第12話 鼓動と瞳

 どうにか、自宅で横になることができた。

 体がガタついているので、ベッドが助かる。


「気になるようなら、僕が片付けるよ。ゴミの日も近いし」


 寧くんは、ミミちゃん布団を赤いものが見えないように畳んで、玄関へと持って行った。

 幼くて恥ずかしいと思っていたミミちゃんの布団だけれども、いざ失うのに躊躇いがある。

 淡い想い出が私の心に釘を刺すようだ。


「その布団ね、他の布団から綿を取って、母が縫ってくれたの。幼い頃よ」


 寧くんが、私の体をあたためた方がいいと思ったのか、ココアを持って来てくれた。

 私の薄紅色をした益子焼ましこやきがあたたまり、窓際のしば桜に似て、ほんのり色付いたようだ。

 窓を見ると、私の頬に紅が差す。


「寧くんが優しいのは、よく知っているわ」

「気が付かずに悪かったよ。忌み嫌っているのかと思っていた」


 想い出を手放す機会なのだろうか。


「確かに、悔しい思いをしたわ。お察しの通りよ」

「僕は、櫻絵さんの過去は問わない」


 私は気色ばんだ。

 あのオトコとの契りを私については問わないとは、どうしたことだろう。

 彼は、心が広いのではなく、鈍感に愛しているのではないのだろうか。


「今更だけれども、私にいい所なんて全くないわ。絵を生業とし、ギャラリーを作りたいとか、愚かな夢を見ているのよ」


 自嘲したら、喉に込み上げるものがあった。

 薄紅色を傾けると、ココアが空だと知る。


「ママになることをもっと自覚していればよかったし……」

「もう、よそう」


 ごろんと自分の白いベッドに横になる。


「私が私を責めるのは、自分のことなのに、どうしていけないの」


 直ぐ傍に寧くんが来る。

 空のココアを受け取り、去り際に言の葉を残す。


「櫻絵さん。泣いているって、気が付いていないのかい」

「私? 涙が出る程弱くはないわ」

「無理したら、よくないよ」


 とうとう涙腺が決壊したか。

 掻把しているときは、お空へ逝ってしまった子に申し訳なくて、痛みは虚構だと感じるようにしていた。

 瘦せ我慢が、周りに見抜かれている。


「私のこと、私以上に分かる人はいないわよ」

「自棄にならないで」


 言い得て妙とはこのことか。

 寧くんは、熟慮した上で提案をした。


「相談できる所に出ることも考えられるから、希望を持とう」

「オンナを壊されたことは、誰にも知られたくないの」


 彼氏に知られてしまったから、私の将来なんて、灰だ。

 これ以上も以下もないだろう。


「――僕は、生原櫻絵さんにプロポーズしたい」


 心臓が、一瞬で沸騰した。

 顔から首まで、紅潮してしまう。

 私は壁際に寝返りを打ち、布団を首元に寄せた。


「したいって、中途半端だわ」


 最上級の照れ隠しだった。

 本当は嬉しいと思っている。


「悪かったよ。では、テレビで映画はどうかな。ムードが出るよ」

「画面が小さいわ」


 私は、愚か者だ。

 寧くんが一所懸命がんばっているのに。


「テレビでも迫力があるよ。僕の車に三本程のVHS、置いてあったから」

「え? 面白いのかしら」


 騙された。

 素直になっている。

 寧くんの方へ、また向きを変えた。


「どんなのを観たい? レンタルだから、どの道、観なければと思っていた」

「ではでは、えーと。お任せでいいかしら」


 しわぶきを一つ。

 

「アクション系はちょっと暴力も入るからね。恥ずかしい程の恋愛ものもあるよ。それから、ホームドラマとか」

「人間について悶々しているから、明るくて想像力を掻き立てるものがいいわ」


 話に花が咲いてしまった。

 ママになれなかった私に、心の灯りは許されるのか。


「いいのがあるよ。女一代記みたいだけれども、その幼少期には、自分と対峙する少女の成長を描いたものだよ」

「うん」


 映画なんて、父が亡くなってから久し振りだ。

 寧くんとも銀幕へは行かなかった。


「冒頭から気に入ると思う」


 沈んでいただけの気持ちが、他へ興味を持ち始める。

 私の償いは一つも終わっていないのに。


「さて、『ヒトミ物語』の始まり。ベッドからもよく見えるだろう」

「そうね」


 川田かわだひとみは、六歳となった。

 故郷秩父ちちぶでは日々の糧にもありつけないのに、母は、勉学こそ貧乏を脱すると考えて、瞳を東京とうきょうへやる。

 成績優秀であれば学費免除制度のある女学院で、苦学する姿は、懸命で心打たれた。


「瞳ちゃん、がんばっているわね」

「健気だよね」


 物語は、日本のみが舞台かと思ったが異なった。

 卒業後は、海外へ留学して国境なき医師団を取材する。

 触れ合って行く内に、ドクター・アオノに恋心を寄せて行った。

 けれども、アオノの意思が治療に専念したいと薄々分かると告白もできない。

 戦況が激しくなった頃、アオノの母が倒れたとの一報があり、山形やまがたへ向かいたい気持ちと葛藤していた。


「瞳さん、どうするのだろう」

「僕も切なくなる」

「寧くんにも乙女心があるのね」


 暫くして、山形から葉書が届く。

 息子の今を知ることができて、病室でも寂しくないとのことだ。

 病室で母の姿が大きく映し出されると、歌が流れた。


『お母様の御心が分かる程に、僕も月日を重ね、健康に生きる者としての生業を全うしたいと思うようになりました。僕の心は、山を越え、海を渡り、いつでも寄り添っております。お母様、だけではなく、患者様や取材班の方々にもです』


 テレビを銀幕に、母が手紙を綴っている姿が映った。


「もしかしたら、瞳さんが、この便りを出したのかしら」

「櫻絵さん、先程の挿入歌で、アオノの心が山形へ行ったのかな」

「うん、ドクター・アオノのお母さんが、病室に写真を沢山飾っていたわ。きっと、瞳さんの撮った写真と、それから毎日の記録よ」


 ドクター・アオノは、封筒に名前がなくても、ヒトミだと分かる。

 テントを巡って、ヒトミを探すと、感謝の意を述べた。


「よかったわね」

「この続きもあるんだよ」

「気になる所だけれども、またの機会にするわ。苦学するところは前向きでいいわね。留学したら恋に苦労して、ちょっと重いかな」


 寧くんはお汁粉の素にお湯を注いでくれた。

 小豆が嵐のような血にいいからだろう。


「いいムードを安易に作ろうなんて、僕が甘かったよ」

「お汁粉も甘くていいわ。ご自身を責めないでね」

「少しだけ、換気をしよう」

「あら、お願いしてもいいかしら」


 すふうと入って来た風に、しば桜が揺れた。

 冬越しが上手くできるかな。


「映画、印象的だったわよ」


 『ヒトミ物語』で、テントへ駆け込んだ患者がいた。

 予期せぬ妊娠をしたのは、力ある村の長から女性の弱さを突かれた為だと言う。

 銀幕一杯に訴えていた。


『私にも人権があります! 人権があります……!』


 実は、涙を堪えていた。

 私の主張したいことは、人権なのだろうか。

 私の瞳に、ヒトミさんが映る。

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