第11話 子宮一号

「これから、掻把そうはをします。その前に、当医院では植物を用いてゆっくりと広げます。痛いと思いますが、処置をしましょう」

「分かりました」


 私は、あんな哀しみの雷空へ逝かせてしまった我が子のことを考えると、痛いと感じてはいけないのだと自分を戒めた。

 黙って耐えていればいい。

 ベッドに張り付いて、随分と時間が経つ。

 その間、寧くんはことの大きさを感じてか、着替えなどを支度すると、ポーラスターの鍵を受け取って去った。


「ここは黄色い部屋。ベッドだけが寒く感じる」


 本当は、着替えなどいいから、寧くんが傍らに座っていて欲しかった。

 病院と自宅は、結構離れている。

 法定速度ぴったりでいつも運転するから、暫くは待つと覚悟した。


「小一時間だろうか。それの往復だから、寧くん。私の手術終わってしまうわ」


 広めの手術室がノックされた。

 看護師さんだった。


「生原櫻絵様、お加減は如何ですか。今、医師が参ります」

「はい」

「先程から静かですが、痛くないんですか?」


 痛いに決まっている。

 けれども、ここで取り乱すようなら、母親失格だ。


「私が母親となるの。あの紫堂くんとの子。一夜限りの初めて交わっただけで妊娠してしまうだなんて」


 忌み嫌う独り言が自分にも刺さって来る。

 射た矢で射返されたかのように。


「丁度よく開きましたので、掻把します。危ないので、じっとしていてください」

「分かりました」


 脈拍や血圧などを測定する装置が小刻みに動いている。


「血圧は、いつも低いですか」

「九十の五十です」

「脈拍も九十位なのでしょうか」

「そうですね」


 医師は、処置を続けた。

 モニターがあったので、瞳に焼き付けている。

 エコーで白と黒が動いていた。

 生きていた赤ちゃんの気持ちだってあるだろう。

 本当のお別れとは、死別なのだと思った。

 父が亡くなったのと同じだ。


「お母さん、別れの痛みとは、空虚だったのかな」


 また、頭にテープから声が届く。


『コイツの腹に、ヘソの上に何か痣があるって知ってたか? 橘』


 今度は、寧くんにまで災厄が及んだ。

 あのオトコ、どうしようもないのに、赤ちゃんの父親かと思うと百パーセント嫌いになれない。

 私は、甘ちゃんなのか。


「生原櫻絵様、処置が終わりましたよ。これから丁字帯をご自身で巻いて貰います。お身内の方に売店で購入して貰ってください」

「看護師さん。橘寧さんがおいででしたら、呼んで欲しいのですが」

「分かりました」


 結局、買うことになった。

 病院へ着くなり、親切にも丁字帯をくださろうとした女性を思い出す。

 世の中捨てたものではないと胸に刻み付けた。


「難しいわね」


 ふんどしのようで、お手洗いで四苦八苦した。

 今までのショーツと比べると涼しい。


「でも、赤ちゃんとお別れしたことを思えば、なんのそのだわ」

「生原櫻絵様、大丈夫ですか」

「はい、できました」


 私は、独り言ちをしていたらしい。

 医師の所へ案内された。

 寧くんにも付き添って貰う。


「暫くは、母体を大切にしていてください」

「分かりました。僕がお守りいたします」

「ううん。彼の子ではないのか。父親に了承を得たと思ったのだが」


 医師が寧くんの方へ身を乗り出した。


「生原さんは、泥臭い通り雨に遭ったのです」

「そうか。場合によっては、福祉保健局や弁護士などに相談できるけれども、どうなんだね」


 二人の視線が私に向く。


「櫻絵さん、意思表示をするかを決めるのはご自身だよ。僕なら訴えたいが」

「ふふふ……。ママの赤ちゃんベッドは、お掃除してしまったわ」


 哀しい仔犬のような瞳で、寧くんが私を捉えた。

 

「先生。今は酷なようです。生原櫻絵さんが落ち着きを取り戻してから、検討したいと思います」

「青椒肉絲はママも好きなの。赤ちゃんも大好きよね。沢山拵えるからね」


 寧くんが椅子から立ち上がると、看護師さんが車椅子へと私を案内してくれた。

 そうして、高層の総合病院の影を背にして、死別の儀式を終えた。


「櫻絵さん。自宅で安静にしようね」

「子宮一号、万歳だわ! 初めてのベッド、万歳、万歳、万歳!」


 助手席で、私はくたばっていた。

 自暴自棄になって、道化もいい所だ。


「状態が悪かったら気持ちに効く薬もあると先生が仰っていたよ。それよりも、静養が何よりの薬だともね」


 寧くんは、そんな私を包み込むように想ってくれていたようだ。


「僕はね、生原櫻絵さんと結婚したいと思っているんだ」

「万歳、万歳」

「落ち着いたら、改めてプロポーズをするからね」

「万歳!」

「こんな櫻絵さんを独りぼっちにするなんて、僕にはできない。自分を傷物だなんて思わないで欲しいよ」


 私の無駄口に封をされた。

 あのとき枯れてしまって出なかった涙が、今になってとうとうと流れる。

 これだけあれば、母からの贈り物、しば桜にお水を与えられるだろう。

 運転席の反対側を向いた。

 景色はどこもかしこも都会だ。

 私の事故は、煌めく街の車に轢かれたからか。


「未来は、どこへ繋がるの……」

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