第44話 衝撃の滝

 そんな話をしている折、窓を眺める。

 ポーチの近くに停めてあった車から、お年寄りが降りて来た。

 車椅子でスタッフの方に迎えられている。

 同じ入居者だろうか。

 そうだとすれば、親しくしていただけるようにがんばろう。


「こんにちは」


 私は、精一杯の笑顔で迎えた。

 同時に、一陣の風が吹き込み、しば桜の花びらが、口の中にも入って来る。

 前が霞み、ご老人は見えなかった。


「お嬢さん、初めまして」


 近付いて来て、見えるようになると、正体を知る。

 和伯母さんだった。

 私をすっかり忘れている。

 笑顔を振りまく姿に、胸がちくりとした。

 大正と昭和のある年生まれだから、もう九十五歳にはなるだろう。

 持田の伯父さんも付き添って来た。

 同じ年なのだが、大伯父さんの方が、活力がありそうだ。

 

「和さんですか」


 朱の炎の店長が知っているようだった。

 同じ県内で、益子焼を扱っている店舗が、市街地にあるからだろうか。


「ええ、持田和と申します。あの、どちらさんですか」


 一方、和伯母さんは、本当に分からないようだ。

 首を傾げ、困ったような顔をしている。


「あら、そちらのお嬢さんは?」


 パパと同じ歳の緑さんに和伯母さんが微笑み掛けた。


「自分の娘ですよ」


 店長が、車椅子をぐっと前に押す。


「――和さんとのね」


 私に、あらゆる情報が一遍に流れ込んで来た。

 不倫と言う言葉が過る。

 店長と和伯母さんとの関係を秒で理解した。


「すみません、ホーム『しばざくら』の方。こちらの方々ともお話しをしたいので、入居前に申し訳ございませんが、このまま面会室をお借りしてもよろしいですか」

「どうぞ、ごゆっくり。所長のお話は、後程にいたします」


 面会室内には、自動販売機があった。

 私は、梅芳さんにブラックコーヒーと、美桜緒さんにヨーグルトドリンクを買う。

 パパが、モカを二杯用意してくれた。

 夫婦はいつまでも仲良しだ。


「お話しをしてもよろしいかしら?」

「ママ、無理なら僕が語ってもいいからな」

「ありがとう、パパ」


 首を縦に振る。

 

「つまり、経緯はこうよ」


 私は、唾で喉を動かして、渇いた声帯を動かした。


「生原和伯母さんは、昭和元年に元お祖父さんとフクお祖母さんとの間に生まれ、殊の外愛されて育ち、高校まで行かせて貰ったと聞くわ」

「そうだったね。ママ」


 いただいたコーヒーの一口で、緊張で渇く喉を潤した。

 少し熱かったので、目が覚めて、気合が入る。


「どうした? 母さんの話か?」


 大伯父さんが、はっとし、慌てて立ち上がった。

 私は、二度頷いた。


「それから、昭和三年に産まれたばかりの幸伯父さんを病気で亡くし、昭和六年に胸に抱いた誠伯父さんを十三歳で戦死させてしまったらしいの」


 本当は、誠伯父さんに生原姓を継がせようと思っていたから、和伯母さんは、持田姓になったらしい。


「その二人を挟んで、昭和十九年の戦中に、次女のさくらを授かったのね。母からしたら、和伯母さんは、十八歳も上の姉に当たる訳なのよ」

「家庭では、伯母さんとお義母さんの姉妹の話は少なかったね」


 母が、語りたがらなかっただけだと思う。

 私は伯母さんを好きだから、話したかったけれども。

 モカが人肌になったので、飲めるようになった。


「和伯母さんは、戦後直ぐの昭和二十一年、自分が結婚していないと急に気が付いたらしいの。ご友人の紹介で、真岡で梨園を営む持田大伯父さんの所に嫁いで行ったとは、前にお話ししたわよね」


