第28話 トチノキ

『私のような薄桃は、花言葉で〝臆病な心〟と言われるよ。大丈夫かしら』

『では、白い私の〝忍耐〟で根絶を避けたいと願うわ』


「これは、どういった記憶かしら」

「櫻絵ちゃん、関東大震災のフクお母さん家にいたしば桜よ」


 和伯母さんの冗句だと思った。

 あの大火で生き残れる筈がない。

 伯母の顔を窺う。


「花も根も焼き尽くされたと思いますよ。これは、フクお母さんが、戦後落ち着いたときに手に入れたと聞いたのよ。櫻絵ちゃん」

「でも、記憶は花々に本当にあるみたい。壮絶だわ」

「櫻絵さんには、声が聞こえたのかい?」


 私は、首肯する。


「縁の花壇とは、誰かと誰かを結び付けるものなのかしら」

「櫻絵さんと僕のようにだといいな」


 寧くんの挙げた例が嬉しかった。


「私達もそうよね。弱くなく、寧ろ、とても強い縁だけに執着する所があるみたい」

「強いか。呪いではないから、好む位かな」


 ノロイなら、初めてのとき、寧くんの心を縛ったのがある。

 私に落ち度があったオトコのことでだ。


「しば桜はね、私の体にもあるでしょう。あれが申し子みたいでね。自分で固執しているのよね」


 独り言ちた。


「おばさんにも、しば桜の痣があるのよ」

「あら、遺伝でしょうか。黒子みたいに」


 母からも聞かされていなかったので、新鮮に感じた。


「伯母さんは、年頃になって気が付いてね。最初は、病斑を疑ったのよ。けれども、大丈夫みたい」


 和伯母さんの話を聞き、私は、寧くんと目を合わせる。


「病斑は、考えたことがなかったわ」

「僕も頭が回らなかったよ」


 伯母は、ゆっくりと息を吐いた。


「大さんは、ネズミイボの一種だろうって。戦後直ぐで、病院もなく、行ける状態でもなかったからね」

「櫻絵さんが、病気の可能性があるのなら、行かないとね」


 ころころと笑う伯母は愛らしい。

 母はどちらかと言えば男性らしさがあるから、対照的だと思った。


「まあ、いい旦那様だこと。櫻絵ちゃん、幸せね」

「てへー」

「まあ、まあ。仲睦まじくて」

「和伯母さんは、いつも優しくて大好きよ」


 寧くんが、目を細めて私達を見ている。


「恵のトチノキへ、そろそろ行きましょうか。ご夫婦にはいい所よ」

「楽しみね」


 伯母と祖母と父のお葬式について話をしながら、眼下に広がるしば桜を愛でていた。


「フクお母さんは、長生きしたからともかくもよ。志朗さんは、まだ早かったのに。逝ってしまうなんて、酷よね」

「父がね、亡くなる前に虹の階にいたのよ。紫色に腰掛けて、会いに来てくれたのよ」


 伯母の大きな手が、私の髪を撫でる。

 彼女は、梨園で働き、しば桜公園で働き、恐らくは子どもに恵まれない苦しみを辿りつつ生きて来たのだろう。

 日に焼けた笑顔で、私を包み込んでくれた。


「さあ、そろそろ恵のトチノキよ。ここからの感動は二人で味わって来てね」


 伯母の配慮があたたかい。


「すっかり和伯母さんにご案内していただいて」

「いいのよ。その代わり、幸せでいるのよ」


 涙腺に訴えるものがあった。


「ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 二人で礼をした後、踵を返して一歩一歩を踏みしめる。

 そこから少し丘陵の上へ行くと、トチノキが見えた。

 ふさっとしている木の存在感が生半可ではない。


「凄いですね。絶句ですよ」

「私も言葉が出なかった」


 ただ大きいだけではない。

 霊感を感じた。


「どうかしら。私としては、こちらに子宝をお願いしてもいい感じがする」

「櫻絵さん、霊感高過ぎかも知れないね」


 木の近くに、パリにでもありそうなベンチとテーブルがあった。


「寧くん、ここへ来て。ね、ね!」


 私が先に来てトートバッグを置き、腰掛けた。


「OK、OKだよ」


 高い所なので、風が吹いて来た。

 トチノキを見る。


『とうとうと、我に祈り給え』

「誰かしら」


 耳を澄ました。

 我と名乗った。

 この周辺には人影がないのに。


「疲れたのかな。櫻絵さんの顔色が優れないよ」


 寧くんが隣に腰掛けて来た。

 おでこに手を当てられる。

 熱ではなかった。

 興奮して、微熱はあるのかも知れないが。


「お気遣いありがとう。ちょっと耳に、ちいさいおじさんがいるみたい」

「初耳だな。お家に帰ったら、お掃除しような」

「やーだー。空耳なだけよ」


 バッグから取り出して、お店を広げる。

 モカ、野菜とレタスのサンドイッチ、ゆで卵、チーズタルトだ。

 もう一つあるけれども、それはサプライズにする。


「いただきます。喉が渇いたから、先にモカが欲しいな。まだあたたかいといいな」

「OK、OKよ」


 水筒の他に、紫香さんの群青さんシリーズからコーヒーカップを持って来ていた。

 ととっと注ぐと、香って来て、喉が刺激される。


「んん、サンドイッチに才能を感じるよ」

「えへー。褒めても何にも出ないわよ」


 殻ごとゆで卵をアルミホイルに包んである。


「黄身が真ん中にあるね。才能を感じるよ」

「寧くん、語彙力捨てたかしら。でも、欲しい技能だわね」


 二人で微笑み合った。


「ああ、幸せかも。少なくとも私には最高だわ」

「僕もだよ」


 さあ、今朝見せびらかした例の物だ。


「チーズタルト、ちょっとあたたかくなってしまったけれども、いただきましょう」

「美味しそうで、もう待てないよ」


 がんばって拵えたので、私も顔がゆるむ。


「どうかな。ボキャブラリーの上昇中だよ」

「騙したわね。寧くんのもいただくぞ」

 

 もう、福が一杯で仕方がない。

 トチノキのお陰で、このベンチで過ごせた。


「どうぞ、私からのサプライズなのよ」


 薄桃色の封筒を差し出す。

 封蝋は、アルファベットのアイを選んだ。

 間もなくして、彼の震えた声を聞く。


「これは、ラブレター?」

「うふ」


 彼は、今読むと泣きそうだからと、春コートのポケットにひそませた。

 記念写真を撮ったりして、公園巡りを終える。


「来年も訪れます」

「素敵な想い出をありがとうございます。和伯母さんにもよろしくお願いいたします」


 受付にいた伯父に声を掛けてから、車を出した。

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