【完結】元始、君は太陽であった

ホズミロザスケ

第1話 大学受験1

 僕は光のない世界を生きてきた。四方八方壁に囲まれ、自分の姿さえ見えない暗い暗い部屋に閉じ込められていた。その中で何をしていたか。必死に勉強をしているのだ。今日は国語、明日は算数。明後日は社会か理科。もう何を書いているのか、何を読んでいるのか。わからない。感覚は死んでいる。とにかく頭に入れるのだ。

 どこからか同い年くらいの子どもの賑やかな声がかすかに聞こえる。僕もそっちへ行きたい。そう思っても、

「ちゃんと勉強してるでしょうね?」

 この一言で僕に逃げる道はないということを思い知らされた。手を止めて外へ出てしまえば、僕は頬を力いっぱい叩かれ、罵倒されるのだ。痛いのは嫌だから、ちゃんと勉強をする。


 小さいころから母さんにずっと監視されていた。家にいると逐一母さんは僕が勉強をしているかを確認した。食事の時も学校でちゃんと授業を受けてきたかを訊かれ、そして努力が足りないと言う。テストで百点をとっても、学年一位であっても、母さんが満足することはなかった。


 母さんがなぜそんなに勉強にこだわるのか。自分が学生時代に志望していた学校に入学出来なかった、そのせいで働きたかった会社に入れなかった。母の後悔を、小さなころから聞かされていた。成し遂げれなかった自分の目標を僕に注いでいるのだ。成長するにつれ、彼女は僕を息子ではなく、自分の人生をもう一度やり直すための道具にしたいんだと気づいた。彼女に愛などない。

 父さんは単身赴任をしていて新幹線で片道一時間と少しの場所で働いていた。家に帰って来るのは一年に数回だった。帰ってきても家族の誰とも話そうとしない。母さんが金切声で僕に何かを叫んでも、父さんは無関心だった。


 小学生の僕は家以外の居場所を探し求めた。行きついたのは、学校の図書室と市内にある図書館だった。静かで、みな僕に関心などない。落ち着ける場所。勉強に必要な本以外は買ってもらえず、書店は夢のまた夢。図書室も図書館も僕にとっては宝箱だった。

 本を読んでいる間は、現実を忘れられた。笑える物語も、手に汗握る冒険譚も、悲しくつらい結末が待っていても、すべて僕の血となり肉となった。


 中学に上がる頃には、読者だけではいたくない、僕も物語が書きたいと強く思うようになった。休み時間に図書室に行き、ルーズリーフにこそこそと物語を書いて、書き終えたら破り捨てる。もちろん本当は残しておきたい。一冊の僕だけの本を作りたかった。でも、母さんに見つかれば何を言われ、何をされるかわからない。証拠は学校で消すしかなかった。


 そして高校生になった時、母さんには「小論文の練習のため」「文章力をつけるため」と説得し、文芸部に入った。放課後、部室にこもって書き続けた。文芸部の部員は先輩も同級生も後輩もみな優しく、「お前、マンガ読んだことないのか?」と新旧問わずマンガ本を貸してくれたり、「音楽はいいぞ」とスマホでたくさんの楽曲を流してくれた。「みんなで表現の勉強だ」とか理由をこじつけ、視聴覚室で映画を上映する会を開いてくれた。三年間でたくさんの文化に触れたことで世界が広がっていくことに喜びを感じた。文芸部での活動は、つかの間の楽しみであった。


 いつか家を出て、本を好きなだけ買って読みたい。心置きなく小説が書きたい。音楽も映画もたくさん浴びるように鑑賞したい。なにより、自分がやりたいと思ったことをやってみたい。進路を考え、探すうちに、隣の県の山奥に喜志芸術大学という大学があることを知った。書籍や文章のことを学べる文芸学科がある、ここしかないと思った。


 受験の了承をもらうだけでも、家族会議となった。リビングへ行くと、父さんもいた。単身赴任先から半ば無理矢理連れてこられたのか、不機嫌そうに座っている。

「喜志芸術大学……? バカなこと言わないでよ。なんのために今まで勉強してきたと思うの!」

 母さんの叫び声が部屋にこだまする。僕は声を真正面から受けたくなくてうつむく。なんのために? 僕もわからない。たしかに勉強は生きていくのに大事だ。しかし、本当に勉強をして、良い学校に入り、良い会社で働くだけが幸せなのだろうか? 僕はその成功例を目にしたことがない。母さんも父さんも飛びぬけて良い学校を卒業したわけではない。父さんも特に大きくもない一般企業に勤めるサラリーマン。だからこそ、母はさらにコンプレックスを感じる場面があり、せめて息子の僕だけはと、すべてを押し付けているのかもしれない。

「大学は遊びに行くところじゃない……将来がかかってるの。出身大学は最終学歴として一生ついてまわるんだから! 喜志芸術大学出身だなんて一生の恥よ!」

 黙る僕を良いことに圧ある言葉が投げかけられる。一流と呼ばれている大学名を羅列し、いかに素晴らしい大学かを説いていく。あたかも自分がその大学に通ってたかのような口ぶりだ。ネットで調べたりしただけなのによくもこんな話せるものだ。内心バカな人だと思っていると、

「受けるだけならいいんじゃないのか」

 父さんが珍しく口を開いた。

「あなた何を言ってるの⁉」

「受けるだけなら、お前が気にしている経歴には傷はつかないはずだ」

「だけど……!」

「受けたらそれで満足するだろう」

 吐くように父さんは言った。やっぱり、僕に助け舟を出したのではない。早く終わらせて、一刻も早く単身赴任先へ帰りたかったんだ。僕に味方などいない。

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