1.空想世界の管理人 -4-

マンションに着くのはすぐだった。


マンション前の広場の電子時計が、この空想世界の"時刻"を表示させていた。


"1982年8月8日11時34分56秒"


どおりで気持ちのいい青空なわけだ。

まだ午前中だ。


蓮水さんと2人でマンションに入っていき、エレベーターに乗って最上階を目指す。

11階建てのマンションの角部屋が、この世界での私の家。


蓮水さんも、それを知っているようで、エレベーターが開くと迷うことなくそっちの方に歩いていった。


「あの、鍵は?」

「そんなの、掛かってないって知ってるじゃないか」


目的の部屋に付く前、私はハッとした顔でそういうと、蓮水さんは軽くあしらって、部屋の扉に手をかける。

彼女の言う通り、鍵のかかってない扉はすんなりと開き、日当たりのよい、明るい部屋が見えた。


開きっぱなしの窓から、少しだけ冷たい風が入ってきて、カーテンを揺らしている。


「良い場所に住んでるね」

「現実じゃないんだけど」

「今は現実さ」


玄関から、広い居間を見回した私達は、そうやって言葉を交わすと、靴を脱いで中に入っていった。


「さてさて…ここまでで撃ったのは僕の銃だけ。弾は同じだし、僕も予備弾倉は持ってないからね。ここで補充させてもらおう」


彼女は居間に入るなり、そう言って豪華で大きな戸棚を開ける。


「え?その、私の家にそんなものは…」

「あるんだな。これが。そこは僕の"パラレルキーパー"としての体質がそうさせてるんだけど」


彼女は私の言葉に手招いて、戸棚の中を見せてくる。

私は、思っていた戸棚の中とは違う光景に、思わず言葉を失った。


コーヒーセットが入っているはずの戸棚の中にあったのは、彼女と私の拳銃の予備弾倉に…予備部品。

そして、弾薬が詰まった箱が数箱…


「僕は別に銃なんて要らないんだけどね。人を撃つわけじゃない。けど、飛び道具は便利だから」


彼女はそうやって、独り言を言いながら、手早い動きで弾倉に弾を詰め込み…銃に詰め込んだ弾倉と、他に4つの弾倉を浴衣の下に隠した。


「……その浴衣の下、どうなってるんです?」

「見る?一」


興味本位で尋ねると、彼女はあっけらかんとした態度で浴衣の帯を解く。

別に同性だから気にはしないが、大胆すぎる行動に、私は思わず後退った。


「別に気にしないけどね」


帯をソファに放り投げた彼女は、着ていた浴衣も脱いで同じように投げ込む。

そして、見えた彼女の姿に私は2度目の驚きを受けた。


ブラではなくサラシを巻いた胸部…その下、腹部には黒い網目状の…体系にマッチするコルセットが巻かれていた。


網目は何かが引っ掛けられるようになっていて、小物入れが腹部や脇腹に挿し込まれている。


右脇には、私の持つ拳銃と同じように、木製の入れ物に入った彼女の拳銃があった。

先ほど用意した予備弾倉は、腹部に4つ挿し込まれている…


他にも、お財布や車の鍵…それに、煙草の箱にライターが、腹部に細かく分けられた小物入れに入っていた。


そこから更に目線を下げると…下着の下…太ももには黒いバンドで括り付けられたナイフが2つに…平成の世で言うLEDの細い懐中電灯のような棒が1つ身に付けられていた。


「あの着物にも秘密はあるんだ。帯は大きなポケットになっていて、その中にレコードとか注射器とか、僕達レコード持ちしか持てないような物が入ってる」

「はぁ……」

「浴衣は少し分厚くできててね。生半可な刃物は通さないし、9ミリ弾パラまでなら防げる特殊繊維でできてる。ここまで装備付けてても動きやすいし、君も着るといい」

「いや、私の分って…そんな特殊なものが出来るわけ…」

「出来るんだよ。言ったでしょ。僕はパラレルキーパーの体質はそのままだってね…ちょっと時間は掛かるけど、この世界は平和だし、待ってようよ」


彼女はそういうと、身に着けた数々の装備品を解いていく。

1つ1つが重そうで、床に置かれた音がその重さを物語っていた。


そして、サラシに下着姿になった彼女は、いつの間にか持っていた煙草とライターを片手に私に目を合わす。


「ここは禁煙?」

「……いや、別に。その……」


私は頷いて、何かを言おうと口ごもる。

口には出せないが、それでも私の手は彼女に伸びていた。


「ふむ…」


彼女は、伸ばされた手の意味に気づいたのか、持っていた煙草を咥えてから、新たに一本取り出して、私に手渡してくる。


「あ…ありがと」


私は、少し震える手に持った煙草を見下ろすと、意を決してそれを口に咥える。


これを咥えたということは、昨日までの記憶にある私はもういないということ。


これを咥えたということは、もう私が私ではないことを認めたということ。


「随分と思い切ったことをするよね。大人しそうなのに」


彼女の言葉に小さく笑った私は、今までに作ったことのない、蓮水さんのような笑みを浮かべて答えた。


蓮水さんは一瞬驚いたような顔を浮かべるが、すぐにライターに日を付けて、私が咥えた煙草に日を付けた。


「ようこそ。こちらの世界へ…歓迎するよ」

「"空想世界の管理人"への第一歩って?不良の集まりだね。これじゃあさ」


私はそう言って煙草の煙を吹き飛ばす。

初めての煙草なのに、むせることなく…それどころか自然と吸えてしまったことにちょっと驚いた。


「さて…まずはこの世界を"消す"訳だけど、取り立てて僕達がやることってないんだ。このまま行けば、ほんの2週間ほどでこの世界は終わりを迎える。そのちょっと前には、この世界の住民たちが暴れだすだろうから、それを僕と君で抑えきればいいだけなんだ」


