第45話 倫理違反

「話は戻すわね。お腹が大きい間、持田家を離れて、生原の実家に帰っていたのだと思うわ。お祖母さんが亡くなるときに見た書きかけの俳句の意味が分かったの」


 あの句だ。

 ありありと思い出す。


『腹が痛いと、泣く子あり。 フク』


 茅葺の家には、六十六歳の父、元、一つ下の母、フク、それに、二十二歳の妹、さくらがいただろう。


「今の状況を見ての推察だけれども、伯母は、無事元気な赤ちゃんを産めたのよね」


 あの俳句は、無念のものだろう。

 本来なら、フクの孫なのだから。

 会わせられなかった曾孫は、どこだろう。

 梅芳さんと美桜緒さんを目で探したら、窓辺に椅子を持って行き、飲み物をしっかと抱えて、静かにしていた。


「そして、太田氏の言から、赤ちゃんは太田氏の子として、非嫡出子の扱いとはいえ、迎え入れられた。太田緑と命名し、戸籍も持てて、小学校、中学校などもきちんと行かせて貰えたのでしょうね」


 お産をしたら、もう、我が子と会わない決意が、伯母にはあったのだろう。


「実は、僕も昭和四十一年生まれで、偶然は怖いと思ったよ」


 パパも同い年だと、私も思い出した。

 五つ上となる。


「それからの彼女について教えてくださる? 太田総一郎氏」


 彼は、娘の車椅子が動かないようにし、手を離す。

 肩の力を抜いて、息を長く吐いた。

 緊張しているのだろうか。


「ああ、娘は、自分の影響か陶芸に目覚めて行き、高等専門学校を出て、この道を行くと決めた様子だった。作陶にとても熱心だったな」


 緑さんは、相変わらず口を開かないでいる。

 私は、本人に語って欲しいと、彼女に二、三、歩み寄った。


「娘は、群青シリーズの出展に当たり、名を紫香とし、南野みなみのデパートで、入選及び佳作を取った。それからだ、作風を固めて行ったな」


 緑さんが、細く息を吐いた。

 大切なことかと思ったが、生憎、聞き取れなかった。


「パパと私は、西洋美術史と洋画が専門だから、中々、朱の炎と接点のない生き方をして来たのよ。まさかのことに、気付きもしなかった訳なの」


 婚姻の届け出をするあの日までは。


「私の想像よ。それを機に、太田総一郎氏は、喫茶兼陶芸品の販売店、朱の炎で、親子関係を隠しながら、紫香さんの作品を前面に売り出した。合っているかしら」


 太田氏が、ハンカチで目元を拭った。


「そうだな。自分で、全て行ったことだ。娘を愛している……。親の気持ちなど、シングルファーザーであれ、同じだと信じて来た」


 成程、悪い人ではないらしい。

 しかし、不倫は許されない。

 

「緑さんとしては、どんな気持ちだったのだろうね。一人親ということに対してだよ」


 パパの話だ。

 彼は恵まれた家庭環境にあり、緑さんが母親探しをしなかったのかと訊きたいのだろう。

 私には両親がいてくれて、疑うことなく大好きだった。

 だから、彼女は心に残念な想いを抱えていたのだろうと推察する。


「本名、太田緑の紫香さんもまた、結婚をしないで、仕事に熱心だった所へ、四十歳のときに、誰の子とも知れない赤子をお腹に抱えてしまった」


 どうして、不幸な命と幸せのそれがあるのだろう。

 窓の外を見ると、しば桜が相変わらず吹雪いている。

 私の背中を追い越しておくれと、身を任せたくなった。

 風に乗って、遠くへ行ってみたい。

 話を続けた。


「私のように流れることなく、緑さんは順調に大きくなるお腹を誰にも相談することなく、妊婦健診などにも全く行かず、ましてや父親の名を語らないまま、十月十日を過ごしたのね」


 本当は、困った方だと思っていた。

 でも、話している内に、同情めいたものが芽生えて来る。

 私だって、美桜緒さんのときは、切迫早産で、三度も危ない思いをした。

 順調に、との部分は皮肉だったのかも知れない。


「そして、彼女もまた、一人親になろうとしていたと言えるわね」


 運命って、さだめって怖いと思った。

 ここから先は、容易に推察できる。


「そして、車で移動中に産み落としてしまったみたいなの。そこから、少し行った所に、知った茅葺があったものだから、投げ渡すように、私達に預けて行ったのが、あのときの赤ちゃんとなるわ」


 思えば、平成十八年の雨降る日に、可愛い赤ちゃんと出逢えた。

 その子は、今は梅芳さんとして、本当の親など存在を知らなかっただろう。

 窓辺に目をやると、梅芳さんは凛としていた。

 パパの願いを込めた、梅のように。


「緑さんは、雨の中の天使だと思わなかったのかな。もしかしたら、悪の所業と思ったのか」


 私は、二度お腹の子を天に逝かせてしまった。

 赤ちゃんが誰の子であっても私には愛しい子に違いない。

 緑さんの子を預かって、育児の不安こそあれ、手放そうなどと思ったことはなかった。

 親子の縁ができてよかったと思っている。

 美桜緒さんのお産をしてみて分かったのは、投げ出したい気持ちよりも、感動こそあった。

 でも、それは、家庭があってこそのことだったのかも知れない。


「その子は、緑さんにとっては、勿論、婚外子となる訳よね。ただ、届け出も出さないで、放り投げられてしまった為、私達生原夫婦で育てることにしたの」

「僕達は、それを望んでいたのだよ」


 梅芳さんを本人が疑問を持つ隙を与えることなく、我が子にすることに一所懸命だった。

 お陰で、私達の欠けている気持ちを彼女が風船のように覆ってくれた。


「その後、太田緑の名も痕跡もなく、生原梅芳として、養子に迎えることができたわ」


 自分の娘に目をやった。

 梅芳さんが、肩を震わせつつ、立ち上がった。


「ええ! それ、全部が僕の話なの?」

「そうよ……」


 私は、泣きたい位だったが、やわらかく包み込んだ。


「こういった次第で、今のお姉さん、梅芳さんがいてくれるのだよ」


 パパも胸が一杯だろう。


「姉ちゃは、姉ちゃは、そんな大変な生まれだったのね……。うえ、う、うえ」


 勿論、美桜緒さんだってそうだ。


「僕、僕の生まれって……」

「大丈夫よ。大丈夫なのよ」

「ママ! パパとママ、大好きだよ。僕――」


 私は、愛しい梅芳さんを抱き締めていた。

 群青色のワンピースが濡れた。

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