第50話 奇跡
どのくらい時間が経ったのだろう。
ほんの一瞬だったかもしれないし、永遠だったかもしれない。
瞳からはもう出ないと思われていた雪の雫が降りしきる。
「わたしを……おいていかないで」
彼の手を顔の前に持っていき果てる事のない雪が積もる。不意にその雪が私と彼の誓いの結晶へと吸い込まれた。
その瞬間。
『――――――――』
「えっ?」
誰かの声が聞こえた気がした。
それは優しくて暖かくて鈴のような声。
目を開くと私と彼の指輪にふたつの花が咲いていた。
藤の花と桃の花
花達は輝きを増し部屋全体を包み込む。
これから起こるキセキを連想させるような……そんな眩い光。
光の波に攫われて白夜の中に私の意識は溶けてゆく。
――――――
私は夢を見ていた。
小さい頃の夢だ。
暖かな潮風が肌をかすめ私は手を引かれながら白い色合いの建物が多く並ぶ路地をゆっくりと進む。
千姫の手だ。
ほんのり顔を赤く染めながら俯いて歩く。時折、階段で
あと少し……この道を抜ければ。
海の見える丘に到着するとそこには大きな桃の木がある。太陽の光が真上から降りそそぎ、キラキラとしたその場所は特別に見えた。
私と千姫のお気に入りスポット。
木の下で持ってきたサンドウィッチを一緒に食べながら色んな話しをしていた。話の内容はしっかり覚えている。
入学してきた千姫が泣いた事。
私の胸を見て頬にビンタをした事。
千姫の秘密を知った事。
家の中に初めて招いてくれた事。
電話では素直になれた事。
連絡先を教えてくれた事。
看病に行った事。
藤園にデートに行った事。
初めて名前で呼んだ事。
意外とウブな事。
初めて手を繋いだ事。
写真を大事にしてた事。
水着選びに行った事。
あの事件の事。
夜中に泣いていた事。
祭りではしゃいでいた事。
焼肉で奇跡を見た事。
星空で誓い合った事。
聖夜で愛を確かめあった事。
新年で神様にお願いした事。
永遠の中に彼が逝ってしまった事。
まだやりたい事、一緒にやってみたい事なんて星の数ほどあるのに。
だから戻って来てよ……千姫。
短いようで長く感じたあの瞬間。
ずっと続けばいいなと思っていたあの時間。
私は恋をして、愛を確かめ、永遠を誓い合った。だけどその永遠は
霞の中の千姫が立ち上がり私に背を向けてスっと歩き出す。突然の事で私も慌てて立ち上がり後を追おうと手を伸ばす。
だが掴めずにどんどん離れていく。必死に声を出そうとするけど声にならない。
待ってっ!
置いてかないでっ!
ねぇ! 待ってよ!
夢の目覚めはいつだって突然だ。
待ってっ!!
私は別の場所に
ここは……教会?
『こんにちは……
不意に隣から声が聞こえた。
どこかで聞いた気がするけど思い出せない。鈴を鳴らしたような美しい声。
「えっと……」
振り向くと雪のように白い肌が輝きを増す。
『大きくなったわね。雪音ちゃんは覚えてないかしら? 千姫の母の
「あっ!」
私は記憶を呼び起こしコルクボードの写真で見た人に目の前の人物が重なる。
『ふふふっ思い出してくれたかしら?』
「あっえっと……はい」
『その様子だと忘れていたんじゃないかな雪音くん』
そしてもうひとり朱里さんの隣から顔を覗かせる。
「もしかして……」
『うん、千姫の父の
私は勢いよく立ち上がるとふたりに改めてお辞儀をする。
「こんにちは、
言って私は自爆をしてしまう。
『あっははは……いやぁ愉快愉快!』
『まぁ雪音ちゃんったら……』
恥ずかしくて顔を背けてしまう。背けた先には聖母様が我が子を優しく包み、慈愛に満ちた微笑みを向けているステンドグラス。
とても暖かい。
『雪音ちゃん……聞かせてくれるかしら?』
「えっと、何をですか?」
朱里さんは私の手を優しく包むとステンドグラスの聖母のように微笑んだ。
『あなた達の歩いてきた……花の道を』
その瞬間、声にならない嗚咽が漏れ出す。
「うぅ……ひくっ……」
私と彼の物語をもう一度今度はしっかりと確かめながら、永遠の道のりを千姫の両親に語り尽くした……もちろん夜の秘め事は秘密のままに。
どれくらい話していただろう。
気付けば教会内には暖色の訪れが差し込む。
『――素敵な花の物語ね』
『あぁ……我が息子ながら天晴れな生き様だよ。そしてそれを支えてくれた雪音くんは素敵な女性だね……いいお嫁さんになるよ』
「きょ、恐縮です」
私との会話の途中、ふたりの瞳からも暖かな雫が流れていた。幼き千姫を残して旅立った想いは、どれだけふたりを苦しめたのだろう。
今こうして私の前で肩を寄せ合うふたりを見ると胸が締め付けられる。
『雪音ちゃん……』
「……はい」
