第38話 明暗


 胸が苦しい、変な汗が止まらない、息が詰まる。


 委員長達の知らせを受け私達は桃太郎の後を追う。


「はぁ……はぁ……はぁ」


 この感覚はどこかで味わった事がある。朧気な記憶だけど、あの時も今みたいに熱かった気がする。

 誰かに手を引かれて地獄のような熱気の中、必死に出口を目指していたような。


「いた、あそこだ!」


 先行していたかおる達が人集りを発見する。その中心にはライフセーバーの人が慌ただしく指示を出し懸命な蘇生活動をしていた。


「おにいちゃん……やだよぉ」


 恐らく彼に助けられたであろう小さな子が母親に抱かれて泣いていた。


「AED持ってきだぞ!」


 別のライフセーバーの人が走って来ると人集りは割れて隙間が出来た。


「通して下さい関係者です!」

「どけお前らっ!」

「みんなで囲いを作って」


 咲葉さくは、かおる、ソラの指示の元、集まっていた野次馬を遠ざける。そしてその中心を囲うようにクラスメイトがタオルやシートを持って周りに見えないようにする。


「……千姫せんき?」


 桃太郎が吠える中、彼の名を呼び膝をつく。


 なんでこんな事になったの?

 ついさっきまで笑ってたよね?

 ついさっきまで喋ってたよね?


 私は不自然な程真っ白な彼の顔に触れようとして……


「危ないから下がってっ」


 ライフセーバーの人に止められた。そしてAEDの準備をしているもう一人が私と彼のお揃いのパーカーを雑に取り払う。



「うっ……これは」



 取り払われた体を見てその場にいる全員が息を飲む。かおるや咲葉達でさえ口を引き結んで険しい表情。


鬼神おにがみくん……あなたはどんな」


 どんな人生を送ってきたの?

 誰かがそう言った。


「君、このタオルで体を拭いてもらえるか?」

「え?」


 さっきは怒鳴っていたライフセーバーの人がタオルを差し出す。一瞬戸惑ってしまった私だけど、これが彼の命を繋ぐ一助になればと覚悟を決める。


「はいっ!」


 桃太郎が「クゥーンクゥーン」と鳴く横で私は必死に彼の体に熱を送った。


「大丈夫だよ千姫。私が絶対助けるから」


 自然と口から出てきた言葉が何かのトリガーになった感覚。


『大丈夫だよ雪音ゆきね。僕が絶対助けるから』


 記憶の中と今の私が逆転したような錯覚を覚える。


 なに……これ?


 頭の奥がズキリと痛む、今はそんな時じゃないのに何かの蓋が開いてしまいそうだ。


「下がって」


 迅速に体を拭いたライフセーバーの人が彼の体に電極を貼っていく。そして……


 ピピピピ――バシンッ


 彼の体が跳ねた。


「心臓マッサージと人口呼吸継続!」


 AEDがチャージされる間も必死で彼の命を繋ぎ止めようとしてくれる人達に涙が出そう。


「……おにいちゃん」


 祈るように泣いている男の子と同じように、クラスメイト達の表情も必死だ。


「救急車が来たぞっ!」


 声の方を振り向くと担架を持って走ってくる救急隊員が見えた。


 その時、心臓マッサージをしていたライフセーバーがみんなに聞こえるように声を張る。


「戻った!」


 瞬間私は彼の手を握っていた。


「千姫? 聞こえる千姫!」


 ゲホッゴホッと口から海水を出した彼はうっすらと目を開けて……


「ゆき……ね」


「うん、うん! 私だよ千姫」


 しかし目を開けたのは一瞬で。


「……ごめんね」


 彼はまた目を閉じた。


「千姫っ!!」


 救急隊員が慌ただしく彼を担架に乗せると救急車に運び込まれた。


雉ノ宮きじのみや病院へお願いします」


 咲葉の声だけが印象的に残っている。




 ――――――

 ――――

 ――




 結論から先に話そうと思う。


 千姫は生きてる。


 生きてるけど目を覚まさない。


 あの事故から3日が経った。


 コンコンッ。


「雪音大丈夫か?」


 かおるの声。


「…………」


 大丈夫じゃないよ。


 しかしそれでも心配してくれる彼女に精一杯の笑顔を向けて。


「うん……大丈夫」

「すまん。こんな事になるなんて」


「ううん、皆が居てくれたから千姫は助かったんだと思う」


 未だに目覚めない彼の手を握りながら私はそんな事を思う。代わる代わる訪れたクラスメイトも一様に謝っていたから。


「すまん……」


 もう一度だけ同じ言葉を口にしたかおるは病室から静かに出ていった。


 バタンッ


 静かになった病室であの時の言葉と顔が蘇る。


『ゆきね……ごめんね』



 そして今は……千姫の病室に私ひとり。



「ねぇ千姫。一緒にナイトプールに行くって言ったじゃない」


 開くことの無い瞳を見つめて。



「一緒に買った水着、まだちゃんと見てないでしょ?」


 お茶目に笑ってみせる。



「夏休みは始まったばかりだよ。もっとたくさん遊ぼうよ?」


 桃太郎も待ってるよ。



「それに……また藤園に行くって約束もしたよね?」


 あの藤の花のカーテンでもう一度写真を撮ろう。



「あっ、私もいい場所見つけたんだ! ねぇココなんだけどね、原っぱが綺麗でね」


 スマホで写真を開き、彼の目の前に。



「桃太郎を連れてさピクニックに行くの。原っぱを走る桃太郎と一緒にフリスビーをして……ふふっ、千姫はおっちょこちょいだから頭に当たってうずくまるの。それを私と桃太郎が笑いながら見てる……ねっ素敵でしょ?」


 桃太郎はソラが預かってくれてるから安心して。



「お昼には大きな木の下でサンドウィッチを食べるの。あの時は家に忘れちゃったけど……あれから……いっばい……いっぱい練習したんだからね! 今度は……わすれ……ない」


 ――やだよ。



「ひくっ……それ……それを食べてね……千姫は美味しいねって微笑みながら言ってくれるの……ほっぺたに付いたソースを……わ、私が指ですくってね……舐めてね」


 ――やだよ。



「それを見た……せ、せんきは……顔を……あか……ぅぅ……あかくして……はにかんで……うぅぅ」


 ――せんき。



「一緒にキャンプに行きたい、花火もしたい、魚釣りだって、そうめん流しだって……それに……夏祭りにも行きたい……わたし……そこでね……そこで」


 ――やだよせんき。



「わたしまだ……せんきに……すきっていってないよ」


 ――あぁぁぁぁぁぁぁ!!



 彼の瞳はまだ……闇に閉ざされたまま。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る