第27話 記憶の花

 しば桜公園の持田伯父さんが、私に六百円と入場券を握らせてくれた。

 まだ、入場前なのに、チケットを彩る美しい花の絨毯が匂ってくるようだ。

 早く入りたい気持ちを抑えて、伯父さんの話を待つ。


「さくらさんは、櫻絵ちゃんを連れて、梨園まで来てくださったんだよ。さくらさんも綺麗でね、今の櫻絵ちゃんと同じ判子みたいだっぺえな」


 だっぺえなとは、耳に懐かしい響きだ。


「おっと、ついお国訛りが出てしまったわい」


 伯父は口を手で覆った。


「以前は、母もだっぺを連発していましたよ。寛ぐとそうなります」

「さくらさんもそうなら、安心してもいいか」


 母は、繕っているので、独特の話し方になっているけれども。


「寧くん、祖母のご葬儀でお会いした、母からしたら、十八歳上の姉が和伯母さんと言うのね」

「ご紹介いただいたよ。お人柄の良さそうな方でしたね」

「伯母は、戦後直ぐに思い立ったのか、持田大さんとの良縁を大切にして、嫁いで行ったのよね」

「初めまして。申し遅れました。櫻絵さんと今春ご結婚させていただいた、えっと、その」


 彼がポケットを叩きながら、困っている。


「緊張したのかしら」

「櫻絵さん、左手を見せて。僕達も結婚指輪を交わせました」


 伯父が、ほうほうと頷いている。


「けれども、手違いがありまして。同じプラチナなのですが」

「そうなのよ。私が八角形のものなのに、彼のはつるっと丸いのですよ」

「印字は合っているのですがね」


 ひょうと、伯父は息を吸い込んだ。


「そりゃあ、大変だっぺ。早い内に交換した方がええで」

「そうね。二人とも二個目を買うつもりで、新しくお揃いのマリッジリングにしたいと思っているの。縁を切るようで嫌よね」


 私は、虫歯が痛むポーズで、悩む。

 伯父は拳を掌に打った。

 

「おーい、母さん」


 大伯父さんが、携帯電話に向かって大きな声を出している。


「うーん、うーん。聞こえっぺよ」


 微笑ましくて、つい、口元に手を当てて小さく笑ってしまった。


「家内がこちらに向かっているよ。折角だから、公園でお茶して行ったらいいだろう」


 園内案内のリーフレットをいただいた。


「ああ、それと。えにしの花壇、めぐみのトチノキは知っているかな。手を合わせるといいよ。公園の真ん中にあるから」


 私達は、目を合わせる。


「あら、素敵だわ。縁や恵があるのね」

「持田の伯父さん。僕達は、今日、神社にお参りをしたのですよ。神頼みでも縁起担ぎでも縋りたいことがありまして」


 受付の内側からドアが開く音が聞こえた。


「あれあれ、伯母さんだよ。櫻絵ちゃん、元気だったかい」

「元気……。この間から暫くするけれども、まあまあみたいよ」


 私は、掻爬の件を伝えなかった。

 女の体を弄び、私の愛を傷つけられたあの日のことは、忘れられない。

 あのオトコ、早く心の闇から抹殺したい。


「私は、この公園の管理を時々任されているのよ」

「伯母さんは、働き者ね」


 和伯母さんとはいつも話し易い。

 いつも可愛がって貰った。

 オルゴールや人形も贈ってくださった。

 持田家にお子さんがいらっしゃらないからかと後で思うようになる。


「食べて行く為だけではないの。好きでしていることだから。大さんにも感謝しているわ」

「おいおい」


 伯父さんが、口元をむず痒く動かしている。

 これが、鼻の下を長くするものかと納得した。


「素敵な伯父さんと伯母さんですね」

「そうなのよ。昭和も恥ずかしい位前ね、四月八日に、私が産まれたと聞いて、伯母は日本画をくださったの。ボタニカルアートがお好きで得意でね、私の誕生花のシバザクラをくださったわ」


 寧くんになら自慢してもいいだろう。


「ああ、それでお義母さんは、家でシバザクラを育てているのかも知れないね」

「それもあるのかな。ちょっと気が付かなかったわ。うっかりぽんすけだね」

「ぽんすけって誰だろう?」


 彼が、抑え気味に笑う。


「それでは、しば桜の絨毯をご覧ください。ご案内いたしますから、迷わないですよ」

「どういう冗句ですか」


 私は、秒で突っ込みを入れた。


「櫻絵ちゃんが、大学から最寄り駅までよく迷ったと、さくらちゃんから聞きましたよ」

「そんな黒い歴史があったとはな。僕がメトロへ送ったりしたら、迷子もよくなったね」

「私にも色々とありましたけれどもね」


 方向音痴に対しては、意固地になってしまう。


「もう、過去に縛られないよ、櫻絵さん」

「一緒にいたら、寧くんナビがいるものね」


 お喋りに夢中になって、視野を疎かにしていた。

 伯母が止まって、体の向きを変える。


「ここからの眺めが伯母さんのお気に入りですよ」


 元梨園に、しば桜で、広大な虹のシャワーが注がれている。


「綺麗だね、櫻絵さん」

「うん、今絶句していたわ」


 遠くから見ると、小粒な花だと感じさせない位、健気に咲いていた。

 一つ一つが小さな命で、風に微かに身を任せている。


「ここでは、しば桜の声が聞こえないみたい」


 独り言ちをした。


「さて、縁の花壇と恵のトチノキへ行きましょうね」

「僕達の為に、お時間を割いていただき、申し訳なく思います」

「ここは、お願いしましょう。後でお礼をしますね。伯母さん」


 左右にしば桜がうねる。

 どこを見ても美しいと讃えたい。

 そして、特段に手入れをされた、白と薄桃の花壇に辿り着いた。

 大きさは卓袱台位だ。


『フクさんのお孫さんね。そっくりね』

『私達の記憶の声を聞いてください』


 私は驚いて、ひっと高い声を漏らした。

 記憶の声とは、どんなものだろうか。

 縁の花壇に迫る。

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