第23話 佇む紳士

「もう直ぐ、生原の家よ。心が弾むわ」

「僕も生原寧となって、嬉しいよ」

「食器も益子焼で用意できて、本当、感謝しているの」


 ルームミラーからは、朱の炎、店長と紫香さんが乗る車が見える。

 私は、幸せの道を歩んでいるんだと、踏みしめていいのだと、心に沁みるものがあった。


「茶の垣根、茅葺屋根に土間。古臭いと思われるかな。でも、今分かったわ。私の故郷なのよ」

「郷里を想うことは、素晴らしいと思う。櫻絵さんが悩んでいた、真実の自分へ歩み寄る一つなのだろうね」


 砂利道を寧くんのハンドルさばきで乗りこなす。


「鳥小屋のある方へ車を停めて欲しいな」

「奥だね。オーライ」


 私達がセダンから降りると、垣根の前でワゴン車が入りあぐねていた。


「どうぞ、牛小屋も鶏小屋もありますが。坂を上がってください」

「失礼いたします」


 運転席から店長のやわらかい声が届く。

 無事、玄関前にワゴンを停めていただいた。


「櫻絵や」

「お母さん」


 玄関から、真っ先に母が出て来た。

 いつもと違う留袖で、綺麗な顔をしている。

 でも、私を見ると涙ぐんでしまった。


「お母さん、私達、籍を入れたわ。寧くんが生原姓にしてくれたの」


 後から、義父と義母が、洋装で現れた。


「橘さん、櫻絵が我儘を申したようで」

「その件は、承知いたしておりますから」


 橘のご両親と母との間で、話が行き来する。


「あの、お時間を取らせてはいけないので、ご紹介してもいいかしら」

「なんだい、櫻絵や」


 ワゴン車から二つの影が降りた。


「こちらは、益子焼のお店、朱の炎、店長さんと作家の紫香さんです。お買い物をしたら、商品を丁寧にも車で送ってくださって」

「まあまあ、お越しくださり、ありがとうございます。生原櫻絵の母、さくらでございます」

「寧の両親です。父の京と母の瞬と申します」


 母が腰を曲げる。

 義理の父母もお辞儀を丁寧にした。


「はじめまして。最近店を出したばかりで、太田総一郎と申します」


 その刹那、実家のしば桜が揺れた。

 風などあったのか。

 いや、今日はいい日和だ。


『いらっしゃいませ。紫さん』

『こんにちは。白さん薄桃さんに』


 揺れる揺れるしば桜。


「しば桜がご挨拶をしているのかしら」

「櫻絵さん、お母さんが頭を上げないんだよ」

「ええ。お母さん、どうしたのよ。ぎっくり腰かな」

「さ、櫻絵や。本当に腰が凝り固まったようだよ」


 そこへ、太田店長が母を支えに行く。


「大丈夫ですか。ゆっくりと部屋で休まれてください」

「あ、いや、あたしは大丈夫で」

「お着物でお疲れになったのでしょう」


 私は、玄関まで送って行く店長の紳士的な背中を感じていた。

 だのに、むかむかする。


『紫さん、紫さん。遊びましょう』

『寂しかったのですね、白さん薄桃さんに』

『紫さん、今夜はお月さまが綺麗よ。私達でも宴をいたしましょう』


 お月さまが綺麗な夜に祝宴とは、私達も背筋を伸ばす気持ちだ。


『皆さん、おめでとうの次にさようならの予感がします』

『お別れが待っていると紫さんは感じるのかしら』

『出会いもあるけれども、辛い別れが待っております』


 私は、玄関の戸を閉めながら聴いてしまった。

 ショパンの別れが、イヤリングに流れるからだ。

 ピアノの物悲しくも情熱の焼けかすが胸を縛った。


「今、想えば。寧くんを自分の都合で振ったのが、全く分からない。どうにかしてあの日をやり直せたならと何度でも思うわ」

「聞こえたよ、櫻絵さん。昔話と涙とは、祝宴で振り切ろう」


 私の中に吐き出したい言葉が迷子になっている。

 これが、精一杯の愛情表現だ。


「月が綺麗に出るそうよ」

「伝聞になっているけれども、誰かから教わったのかな」

「そこの白と薄桃よ」


 もう一度、玄関を開けた。

 風がすいと吹き込む。

 しば桜達の歌声がノクターンの細やかな音を拾う。


「それでは」


 太田店長が母の次に物を運んだら、会釈をして来た。

 そもそも、品物を割れないように送りに来てくれたのを思い出した。


「失礼いたします。さあ紫香もご挨拶をして」

「本日はおめでとうございます。今後ともご贔屓に願えれば幸いです」


 二人は来た道をなぞるように帰って行った。


「お母さん、どうしたの」


 母は広縁で、店長と紫香さんに手を振っていた。

 そして、小さな手をやわらかく合わせ、祈り始める。

 落ちてもいけないと思い、私も外から石を踏んで広縁に上がった。


「志朗さんが、佇んでいたんだよ」

「落ち着いて。お父さんは今はお墓と仏壇にいるの」


 母は、肩を小刻みに震わせている。

 悪寒がする訳ではないようだった。


「お義母さんは大丈夫なのかな」


 玄関の方から寧くんが近付く。


「志朗さんは、大きな木があってね、その周りにしば桜の敷かれた美しい所で知り合ったのさ。木は葉桜で、寄り掛かり本を読んでいた影を忘れられないのさね」

「初耳だわ」

「しば桜はそれはそれは祝福してくれてね。あたしが頬を染めると、春の歌で切なさを散りばめてくれた」

「お母さんって浪漫持ちだったのね」


 知らなかったことに、私がときめいてしまった。


「志朗さんが、そこにある木に立っていたろうよ。本も読んで。しば桜も微笑んでいたさ」

「お義母さん、陶芸店の方ですよ」

「歯向かうのか」


 母が、ぎっと寧くんに歯を見せた。


「やだ、二人とも仲良くしてね」


 母の手を取り、立ち上がらせて、体の向きを変える。


「さあ、奥で橘のご両親がお待ちだわ」

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