第16話 一滴の命
私は、頭がガンガンになる。
「生きている――?」
縦に衝撃が走った。
下から突き上げる。
大地が覚醒したかのように。
「寧くん、生きているわよね?」
まだ揺れている。
とうに這いつくばっていた。
「これは、大地震に違いないわ」
エレベーターには、私を入れて、女性六名、男性四名がいた。
中が広いので窮屈さはない。
悲鳴が男女問わず聞こえた。
「寧くんの声がないわね」
エレベーターのボタンを押しまくる音が無機質にこだまする。
「寧くーん! 寧くん!」
私は人の文字が波打つ中、赤く光る文字を目指した。
「あの非常を押すんだわ」
割り込んだと思われた。
「押すなよ、姉ちゃん」
「最寄りの階で降りるのよ」
低い声に冷静に応じる。
「きゃあ! これって、高速なんじゃない?」
「恐らく二十九階付近に来ていると思うわ」
甲高い声にも静かに対応する。
「く……」
ボタンまであと少しの所で、手が届かない。
まだ、揺れているせいか、ひっくり返ってしまった。
男性の背に乗る形となった。
「櫻絵さん」
「ええ? 寧くん、探したのよ」
「僕は、下にいるよ」
大きくエレベーターが動いた。
「あああ……」
天井の方が回っている。
「僕が抱き締めるから。しっかりして」
「寧くん、寧くん」
そのとき、どこかの壁に叩きつけられた。
彼が庇ってくれたので、痛みはない。
偶然にも赤い非常ボタンが近くなっていた。
抱かれながら、私は手を伸ばす。
「櫻絵さん、僕と押そう」
喧騒の中、私の細い腕に添い合わせるのは、あたたかな手だった。
「今よ――!」
揺れた勢いで、非常ボタンを押した。
二人の掌が揃って壁を叩く。
自然と長押しになっていた。
だから、大都会ビル守衛室の防災センターをコールし続けてくれないだろうか。
繋がると祈りたい。
「非常ボタンの反応がないわね」
「今、混乱しているんだ。仕方がないよ」
折角、がんばったのに。
「誰か、いないのかしら」
「ボタンを全部はどうかな」
「そうよね。各階のボタンも確実に押すわ」
私は漏れなく、地階から屋上まで押した。
全てのボタンが、雫を纏ったように輝く。
「うわあ」
「開いた」
「フロアへ。で、出るんだ」
他に八名がいると思っていたが、私達を山越えするように、即座に出て行った。
「櫻絵さん、僕達も逃げるんだ」
「ええ。二滴の命を守れるわ」
無事にフロアへ出られた。
「はあ、はあ。やったわ! 外はいいわね」
すると、エレベーターからくぐもった声が聞こえた。
『もしもし、こちら防災センターです。通電しており、自動で各階に止まる仕様になっておりますので、ご安心ください』
「ありがとうございます。今、僕を含め十名が三十階に出ることができました」
『そこから、右手にございます階段をご利用ください』
確かにあった。
「分かりました」
「寧くん、大丈夫なの?」
「階段だ。階段で逃げよう」
揺れは、ビル独特のものとなり、大地震によるものとは違うと思う。
「私達、離れないわよね」
「いつだって一緒ですよ。これからも一生」
――いつだって一緒ですよ。
これからも一生。
「えええ! 一生一緒に……」
「二人で一滴の命となろう」
そのときは、恥ずかしがり屋の寧くんと手を繋いでいた。
しっとりと汗ばんだ感触が彼の存在を語る。
お互いのぬくもりが手の中で混ざり合って行った。
「階段を急ぐのは分かるから、転ばないように気を付けて欲しいな」
高層階からだからではなく、気持ちがふわっと浮いて長い道のりに感じた。
再びプロポーズされたからだろうか。
「後、少しで一階につくよ。油断しないでがんばろう」
不謹慎ながら、災害でなのか、寧くんとのことでなのか、心の臓が跳ね上がっている。
「よがった。よがったあ、よがったね」
人前で泣かない私が、ただただ、寧くんのシャツにしがみ付いて、顔を埋めた。
「今、大都会ビルは安全なようだな。一歩外へ出ると、ガラスなど危ないものが落ちているのかも知れない」
「家に帰るまでね」
「電車も動いているとは限らないよ」
そうか、バスやタクシーも厳しいだろう。
「関東大震災のとき、私のフクお祖母さんが町屋から上野まで走って逃げたと聞いたわ。そこで元お祖父さんと出会い、あたたかい人柄に触れたとよく話してくれたの。そして、東京でのお針の仕事場と人を失ったとも」
寧くんが風船を割らないように、私の気持ちを受け止めてくれた。
「相当な火災を潜ったのだろうね」
「私達も走らなければならないのかしら」
「東京駅から葛飾までかい」
外から爆発したような音があり、煙が鼻を突く。
「ここも危ないわ」
「そうだね」
「情報がないのが厳しいわね」
まだ、混乱の中にあるようだ。
そうだ、西田さんと岩下さんや山木さんに増岡さんら四人は無事だろうか。
「人が入って来たわ」
流れて行く人々をよく観察すると、このビルが一時避難所になったと分かった。
「これから焦っても帰宅困難だろうな」
「私達もここに留まるのかしら」
「悪くないと思っているよ」
入口から少し奥へ入った所に多くの人々がいた。
毛布や水分等が配られている。
私達も受け取り、空いた所にへたり込んだ。
「毛布は、肩まで掛けた方がいいよ。僕の毛布を下に敷くかい」
「大丈夫よ」
疲れているのを露わにしてしまった。
冷たく感じられたら、私が悪い。
「櫻絵さんの体は、大切なんだ」
「将来子どもを産むからよね。でも、期待しないで。私はもう望めない」
「僕は、僕は、櫻絵さんを道具みたいに考えていないから」
どうして、話が鬼門へ向いたかな。
「紫堂航丞にとっては、玩具だったわ。汚れた女よ」
「そのことは、忘れられないかな」
見つめ合って、暫し苦しく、息を吐く。
「寧くんは、初めての方がよかったと思っている。きっとそうよ」
「僕がメトロで初めて出逢った生原櫻絵さんは、妊婦さんに席を譲っていた。優しい人だとずっと思っている」
私は、あのオトコに、人の内面を見ていないと言った。
寧くんは、こんなにも優しく、私の中の私を見てくれている。
「あのね」
冷たくしていたら、駄目だ。
私らしくいたい。
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