第33話 縁の開花

 お腹にある痛々しいものに、私は再び困らされていた。


「んぎゃー! ほんぎゃあ」

「お母さん、へその緒をどうしよう」

「大体一週間前後で乾燥して取れるものさ。それまで、優しく消毒して、ガーゼを当ててからおしめをするのさね」


 母が母親らしく頼りになると、心底思う。


「よかったでちゅね。赤ちゃん」

「あぶあぶ、ぶぎー」

「分かった。追加で、消毒液とガーゼに綿棒とサージカルテープを寧くんに買って来て貰うわ」

「櫻絵や、頼もしいではなかえ。さあ、赤ちゃんをよこすさね」


 電話する間、母に抱いて貰っていた。

 玄関の鍵を回す音がする。

 帰って来た。


「ただいま。雨も小降りになって来たよ」


 寧くんは、沢山の荷物を分かり易く並べてくれた。


「足りない物は、これから買い足そうな」

「広いお店を広げてくれたわ」


 ベビー服に、短肌着を六枚、コンビ肌着二枚、長肌着二枚、ツーウェイオール三枚。

 おねんねに、ベビーベッド、ベビー掛け布団と敷布団、ドーナッツ枕、シーツ、おねしょパッド。

 おむつに、新生児用テープ型紙おむつ、お尻拭き、おむつ替えシート。

 授乳に、哺乳瓶、缶入り粉ミルク、哺乳瓶消毒アイテムでミニュトン、肩掛けやお口拭きにガーゼ。

 沐浴に、ベビーバス、湯温計、長いガーゼ、沐浴剤、バスタオル。

 清潔や体調管理に、ベビー綿棒、保湿剤のベビーオイルとベビーパウダー、湯上りにおやすみベビーローション、ベビー用爪切り、ベビー用体温計。

 お洗濯に、赤ちゃん用洗濯洗剤。

 乗車に、チャイルドシート。

 パパとママの為の育児日記帳。


「寧くんお疲れ様。お臍のガーゼとかあったかしら」

「お手当セットが売っていたよ」

「きゃーん。やったあ」


 それは便利と、私は、急ぎお世話をする。

 ケースにまとまって入っていて、さっきまでの困ったが大丈夫になった。

 先ずは、消毒液をベビー綿棒でやわらかに臍の緒の付け根に塗る。

 綿のガーゼで、臍の緒を覆い、サージカルテープで十字に貼り、固定した。


「はい、気持ち悪かったでちゅね。おむつを当てまちゅよ」


 おむつ替えシートの周りに必要な物を並べる。

 使い捨て濡れティッシュをお尻拭きとして、用意してくれて助かった。

 お湯から上がってから、またおしもが汚れてしまったので、綺麗にする。

 おむつを下に敷いた。


「よいちょでちゅよ」


 後ろから前へおむつを整え、左右のテープで、股ぐりも漏れないよう、そして、きつくないように留めた。


「櫻絵さん、赤ちゃんに、櫻絵さんと同じ痣があるよ。しば桜のような」

「私も気が付いていたわ。でもこれは、あの暴露されたときの恐ろしい証だから、封印して置きたい」

「ああ、ネズミイボかい? あたしにもあるよ」

「そうよね! お母さんにもある位だわ。よくあるのよ」


 短肌着を着せる。

 赤ちゃんのお肌に優しく、縫い目が表に出ていて、紐を前で蝶々結びにするものだ。


「ふぴ。すうーぴ」

「ご機嫌さんですね。ミルクにしましょう」


 寧くんも流石同じ本で学んでいただけある。

 人肌のミルクが渡された。


「ありがとでちゅね」

「僕にまで、赤ちゃん言葉かい」

「てへ」

「取り敢えず、煮沸消毒してあるから」

「ありがとでちゅね」


 哺乳瓶で口元を擽ってやると、くんと吸い付いてくれた。


「げべばあー」

「きゃあ、戻しちゃったかな」


 私は、肩越しに赤ちゃんを掛け、げっぽとんとんと歌いながら、ゲップを出させた。


「寧くん、小さいのないかな丸穴のSSサイズ」

