第4話 お斎の雪

「お父さん、雪よ」


 私は、先程の失態を妖精みたいな雪粒に丸く包んで欲しい。

 我儘な妄想をしていた。

 雪の音を静謐に耳にしていると、お膳が賑わうさまに目覚めさせられた。

 手伝いに来ていただいたご近所の方に感謝する。


「急に寂しくなるものね」


 私も父の背を思い出していた。

 そろそろ、こんなにご親戚が集まられるのも終わる。


「喪明けは、一周忌となります」


 和尚様の大切な話に、皆しみじみとしている風だった。

 法要後の会食、おときの席だ。

 私は、お一方ずつに頭を下げながらお酌をする。


「叔父さん、先程は母に私まで取り乱してしまい、申し訳ございません。幾分、気丈な母も寂しさに圧し潰されたのでしょう」


 渡瀬わたせ家へ先に回った。


「さくらさんはもうお年寄りなんだよ。兄貴夫婦揃って申年だろう。致し方のないことさ。俺も子年だ」

「そう仰っていただけると助かります。善成よしなり叔父さん」


 隣にもご挨拶をする。


「志朗兄さん、五十歳だったね。いい人が呼ばれるって本当よ。私も哀しくてね」

いずみ叔母さん、あたたかいお言葉をいただきありがとう存じます」


 母の失態があっても、渡瀬家のお二人は、とても優しくしてくれる。

 渡瀬みのるお祖父さんと千代ちよお祖母さんを身罷って間もなかったのに。

 喪服の涙が乾かない内に再び袖を濡らしている。


「すみません。本来なら父が渡瀬でいた筈なのに、名を生原にしていただいて」

「この善成叔父さんが渡瀬の跡取りでは心配かい」

「叔父さん。そのようなことは、全くございませんよ」


 和伯母が栃木の持田家に嫁ぎ、生原家の家督相続は弟達に託そうとしていた。

 だが、ゆき伯父さんとまこと伯父さんは、病気や空を行く戦闘機に命を奪われてしまったらしい。

 お斎では、そんな噂も含めて、父の話に花を咲かせてくれた。


「志朗さんが、如何に生真面目な方だったか。櫻絵ちゃんに分かるかな」

「叔父さん、ありがたいお言葉です」


 父の人柄を褒めてくださるのが、私は嬉しい。


「あれだな。櫻絵さんが真面目な性格で、話し方も丁寧なのは、志朗さんにも似たのか」

「そうよ、善成兄さん。櫻絵さんは、奥ゆかしい所も志朗さんにそっくりよ」


『亡き父を、偲ぶ思いに、雪一つ。生原櫻絵』


 思い付いた五七五だ。

 家に帰ったら作品にしてみようと思った。

 私は、絵手紙をよく描く。

 雨畑硯で青墨を磨るとき、精神の集中が一種のカタルシスを覚えていた。

 基本的には、公募には油彩画なのだが。


「元気出せな、櫻絵ちゃん」

「一人娘で大変だろうけれども、櫻絵さんならがんばれるわ」


 皆様を送り出したら、却って励まされてしまった。

 こんな場面でも胸に込み上げるものがある。

 座敷の座布団を片付けようと腰を動かすと、心が冷えた。

 気が付けば、母の丸い背を求めている。


「お茶を飲むなら、広縁へ行くわね」


 私の勘が当たった。

 彼女は座敷からすっと消え、広縁で端座している。


「櫻絵が小さい頃、雪を食べたいと私の浴衣を引いたとき、あたしは、自分が躾のできない女だと思ったのさ」

「どうしたの。済んだことよ」


 私は、また妄想をしてしまった。

 母が、遺影を持ち上げたスローモーションが紅い影絵となる。

 孫を見せられなかったのが、そんなに残念だったのか。

 連れ合いを失って、もう限界だったのか。

 幾つものストレスを抱えて、父の写真を翳した。

 止めに入る醜い私も絡んでいる。

 二人の流血したシルエットが、傾いた陽に伸ばされて行った。


「お母さん、私まで興奮してごめんなさい」


 謝らないと後悔すると思って近寄った。

 すぐさま三つ指を揃える。

 母のお湯呑みが揺れる音がした。


「櫻絵、本当はお付き合いしている人がいるんだろうさね」

「お母さん、それはもう終わった話だわ」


 まさか、もう橘寧くんと別れたとは言いにくい。

 五つ上の彼氏だった寧くん。

 彼とは、私が二十二歳のとき、上野美術大学のメトロで知り合った。

 私から、サヨウナラを告げると、涙までも赤い血のように散り行く。

 それ程までに後悔した。

 同衾一つしない、寧くん。

 想い出がどんなに走っても尽きない。

 それで、毎夜眠れないでいた。

 レストランで、また話をしたいと連絡を取ったら、快い返事を貰えたのに、不幸があっては仕方がない。


「私に恋なんてないわよ」


 母は、降り止まない雪を眺めつつ頬を薄紅に染めた。


「お父さんとあたしはね、それは浪漫に溢れていたさ」

「子どもは、中々聞き難い話だわ」


 雪が広縁にも舞い込んで来たので、肩をそっと抱いた。


「丁度、首元が冷えていたよ。志朗はあたしにべたべたしない質だったさ」

「恥ずかしがり屋のお父さんだったのは、よく覚えているわ」


 私も小さな笑顔で、偲ぶ。


はじめお祖父さんが、眉の薄い男は助平だからよしなさいと拘ってね。鴎のように濃い志朗さんと結婚して大失敗さ」


 ふざけていると、母に罰が当たりそうだ。

 私にとっては、父も祖父も上品で真摯な方で、理想の男性なのだが。

 眉は、二人とも逞しいのを認める。


「お茶は、居間でいただこうね」

「櫻絵、怒っていないのかい」


 私は、小さく頷いた。

 一度だけ振り向く。

 広縁の妖精さんとお別れをした。

 廊下はいつから軋むようになったのか。

 私が五年も東京にいた間に家も老いてしまった。

 座敷横から炬燵部屋へ入る。


「志朗とは、しば桜のえにしなのだよ」


 肩を抱えて座椅子に落ち着かせると、母のオンナが語り始める。

 聞くなとの心に反して、しば桜に何があるのだろうと、好奇心がふつふつとしていた。

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