 パパに目配せをすると、母の声を再現してくれた。


「そうだね。この話は、よくお義母さんから零されたよ。颯爽と出て行ったはいいけれども、ご両親と三人暮らしが、ご自分に負担が掛かってしまったとか」


 茅葺の家で、お茶の時間にこんな懐かしい話をよくしたものだ。

 パパも傍で、物静かに聞いていたと思い返す。


「和伯母さんは、夫には不満がなかったようだったけれども、一つだけ、残念に思っていたことがあるとお分かりになりますか? 持田大伯父さん」


 伯父は、おののきながら、付き添っていた伯母から、三歩下がった。


「俺が答えるっぺか? 分かってっぺよ。仮にも夫だっぺ」


 頬を膨らませたり、肩を小刻みに震わせている。

 狼狽えた伯父さんを初めて見た。

 でも、ここは明瞭にしたい。


「分かっているのなら、教えてください」

「め、目の前に和がいっぺーな。そんなこと、恐ろしくてできね。妻が傷付くっぺな」


 伯父も優しいから、それに恥になるから、言えないのだろう。

 けれども、梅芳ちゃんの為にも斬らせていただく。

 空のモカをテーブルに置いた。


「では、私から話すわね。姪でありながら、とても可愛がっていただいたわ。幼い頃からずっとね。持田家では、生憎お子様に恵まれなかったから。私達も難航したので、よく分かるの」


 パパが、童謡の鼻歌を少し歌う。

 伯母からいただいた、アレだ。


「ママはパパにさ。よく、このオルゴールをいただいたとか、お話ししてくれたね」


 私が、綺麗だったり可愛かったりするものが好きなのは、伯母に似たのだろう。

 母は、キャラクターものと言えば、うさぎさん風のミミちゃん以外はあまり与えようとしなかった。

 謎は深まるばかりだ。


「伯母さんは、答えられそうにもないの。太田総一郎さん、どうか教えてくださらないかしら?」


 太田氏が弱々しく想い出を紐解いてくれた。


「和さんは、仰っていました。旦那様との夫婦茶碗を買いにうちの店に立ち寄ったと」


 パパが、続きを促すように、続けた。


「伯母さんが四十歳のとき、三十歳の太田総一郎氏と出逢ってしまったのか」


 最初は、どれがいいかと見て回ったことから、今日のお天気になり、理想の異性像の話まで、深く話したのだろう。

 私の推測と妄想の産物だが。


「この経緯は分からないけれども、二人は、初めての寝屋を共にしたと思われるわ」

「あのさ、ママ。伯母さんと店長の話になるとは……。僕も思わなかったよ」


 私もまさかのまさかだと思った。

 伯母の前まで歩いて行く。


「昭和四十年、一夜限りの情事だったけれども、和伯母さんは子を授かったようね」

「和! そんなことなかっぺよ?」


 伯父は素で話して、お国言葉が出ている。

 伯母は心に花畑と精霊さんがいるような感じになっている。

 まともな返事が返って来るとも思えない。


「和伯母さんは、一年間位、持田家を離れていたことがなかったかしら」

「ずっと、いたっぺー。俺が入院しているときもお見舞いに来てくれたっぺよ」


 伯父は、伯母の名を四度は呼んで、肩を軽く叩いた。


「あら、あら。痛いわ」

「いつから惚けているっぺ。いつまで惚けているっぺよ! 明るい和になる為に、このホームにいるっぺよ?」


 伯母さんは、先に『しばざくら』に入居されていたのか。

 知らずに手続き等をして来てしまった。


「ふざけるな! おい、陶芸屋の! どうして、和に手を出したっぺ?」

「奥様が望まれたことです」

「汚いっぺーよ。俺は、苦しい思いだっぺ」


 怒り心頭に発する、怒髪天を衝く、伯父は形容し難い思いなのだろう。

 この秘密を明かしたことに胸が痛かったが、梅芳さんの為にがんばろうと思った。

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