第2話 大学受験2

 受けるだけで満足する気などない。

 だからこそ僕は、絶対にこの喜志芸術大学の文芸学科に入る。その気持ちを強く抱いて、十一月中旬。試験会場である喜志芸術大学の九号館一〇四教室に入室した。机には受験番号と名前が書かれた紙が貼られている。僕の名前、『駿河総一郎するが そういちろう』の名前が書かれているのを確認して座る。受験者集合時刻まで残り十分ほどある。まだ多くの生徒は廊下で友人たちと話していたり、座って本を読んでいる人もいる。

 筆記用具を取り出して、並べる。シャーペンと消しゴム。シャーペンの芯もちゃんと補充した。ブレザーを脱いで、カバンの中に入れ、シャツの裾をまくり、ネクタイを締めなおす。

(大丈夫。いつも通り。いつも学校で試験を受けるときと同じ状態にした。大丈夫だ)

 深く息を吸って、吐く。

(僕は絶対にこの喜志芸術大学の文芸学科に入学する)

 落ちるということは考えない。ちゃんと試験問題をこなして、受かった時だけを想像する。目をつむると自分の心臓の音が大きく聞こえる。こんなに緊張するのは初めてだ。今までは合格しようが不合格になろうが、母が決めたことだ、どうにでもなれという気持ちだったから。


 イメージトレーニングをしていると、蚊が鳴くような声で「あの、すいません……」と隣の席から声をかけられた。視線を向けると、セーラー服を着た、きれいな黒髪のポニーテールが特徴的な女性だった。目には涙が溜まっていて、今にも流れてしまいそうだ。

「ど、どうかされましたか……⁉」

「シャーペンと消しゴム、貸してもらえないっすか……」

 彼女はパニックになりながらも無理やり笑顔を作る。頬の筋肉が痙攣し、同時に数粒涙が落ちた。僕は慌ててペンケースを再び取り出し、余分に持ってきていたシャーペンと消しゴムを渡す。

「ありがとうございます……!」

「いえいえ。もし良かったら、このポケットティッシュも使ってください」

「あっ、すいません。これも使わせてもらいます……」

 女性は涙を拭いて、鼻をかむ。それでも何度もしゃくり上げている。こんな時どうしたらいいのだろう。

「大丈夫ですか……?」

 と、恐る恐る訊く。すると、一瞬驚いた表情でこちらを見たが、

「大丈夫」

 そう言うと、笑った。睫毛にまだ小さな涙の粒が残っていて、蛍光灯の光を反射させ輝いていた。「大丈夫」と彼女は「自分自身の気持ちがもう落ち着きましたよ」という意味で言ったんだということはわかっている。それなのに、彼女の言葉と笑顔は僕の緊張までどこかへと消してくれた。

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