「一緒に消毒したよ。新しくして来るよ」


 来た、来た。


「はーい。美味しいでちゅよ」


 警戒しないかと思ったが、甘いミルクの独特な香りのせいだろうか。

 心配なく吸い付いた。


「んっく、んっく、んく」

「よかったわ」

「僕だけぼんやりしているようで悪いな」

「そんなことないわよ」

「なら、僕にできること。ベビーベッドを用意して来るよ」


 母が、こちらにあたたかい目を向けている。


「お母さん、どうしたのかしら」

「櫻絵や」


 私は、げっぽとんとんをさせて、ガーゼで拭いたりしていた。


「櫻絵や……。私は悪い人さね」

「どうしたのよ、お母さん。幸せそうで泣けてしまったのかしら」


 母は、暫く緘黙していた。


「櫻絵や、この赤ちゃんは、櫻絵が産んだんだろうよ」


 呆けて来た訳ではない。


「櫻絵が産んだんだ」

「お母さん、これは、捨て子なのよ」

「櫻絵が産んだ」

「ええ? 私、産んでないわ」


 赤ちゃんは、ミルクが終わると、眠たそうに身を私に任せた。


「あたしは、櫻絵の子だと思っているさ」


 私は、縁を感じてやまない。

 あのときの紫香さんが、投げ出すように私に託した命を。

 ほんの立ち寄った陶芸店で働いていた彼女は、母親を放棄したのだ。


「お母さん、私……」

「そうだよ、櫻絵や」


 足音で分かる。

 寧くんが、夫婦の部屋から帰って来た。


「おーい、ベビーベッドと布団の支度できたよ」


 話の流れが彼には分からなかったのだろう。


「これは、縁の花が咲いたと思って。なあ、櫻絵や」


 私は、生唾を飲み込んだ。


「縁の花……」

「どうしたんだい」

「縁があったと。勝手に解釈したら、犯罪でしょう」

「いや、櫻絵が産んだんだから、間違いない」


 寧くんが、目を丸くした。


「ちょ、ちょ、ちょ。それは駄目でしょう」

「子どもが授かれないことで悩んでいたことは、知っているよ。母親だからさね」


 母の目が本気でぎらついている。


「でも、櫻絵さんが妊娠して、産婦人科に通院もしていないですよね」

「酷いことをお言いなさるな」


 赤ちゃんの顔を覗き込んでは、静かにして欲しいと思った。


「赤ちゃんが起きないようにしてね」

「僕達のことで、お義母さんも心に痛みを抱えているんだよ」


 可愛い赤ちゃんは、もうおねんねしたいようだ。


「赤ちゃんを寝かし付けて来るわ」


 私だけでもいいと思い、ゆっくりと立ち上がり、夫婦の部屋へ行った。

 ベビーベッドがあり、緑の布団に夢見るうさぎさんが描かれている。


「よいちょこ、よいちょ」


 布団に寝かせ、緑のうさぎさんドーナッツ枕を使ってみたが、赤ちゃんには大きい感じがした。

 代わりに、タオルを折って、枕にする。


「あら、可愛いわね」


 私は、即興で、夢見るうさぎの子守唄を口ずさんだ。

 母は、自分が音痴だからと、歌わなかったそうだ。

 その代わり、父の背で、私は歌を覚えて行った。


「歌一つにも想い出があるわ」


 外を窓越しに見る。

 小さな虹が架かっていた。

 あの日、父が夢に出てくれたかのように。


「ふんふん……」


 秋荒ぶ

 枯葉の吐息

 真昼の迷宮

 忘れじの恋

 嵐の間に間に

 見えぬ明日を

 彷徨いて求めし

 君の面影


『秋の面影』

 作詞、作曲、生原志朗。


「思えば、子守唄かしらね……」

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