とけていく

 足を伸ばしきれないくらいの真っ白い湯船がある。少し熱めのたっぷりのお湯がある。ゆったりと浮かびながら泡を吹いている入浴剤がある。


 わたしはそこに入っていく。まずは右脚。壁に手をついて、左脚。滑らないように気をつけながら腰を下げて、お腹まで浸かったところでため息を吐く。体の中の空気が全部無くなるんじゃないかってくらいに長く。なんとなく、それでお湯の温度に体が順応するような気がする。


 息が苦しくなってきて、自然に体が沈んでいく。髪が浸かるのも気にしないで、天井を眺めながら、ぎりぎりまで。顔と膝だけが水面に出るように。


 外の脱衣所のタオルの上にはお風呂に入っている間に読もうと思っていた本が置いてあるけど、痛いくらいのこの温もりはわたしを放してくれるわけがない。


 力を抜くと腕が浮く。水面が波立つ。目を閉じて、頬に当たる波と張り付く髪を感じている。まぶたの裏のあかいろも、わたしを抱きしめるようで。生まれ続ける黄緑色の泡が、浮いて弾けて消えていく。


 その全てに意識を委ねて、ふわり思考の行き着くまま。

 時計の針を手折るみたいに、明日の朝日も知らんぷり。


 わたしの世界は、これ以上ないほどに狭まっていく。俯瞰視点を想像してみる。何もない空間の真ん中に、白い箱がぽつりと浮かんでいる。それはこのお風呂場で、近づいてその壁をすり抜けると黄緑の海に浮かぶわたしがいる。


 その周りには、天使さんなんかがいたりして。そのままわたしを空の上まで連れていってくれる、なんて思ってみたりして。


 少しわらって、戻ってくる。わたしはとっくに薄れている。熱さにも慣れて、感覚も澄んでいって。なんにもなくなって、ふんわりわたがしみたいに消えていく。


 歌をうたおう。音のない歌。わたしの歌。この場所の歌。

 風船みたいに飛んでって、風船みたいに落ちていく。

 目の前には朝日があって、振り返れば月夜が広がる。

 凪いでいながら風吹いて、澄んでいながら霞んでて。

 績んでつむいだ糸だって、泣いて解れて切れてって。



 そうやって、わたしはとけていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る