?」

「うん」


「それから名前の話もしたよね?」

「覚えてる」


「私は……もし千姫との間に子供ができたら、どんな名前にしようかって……実はあの時から考えてたの」


 彼の名前の由来を聞いて、私の名前の由来を話して……これしかないと思った。


「……僕もね」

「うん」


 穏やかな声で語りかける千姫。


「僕も同じ事考えてた」

「ほんと?」


「うん。そしてひとつしかないと思ったんだ」


 私と同じ想いを抱く優しい目。



「じゃあ千姫。いっせーので言お?」

「うんっ!」



 私達のスタートの藤の花


 彼の両親がくれた桃の花

 私の両親がくれた桃の花



 雪音と千姫のえにしが結ぶ新しい……桃の花




 いつか産まれてくるこの子にも

 ゆっくり語って聞かせよう




 私と彼の物語

 桃と鬼の出逢いから

 結ぶ絆は揺るぎなく

 苦難と困難乗り越えて

 咲は夢見た花の道

 藤と桃の彩りを

 華の都に敷きつめて

 想い思われ愛し合い

 ひとつの蕾芽吹かせて




 きっといつかあなたにも――桃の花を。







「「いっせーのっ!」」






「「雪姫ゆきひめ」」




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