朱里さんが私の手を強く握り、千姫に似た優しい瞳で私を見据える。
『あの子の事を愛していますか?』
恋焦がれ、愛し合い、永遠を誓った彼との道……私の答えは初めから決まっている。
「私の人生は何度も千姫に助けられてきました。千姫がどれだけの覚悟で私の前に来てくれたのかも知りました」
私は続ける。
「私のこれからを千姫に捧げます」
ふたりの目を見てハッキリと告げる。
「私の全てを賭して千姫を愛し続けます!」
ふたりは私の言葉に暖かな雫をもう一度流す。
『これで……最後かな?』
『えぇ……あなた』
――やっと安心して逝ける。
私の疑問をよそにふたりは頷き私の指輪にそっと触れる。そしてその手を胸の前に。
――瞬間。
教会内に太陽が現れたと思うほどの眩い光。
私は眩しさで目を瞑る。そしてゆっくりと目を開くと……朱里さんと蒼明さんの手には一輪の桃の花。
『雪音ちゃん』
差し出された桃の花を手に取って朱里さんの方を見る。
『あの子の事、よろしくね?』
『まぁ僕が言うのもなんだが、千姫はいい男だからな』
ふたりが紡いだ物語。
私へと託された其の心。
『ねぇ雪音ちゃん……桃の花の花言葉を知ってる?』
朱里さんと蒼明さんの体が光を帯びる。
「はい、それは……」
彼から贈られた指輪を抱きしめて……いつか答えた言の葉を魂に乗せて。
『ふふっ実はね。もうひとつ大切な意味があるのよ?』
「えっ?」
それは初めて耳にする本当の花言葉。
『それはね――』
白銀のカーテンが教会内を明るく包む。
そのカーテンに誘われるように私も光に包まれた……桃の花とともに。
――――――
――――――
――――――
「も〜もたろさん、ももたろさん」
「わん!」
「おこしにつけた〜きびだんご〜」
「わん!」
「ひとつわたしにくださいな〜」
「わん! わん!」
「あっはは、桃太郎いい合いの手だね」
「くぅぅん、わふわふっ♪」
懐かしい声が聞こえる。
「じゃあもう一曲歌う?」
「わん、わふふ〜」
「あははっ! くすぐったいよ〜」
頭の上に暖かな感触。
耳には聞こえるハズの声。
「はっ!」
夢の目覚めはいつだって突然だ。
「――――――っ!!」
目の前に……私の最愛が居る。
どれだけ願っても……開く事のないと思っていた口が言葉を紡ぐ。
どれだけ願っても……動かないと思っていた指が私の髪を撫でる。
どれだけ願っても……光を映す事がないと思っていた瞳が私を射抜く。
恋焦がれ、愛し合い、永遠を誓った彼が……私の目の前に。
「ただいま……雪音」
夢の中でずっと見ていた桃色の瞳が私を包む。
「バカ……バカ……バカ……バカぁ……大好きだよ……愛してるよぉ……うわぁぁぁん」
千姫の胸に小さな拳を何度も……何度も打ち鳴らす。
「うぅぅ……せんきの……アホぉ」
その胸に涙でくしゃくしゃになった顔を押し付ける。
「おかえり……千姫」
軌跡を巡り
キセキを辿り
その先に待っていたのは――奇跡
「夢を見たんだ、雪音」
「夢?」
3月3日
時刻は15時50分
彼の産まれた時間。
窓からは春の木漏れ日
隣には暖かな温もり…
膝の上には穏やかな愛犬
私は千姫の横に寄り添いながらコルクボードを眺める。
「夢の中でね父さんと母さんに会ったよ」
「それは」
それは私も見た光景。
白夜の中に咲いた聖なる時間。
「そこでね、今までの事をたくさん話したよ」
「……うん」
私もたくさん話したよ。
「最後にね……怒られちゃった」
「えっ?」
私は朱里さんと蒼明さんに託された。
「雪音を置いてこっちに来るな! って」
あの時のふたりの顔が浮かぶ。
「その後に桃太郎が迎えに来てくれてね」
「桃太郎が!?」
あの時の光は彼の元へ導く光だったのかもしれない。そして彼に救われた愛犬は今度は彼を救ったのだ。
私は膝の上でまどろむ桃太郎がたまらなく愛おしくなり、そっと頭に口付けを。
「それにまだ雪音からの誕生日プレゼントもしっかり受け取ってなかったからね」
言葉にした千姫は私の目の前にひとひらの花びらを。
夫になる人
『
「たがらもう一度言うね……雪音」
「……うん」
ふたりの心を託されたから私も精一杯それに応えよう。いつかあなたに――
「僕と結婚してください」
「はい……ずっと一生……離さないよ」
妻になる人
『
花の蜜より甘い
ふたつの花が紡ぐ物語はどこまでも続いてゆく。
それは誰にでも起こる出会いと別れ。
いつか見た夢の続きを同じ歩幅で歩いて行こう。あなた自身がかけがえのない花なのだから。
ねぇ知ってる? 桃の花の花言葉を。
それはね――
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