第49話 永遠
いつまでも続くと思っていた日常
いつまでも続くと思っていた幸せ
考えないようにしていた現実
見えるものだけ見ていたかった夢
日常の中の非日常
現実の中の残酷
彼の体を目の前にして私は思考の波へと
どうか神様……彼だけは連れ去らないでほしい。
どうか神様……彼のこれからを照らし続けてほしい。
しかし、現実は残酷だ。
私は彼が眠るベッドの隣で手を握り続けている。
「せんき……」
――――――
――――
――
彼が倒れた日、私は急いでパパと
今この家には幼馴染達とその家族達だけ。
それは異様な光景でいつかの病室を思い出す。
「パパ……」
「
パパは言葉が続かない。この沈黙を私は知っている。テレビやドラマでよく見る光景だ。どうか演技であって欲しいと願いながら私は待つ。
けれど目の前の現実はそれが真実だと告げているような……長い長い沈黙。
「おじさん……うそでしょ?」
口を開いたのはかおるだ。それに続くように……
「そうよ! あんなに元気だったのに」
「フ、フフ……フ……せ、千姫は最強なんだよ? ねぇ
咲葉もソラも取り乱しながらお父さんに詰め寄る。
「落ち着きなさいふたりとも!」
咲葉のお父さんが代表して場の空気を取り持つ。
「ごめんなさい」
「……ごめん」
そこでひとつ咳払いをしたパパは改めて重い口を開く。
この世界で一番聞きたくない言葉を。
「千姫くんは……もう長くない」
この人は何を言っているのだろう?
「今日、明日がヤマ場かもしれない」
私のお父さんは何を言っているのだろう?
さっきよりも長い沈黙がその場を支配する。
「……雪音」
誰かが私の名前を呼んだ気がした。
絶望するほどの現実を突きつけられても尚、私の意思は変わらない。
「……大丈夫! 必ずなんとかなる。千姫は私のお婿さんになる人だから!」
この言葉を口にするだけで精一杯だった。
――――――
――最期は自宅がいい。
誰かがそう言った。
目の前のベッドには浅い呼吸を繰り返す彼の姿。その右側にはパートナーの桃太郎。私は反対側に寄り添い彼の手を握り続ける。
「……ゆき……ね」
寝たり起きたりをもう何度繰り返しているだろう。その度に彼は私の名前を口にする。
「なぁにせんき」
優しく頬を撫でながら耳元を口へ持っていく。
「……すき……だよ」
「……うん、私もだいすき」
へへっと笑うと閉じていた瞳をゆっくりと持ち上げる。
「……ぼくは……幸せだったよ……ゆきね」
「……何言ってんの? これからもっと幸せになるんだよ?」
どこかの空間に吸い込まれそうな細い声。その声はこれまでの事を思い返しているかのよう。彼はわかっているのだ……未来が訪れないという事を。
「……ねぇゆきね、ゆびわを……みせて」
呼吸の切れ間に声が漏れる。その意味を確かめるように私は彼に左手を差し出す。
「……キレイだ……まるで……ゆきねみたいに」
「アイデアをくれたのは千姫でしょ?」
指輪のデザインを決めたあの頃。
私は彼の、彼は私の指輪のデザインを
「……ねぇゆきね……知ってる?」
「ん?」
私の左手を握り目を見開く彼。
「……桃の花の……花言葉」
藤園にデートに行ったあの日から……いや花が好きだと言ったあの日から……私は花について少しずつ調べている。
そして彼が言った花も……それは私の名前そのものだから。
「うん。知ってるよ……チャーミング、気立ての良さ、天下無敵……そして」
「「わたしはあなたのとりこ」」
「……ゆきね……ぼくはね」
「……うん」
「はじめて出逢った時から……ゆきねのとりこなんだよ?」
力強く握りしめる手を決して離しはしない。
「……せんき……私もね」
「……うん」
「幼い頃と……そして高校で出逢った時からせんきのとりこだよ?」
「へへ……うれしい……なぁ」
「私は千姫に二度恋をしたの」
「……うぅ……ぼくは……しあわせものだ」
彼の瞼が震える。そこには一雫の優しさが広がる。
「桃太郎、私のカバン持ってきてくれる?」
「わんっ!」
桃太郎はベッドから飛び降りるとリビングに向かい、しばらくして口に咥えて持ってきてくれた。
「ありがとう桃太郎」
「くぅん」
私は頭を軽く撫でると主人の隣へそっと誘う。お利口に座った桃太郎は彼の胸に顎を乗せて。
「……せんき、聞こえる?」
「…………あぁ」
微かな吐息が口から漏れる。もう時間がないのかもしれない。だから私は鞄から勢いよくその紙を取り出す。
「せんき……私の誕生日にさ、指輪をくれたじゃない?」
「…………ぁ」
浅い呼吸を繰り返す彼は、必死に答えようと懸命に口を開く。
「せんき……今日はね……千姫の16才の誕生日なんだよ?」
「…………」
「だからね……これを持ってきたの」
「…………」
私は一枚の紙を彼の目の前に持っていく。そこに書かれているのは。
妻になる人
『
「ふふっ、ちょっと気が早いけど……もらってきちゃった」
「…………」
「……後はね、ここの夫になる人の所に……せん……せんきの……なまえ……を」
「…………」
彼の手から力が抜けてまぶたがゆっくりと沈んでいく。まるでもう帰って来ない別れを告げるように。
「せんきの……なまえをかけば……わたし達……夫婦だよ?」
手に持った婚姻届の文字が滲む。
一瞬私の手に力強い反応が返ってくる。私はぐちゃぐちゃになった顔を彼の方へ向けると、夕陽を背にベンチで語り合ったあの頃のように穏やかな顔で私を見つめて。
「千姫?」
「愛してるよ……雪音」
彼の最期の言葉は……愛してる。
3月3日 15時33分
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