第19話 真島探偵事務所 その3

「琴美さん。少しは気分、晴れました?」


 コーヒーを運んできた深雪が、いたずらっぽく笑った。琴美もこの妹のような少女にウインクを返しながら少しはね、と微笑んだ。


「なにが少しはね、だよ」


 真島はご機嫌斜めである。

 ヒールで踏まれて起こされては斜めにもなるだろう。

 前後を逆にして座った回転椅子の背もたれに両肘を乗せ、その上に仏頂面が置かれている。

 他の三人はみんなソファーに座っていた。琴美と深雪が並んで座り、ガラステーブルを挟んだ向かいのソファーに檜山が座っている。



 探偵事務所とは言うものの、部屋は普通のリビングとさして変わりはない。中央にテーブルとソファー。部屋の南側はガラス張りになっていて開けるとベランダがある。反対側のオーディオラックにはテレビやステレオなどがまとめて置かれていて、その隣に事務机というレイアウトだ。部屋自体が広いので、やや殺風景に見えなくもない。奥のドアはキッチンや寝室などに続いている。


「おい、檜山。お前さぁ、居候なんだから『真島さんを踏むんだったらぼくを踏んでください』ぐれぇ言えねえのかよ」

「いやですよ、踏まれるのなんか」


 檜山だってそこまでお人好しじゃない。


「俺だってヤだよ」

「真島さん、けっこう踏まれ慣れてるじゃないですか」

「慣れるはずねえだろ。あんなのに慣れちまったら人間失格だ」


 人間として合格ラインに達しているようには思えないが、普段超のつくマイペースな真島がこうしてペースを乱されるのは珍しい。


 真島と琴美がどういう関係なのかは檜山にもわからない。付き合っているわけではなさそうだが、だからと言ってただの知り合いを踏みつけるということもないだろうから、それなりの付き合いではあるのだろう。

 真島が言うには、腐れ縁なのだそうだ。


「男でしょ。グズグズ言わないの」

「誰のせいだよ、ったく……で、今日はなんのグチだよ。どうせ仕事でドジったなんてとこなんだろ」

「っさいわねえ! たしかにしくじったわよ。でも言っとくけど、あたしが悪いんじゃないんだからね。今回は邪魔が入ったの。あたしは完璧だったんだから!」

「完璧ねえ」


 あからさまに信じてねえよという顔をしながら真島はコーヒーを啜った。


 琴美はトレジャーハンターだ。

 賞金稼ぎバウンティハンターが賞金稼ぎならトレジャーハンターは宝探しである。古代遺跡とか古文書などを調べ、隠された財宝を探すという、とても仕事とは思えない職業だ。胡散臭さでは賞金稼ぎバウンティハンター以上だと檜山は思っているが、実際のところ五十歩百歩であろう。


 真島の表情が気に入らないのか、琴美が口をとがらせて立ちあがった。


「ホントなんだから! あそこでヘンなジジィさえ出てこな――」


 琴美の言葉がピタリと止まる。

 朝からにぎやかじゃなぁ、といって奥のドアから出てきたのは包帯だらけの川中島だった。


「よォ、じいさん。もう歩けんのかい?」


 真島の挨拶に川中島は豪快な笑いで応えた。


「わはははは、言ったじゃろ。この程度の怪我は一晩寝てれば治るとな」


 しかし、川中島は気づいていなかった。紅蓮に燃える憎悪の炎が至近距離で燃えあがっていることに。


「ちょっとォ! なんであんたがここにいるのよ!」

「ん? お前さんは……」


 一瞬首を傾げた川中島だが、その顔が笑顔に変わる。思い出したらしい。


「おお、昨夜の――」


 川中島の言葉はそこまでしか発せられなかった。

 琴美の飛び膝蹴りが炸裂した瞬間である。


「あんたのせいで! あんたのせいで!」


 倒れた川中島に容赦のない踵が振りそそがれる。その痛みを身をもって知る真島が必死に止めに入った。


「おい琴美、よせ! じいさんこれでも怪我人なんだからな。とりあえず踵はよせ!」

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