第13話 愛の終戦

 私は、再び思い出していた。

 これは、お針仕事をしながらの祖母から聞いた話となる。


 ◇◇◇


 ――昭和二十年八月十五日、日本は、第二次世界大戦に負けた。

 生原家は、群馬ぐんまにいた。


「おれ、玉音ぎょくおんさま放送ほうそうさまを聞いてしまった。君が代様も流れておった」


 おれはラジオの前で正座をし、畳におでこを擦り付ける。

 肩を震わせていた。

 終戦が理解できないのも無理はない。

 苦労して、家族を支えるのが精一杯だったからだ。


「おい、生原元。工場の方はいいから、事務所のラジオの御前に集合しろ」

「はい。上官」


 夫の元は、戦前、国鉄で働いていた。

 第二次世界大戦が始まると、彼は少々小柄な為、兵役検査で落とされる。

 それが故に、群馬の飛行機工場での仕事が割り当てられ、懸命に汗を流していた。


「頭が高い。土下座しろ、兵員」


 玉音放送が流れる。

 元は背中を丸めて、汚い土間に顔を埋めたと、後に、おれは聞かされた。


「生原和、使いから帰ったか。これから大変な御言葉がラジオからくだる」

「分かりました。工場は人影がありませんでしたので、タイプした書類を置いて来ました」

「よし、ラジオに敬礼」


 元とおれの第一子、和も嫁にも行かずに、和文タイプライターの仕事を任されていた。

 彼女は、飄々としながらも、仕事ができる。

 とうとう二十五歳まで嫁に行くのを忘れていた位だ。


「お母さん、一緒にお仕事をしていた友達のおさげが飛んで行くのを見たけれども、もうそれもないでしょうね」


 後に、この日のことは、櫻絵も聞かされた。

 戦争体験は、和から、さくらも語られることがあるなど、影響を受ける。

 何と言ってもさくらはまだ赤ちゃんだったものだから。

 ――まだ戦火にいる中、満月の夜に空襲があった。


「お母さん、さくらちゃんが逆さまですよ」

「おれったら、焦ったな。よしよし、さくらちゃん。和も急いでお入り」


 防空壕に入るとき、和とおれがよく冗句みたいな会話をしたものだった。


「お母さん、大変なことになりました」

「どうかしたかい。和も隠れておくれ」

「お便所行きたくてしゃがんだら、弾が三発頭上を横切ったのですよ」

「大丈夫だから。身を寄せ合うんだ」


 暑く蒸す中で、和は、頬を濡らす。


「今思えば弟達も不幸でしたね。三つ下の弟、幸は生まれて間もなく原因不明の病で亡くなってしまった。出征した誠の安否が分からないでしょう。何もできない姉さんですよね」

「和のせいではない。世の中が変わってしまったから、おれや和のような弱い女達には銃後を守ることしかできない」


 ――その戦争も終わった。

 元は、月の曇る晩に帰宅した。

 仏壇の前で手を合わせる。


「誠には、明日にも帰って欲しい。ただいま、お母さんのごはんが食べたいとね」


 それを聞いていたおれは、芋をふかして、皆のお腹を満たした。

 仏壇にも小さな薩摩芋をお供えし、幸を供養して、誠を待ち焦がれたものだ。

 ――それから暫くして、和が突飛もない決断をした。


真岡もおかで梨を作っている持田もちだまさるさんと結婚することにしたよ」

「あんれ。おれ、びっくりして腰が抜けた」


 本当に卓袱台を頼りにしながら、おれはかがんだ。

 和に訊けば、まだ嫁がないのかと、友達から紹介されたそうだ。

 直ぐに持田さんから会いに来てくれて、誠実な人柄に和も惹かれたと聞く。


「お母さんみたいに、沢山子どもを産んで、幸せにしたい。絶対に孫を抱かせるからね」

「そんなに気張らなくても。おれは、いいよ」


 おれは、暫く、さくらをあやしながら考えていた。

 和が目を細めて自分の将来像を描く。


「さくらちゃんと殆ど同い年になるかな」

「おれのさくらにとっては、妹か弟のようになるのかね」


 さくらは、おれが手足を動かしてやると、楽しそうに転がった。


「そうなったらいいですね」

「栃木に行くのであれば、ここの飛行機とはご縁がない。お父さんと一緒に近くへ越すのもいいかも知れない」


 おれも立派になった和と別れたくない。


「んまんま、まま」

「おお、さくら。おれが芋粥を拵えてやるから。和に抱かされて待っててな」


 ◇◇◇


 そして、さくら自身も渡瀬志朗と出逢い、昭和四十三年に結婚した。

 昭和四十六年には、櫻絵を胸に抱く――。

 こんなことがあったと、後に、母のさくらが聞かされた。


「こうしてな、櫻絵や。お前のお祖母さんも苦労したのさ」


 私は、小学生の頃、何度か同じ話を聞かされていた。


「そうなんだね」


 ここに至るまで、和伯母さんはお子さんに恵まれなかったようだ。

 つまり、私に母方の従妹がいない。


「私も大人になったら、子どもが産めるのかな」

「どうだろうさね」


 母は柔和に笑った。


「一人っ子だから、兄弟を産みたいな。二人は欲しいの」

「櫻絵がいい子でいたら、神様が恵んでくださるさ」

「うん。いい子でいるね」


 ずっと疑問に思っていたことがあった。


「どうして、私のお名前は、難しい漢字で櫻絵ちゃんなの?」


 母は、ゆっくりと切り出した。


「志朗さんが、さくらと言う名前を残したいとの気持ちで、漢字の桜か櫻を入れようと語ってくれたのさ」

「うん」

「あたしが平仮名だから、画数の多い方がいいと選ばせて貰ったのさ」


 この日、私は自分を知るいい旅に出られた。


「元々、お祖母さんがしば桜柄の着物を仕立てていたときに、お祖父さんが、末子のあたしに命名してくれたそうさね。出逢った頃の着物だったそうさ」

「ふううん。絵の字は、どうしてなの」

「姉さんが趣味の日本画をお前の誕生祝いに描いて持って来てくれたのさ。志朗さんが、それは感嘆してね。情緒豊かに育ってくれと願ったものさね」


 この和伯母さんの素敵な贈り物は、今でも我が家に飾ってある。

 子どもの頃は分からなかった花の絵だった。

 しば桜が一面に咲く風景画だと分かるようになったのは、後のことだ。

 

「それで、絵をお名前に入れてくれたのね。私もお絵描き大好きよ。大きくなったら、画家になるんだ」

「なれたらいいさね。絵描きさんもお利口でないとなれないさ。お勉強もがんばりな」

「うん」


 頭をくしゃりとされて、心があたたかくなった。


 ◇◇◇


 思い出すと涙の出ることは、人はそれぞれあると思う。

 その祖母も平成四年から、ホームで暮らしている。

 私の結婚報告で幸せを分け合いたいと願ってやまない。

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