第34話 初の命名

 それから、三日目。

 私達は、養子をお迎えすることに決めた。

 その方が、この赤ちゃんの一生の為と思ったからだ。


「手続きを取るには、どうしたらいいのかしら」

「色々と調べてみたけれども、先ずは児童相談所に訊いてみようか」


 渋々承知した。


「捨て子だからって、一時預かりとか保護とかは、嫌よ。可愛い子を手放したくないわ」

「分かっているよ」


 もう情が移ってしまったのは、私だけではない筈だ。


「先ず、捨て子を発見したことを届けなければならないそうだ」


 寧くんは、全体の流れを聞いて、私に嚙み砕いて伝え始めた。


「それから、赤ちゃんは、児童相談所の管理下に置かれるらしい。体の状態によって、病院、乳児院、里親などに養育を委託するか、一時保護される場合もあるそうだよ」

「私は、その里親を希望するわ」


 待て、待て。

 一時的な話なのか。


「児童相談所の所長は、産みの親を探すことに尽力するようだね」

「それもそうよね。紫香さんが名乗り出たらお終いなのか」


 実の親は、知らないで通すのか。

 私は、嘘吐きになる。


「その実の親との連絡がある程度の期間取れない場合に、初めて、児童相談所の所長は自治体の長に対して、氏名の作成と戸籍の編製を要請して、戸籍ができるとあるよ」

「戸籍のない子は、学校へも行けないしね」


 戸籍は大切だから、紫香さんが名乗り出なかったら作ろう。


「本当の親が中々見付からないだろうとされると、赤ちゃんは養子縁組候補児として、里親に紹介してくれる制度になっているみたいだ」

「私、里親になるから。ねえ、赤ちゃん」


 ベビーベッドから、ご機嫌を窺う。


「里親になる研修は受けていたから、どうだろうね。僕達のような養親希望者が現れると、委託前研修など受けて貰って、児童の養育委託を判断されるようだ」

「んっぱっぱ」

「ほんぎゃ」


 あやしたら、逆に泣かれてしまったとは、里親の前に、母としてどうなのだろう。

 それとも、赤ちゃんは泣くのがお仕事なのか。


「家庭裁判所に養子縁組申請をするのだけれども、特別養子縁組を望む場合には、六か月間の養育状況観察をされる。例えば、養親の素行、犯歴、近隣などの調査があるらしい」

「あやしい人ではないわよ。ねえ、赤ちゃん」


 両手を開いて、自分の耳の横で動かす。


「んぱあ」


 ご機嫌がよくなるツボが分からない。


「こうして、家庭裁判所審判官は養子縁組申請が通るか決めるようだ。その連絡は、書面で来るようだから、養親はそれを戸籍窓口に提示して養親の戸籍に入れることが、初めてできる訳だ」

「やったわ。この赤ちゃんと親子になれるのね」


 寧くんの頬にキスをする。


「僕達は、特別養子縁組をしようか」

「そうよね」

「んぱんぱ」


 ◇◇◇


 私達が決心をしてから、手続きは煩雑だった。

 がんばろうと自分を励ますことは少なくない。

 恐れていた、実母の紫香さんは、とうとう名乗り出なかった。

 事情があるのだろう。


「櫻絵さん、本当に曲げることなく、信念を突き通して来たね」

「法律は、私達も保護してくれるわ」


 いよいよ、養子をお迎えする日となった。

 法律が守るのは、子の権利だろう。

 けれども、紫香さんのことを知っているのに嘘を吐いてしまった。

 赤ちゃんの本当のお母さんがいるのに。

 私は、眠れないで朝を迎えてヘロヘロだ。


「晴れていて、いい日ね。でも、虹を渡ってお父さんは来られないみたい」

「櫻絵や、今までがんばったのをあたしは知っているさ」

「お母さん。がんばれたのは、寧くんのお陰なの」


 戸惑いつつも赤ちゃんを戸籍に入れる。

 籍は、とても大切なことだ。


「お義母さんもご一緒に行かれますか」

「いいさ、あたしはおまけで」

「一緒に暮らしているのだもの。行きましょう」

「そう言ってくれるのなら、後ろで控えているさ」


 車に皆で乗り込む。

 誰も口を開かないまま到着し、戸籍の窓口に来た。


「お名前は、どうしようかしら。寧くんはどうしたいの?」

「お義母さんに命名して貰おうか」


 赤ちゃんを抱いて、後ろの席に座っていた母の所へ行く。


「お母さん、この赤ちゃんに似合うお名前をお願いいたします」

「ええ? あたしがかい」


 暫し、躊躇していた。


「櫻絵みたいに、植物の名を入れたら可愛い女の子になると思うさね」

「私のことを可愛いと? お母さん、可愛いと思ってくれているの」

「そうだろうよ。一人娘だよ」


 今にも泣きそうな気持になった。

 それだけ興奮している。


「お母さん……。ありがとうございます」

「お礼だなんて要らないさ」


 ここは、夫にも権利がある。


「寧くん、どんな植物が好きかしら」

「梅かな。梅雨どきに運命的に出逢ったし、凛としていて」


 どきどきしながら聞いたら即答だった。


「梅に子どもの子で、梅子うめこ。これならどうかしら」

「ぷぎ」

「あら、気に入らないのかな」

「梅に芳しいの芳で、梅芳うめか。これなら、大人になっても恥じないと思うわ」

「ぷぷぷ」

「あら、お気に入りなのね。生原梅芳ちゃんに決めてもいいかしら」


 母が、破顔一笑した。


「ああ、いいねえ」


 私達は、梅芳と命名した。

 それで、届け出た。


「がんばるんだよ。二人とも、もう、パパとママさね」


 私は、武者震いがした。


「ママ? 私が……」

「櫻絵や。もう、梅芳ちゃんのママだよ」


 はっとして、養親となった夫を見る。


「だったら、寧くんがパパよね。お母さん」

「勿論だとも。あたしは、両親が揃っている子育てもいいと思うがね」


 涙が零れ落ちそうになるから、くっと上を向いて秘密にした。


「はい。お祖母ちゃんでちゅね」

「年寄りをからかうものではないよ。まあまあ、ははは」


 梅芳を母に抱かせる。

 母の横顔が赤らんでいるように見えた。

 それは、昼の高い日差しのせいではない。


「私ね、言葉にするのは初めてだけれども、お父さんのお葬式のこと、もう根に持っていないからね」

「おや、どうしてかね」


 あぶあぶとあやしながら、あのときの荒々しさが母から抜けていた。


「お父さんが教えてくれた子守唄が、私自身の産声を上げた肺胞から、込み上げて来たの」


 車中にて、その子守唄を歌う。


「――秋荒ぶ、枯葉の吐息、真昼の迷宮、忘れじの恋、嵐の間に間に、見えぬ明日を、彷徨いて求めし、君の面影」


 しば桜が玄関で出迎えてくれた。

 白も薄桃も、にこやかに一緒に歌ってくれている。

 そして、赤ちゃんを寝かし付けて寧くんにみて貰う間に、ジョウロで水遣りをすると、小さな虹ができた。


『さくらさん、一人娘の櫻絵に寧殿。これからの幸せも遠くで祈っている……』


 虹を渡って来てくれた父の声だ。

 母にも届いたのだろうか。

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