流し雛

伝え聞くところに寄れば、越中高岡の町から南の山間には雛神ひながみというものを祀る家筋があるのだという。


雛神というもの※国言葉で"ひんながみ"は祀る家それぞれの秘匿の物であるし、そもそも雛神を祀る家筋との付き合いは避けられる向きもあることだから、いかなる形をしたものか、どのように祀られるか、それについてはほとんど話がない。

先般、機会を得て雛神を祀る家筋だという触れ込みの越中の者から話を聞くことができたが、大抵の家の雛神は綿や藁を詰めた細長い袋を人に見立て、端切れや紙を巻きつけて着物とした粗末な人形であるという。

立て雛によく似たものであるようだ。

家の秘匿のものをなぜ薬売りが知っているのかと言えば、雛神筋の家々はそのほとんどが縁続きで、嫁に出た娘が実家の雛神を真似て拵えることがほとんどだという。

だから、どの家の雛神も変わらぬであろう。そういうことであった。


雛神は粗末な人形だと述べたが、その拵えはどうあれ、その中には本当の雛神とも言うような小さな布団子のようなものが納められているのだという。

これは雛神を新たに作ろうと思う者が、誰にも見られぬよう夜中針を取って自らこしらえた布団子で、それを刑場の捨場や墓の入り口に埋めるのだという。便所の入り口でもよいとも言う。

要するに不浄極まるところに埋めて、その上を人が歩くようにする。

刑場の捨場や墓の入口で人に踏ませるというのは、人の人を害せんとする心根を布団子に憑かせるということであろうか。


おおよそ一年経ったら人に知られぬように掘り出して持って帰り、先に述べたような人形を作って中に納め、朝夕に匙ひとすくいほどの粥に漬物を添えて供えるという。

一年経たずとも千人がその上を踏めばそれでよいのだとも言う。

雛神を祀り始めると、様々なことが上手く行くようになり、その家は瞬く間に富み栄えると言う。ことに盗みや横領を働くことに大きな助けが得られる。

雛神を祀る筋だと知られれば周囲の者からは白眼視されるが、その力を恐れて面と向かって批難するような者はいない。付き合いも差し障りのない範囲で行われるが、集落の役が付くことはほとんどなくなるのだという。これは家筋の者を役につけると雛神がその不正を巧みに隠し、決して露見しないからであると。


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旅の男が雛神を雛神と知らず拾い、しばらく携えていたことがあるという話もある。

懐に入れていると、街の店先を通り何か目が惹かれる物を見つける度に囁くような声で人形が「だいじないだいじない」と言い、気がつくとその品物を盗んでいる。

にぎやかな街を通ればそこかしこで珍しいものも目にしようが、その度に人形が

「だいじないだいじない」と囁き、その度に盗みを重ねる。

しかし、決して露見はしない。

店の主の目の前で盗ってもそれは同じで、こまごました物ではなく、家具だの屏風だのどんな物を運び出しても咎められることはない。

食べ物も酒も何もかもただで盗めるから、男は一文の金も使うこと無くそのまま旅を続けていたが、ある日、旅籠で相部屋になった僧から風呂に誘われ、風呂の中で越中の出か尋ねられて否と答えると、僧は俄に「汝雛神に憑かれおるぞ」と言う。

「雛神とは何ぞ」と問えば「悪行成すを助け、善行成すは遮る魔の物」で「持ちて死すれば以て必ず地獄に堕ちる」物なれば「早くとく捨てるべし」と。

男は仰天して、さっそく宿に人形を置いたまま発ったが、気がつけば懐に人形がある。その次の宿も置き去りにしてみるが同様である。男青ざめて街道脇に穴を掘って人形を埋め、上に漬物石にもなるような大きな石を乗せて見ていたが、しばらくすると石が転び、中から人形が這い出して男の懐へと入ろうとする。

男は心底しんてい恐ろしさに震え、一心に神仏を仰いで人形と離れたい旨を伝えるが、人形は「もはや、あこはととさまのこにこそあれば、けっしてはなるることはない」という。その後も捨てる度に人形はすぐ懐へと戻ってきて恨み言を述べるので、男がほとほと困り果てていたところ、偶然にも先の僧と再び相宿となって風呂場で相談を持ちかけた。



男は翌日、人形を荷物と一緒に笠へまとめて大川を渡ったが、その中頃で足を取られて頭まで水に沈んだ。

沈んだ男がなかなか立ち上がってこないので、周りの者が驚き騒ぎ始める中、笠に乗せられた人形と荷物は大川の急な流れに運ばれて瞬く間に下へと消えて行った。

男、ここに至ってようやく立ち上がり、周りに支えられてようよう川を渡ったが、果たして流れて行った人形が懐に戻ってくることはなかったという。

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後愁記 ななないなない @nintan-nintan

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