蓮水さんは、そう言って部屋のソファに腰かけて、煙草を灰皿に置いた。

ほんの少しだけ体を震わせて、浴衣に手を伸ばすところを見るあたり、ちょっと寒かったようだ。


「今から2週間。この世界で過ごすことになる。やってることはパラレルキーパーやポテンシャルキーパーと変わらない。唯一違うのは、この世界が君の物だというくらいだ」

「…だったら、私が望めば直ぐにでも消せそうなものだけれど、そうはならないの?…2週間後に消えるって…私が来る必要があったの?」


私も彼女の向かい側に座って、煙草を灰皿に置く。


「そうだね。ここは確かに君の世界だけれど、同時にレコードの影響下にある世界でもあるからね。レコードが終わらせる日を決めているんだ」

「そう…なら、パラレルキーパーも、ポテンシャルキーパーもここに来れるの?」

「来れないはずだ。正確には…彼らの感知範囲外…。僕みたいに、最早何の管理人でもないようなか…君くらいのものだね」


蓮水さんはそう言って、灰皿に置かれていた煙草の灰を落とすと、そのまま煙草を咥えて煙を吹かす。


「例外中の例外…それはそれで良いけど。益々蓮水さんが不思議になってくる。貴女のことは教えてくれないの?」


私はそう言ってから、彼女がやったのと同じように、煙草の灰を落としてから咥えなおした。

蓮水さんは、そう言った私の顔を見つめながら、少しの間煙草のを吹かすと、やがてふーっと息を吐きながら、灰皿で煙草をもみ消した。


「やがて君が気づくはずだよ。何でも最初から分かったら、面白くないでしょ?」


そう言って、クスクスと小さく笑みを浮かべた彼女は、人差し指を顔の前に立てた。


「ただ、一つ。パラレルキーパーの"体質"だけは伝えておくよ」


彼女はそういうと、ソファから立ち上がって、先ほどの戸棚の方へと歩いていった。

私は、その様子を何も言わずに目で追う。


「ポテンシャルキーパーもそうなんだけど、レコードキーパーには出来ないことが出来るんだ」


彼女はそう言いながら、浴衣の帯からレコードを取り出した。


「さっきの車もそうだけど、銃弾だって、僕は良いけど、他の人はワンナイト・ウォーならまだしも、大抵、そこで数日は過ごすことになるから」


彼女はそう言いながら、レコードを開いて何かを確認すると、小さく頷いてから戸棚を開けた。


「こういう風に、レコードに必要な物資を書けば、それが存在可能な任意の場所に物を出現させることができるって寸法だ」


彼女は得意げにそういうと、戸棚から浴衣と帯を取り出した。

色は、水色に白い水玉模様。彼女の反転カラーだ。


私が驚きに顔色を染めているうちに、彼女は小さく笑ったまま浴衣と帯を持ってきて、私の元までやってくる。


「君のサイズに合わせた。僕のと同じ作りだよ」


彼女に言われるがままに浴衣を受け取ると、私が知っている浴衣の材質とは結構異なり、不思議な肌ざわりを感じた。


「明日からきっと仕事が入るから、着ればいい。こういう風に、パラレルキーパーやポテンシャルキーパーは必要に応じて物を調達できるのさ。レコードキーパーは、デパートに行かないとだけみたいだけどね。それはレコードキーパーだけが世界を移動しないから…僕達のように、幾多の世界や時代を訪れるような人間にはそれじゃダメだってわけ」

「まるでご都合主義だよね。レコードキーパーもそうだけど。何だって出せるの?」


私はそう言って、浴衣を自分の横に置く。

色々と探ってみると、帯の中に私の道具が入っていた。

レコードのほかに使う…注射器とか、カードも…


「何でもっていうのは違うんだけどね。条件は"その人が現物を見たことが合って、しっかりイメージ出来ているもの"に限る。細部まで知ってる必要はないんだけど。それがどういったもので、どういう道具なのかを知ってさえいれば、レコードが現実世界にそれを具現化してくれる。何かの製品名なら…それを出してくれる」


彼女はそういうと、更に戸棚から何か大きな箱を取り出した。

箱というよりも、銀色のそれはジュラルミンかアルミ製の頑丈なケースだ。


「例えばこんな物も…僕は元々の出自が出自だから、銃火器は何でも出せる。日本人は普通、銃火器なんて出せないんだ。知っていても、それの現物は見たことがないだろうからね」


彼女はそう言いながら、2つのケースをこちらに持ってきて、テーブルの上に置く。

彼女の促されるがまま、私の目の前に置かれた一つのケースのロックを外す。


出てきたのは…銃なのは何となくわかるけど、これが何をするための物なのかはさっぱりわからない。


「コルトM79。僕が"人"だった時に見た最新兵器。本当は擲弾…まぁ、爆弾だね。それを飛ばすための物なんだけど、パラレルキーパーになってから、僕がちょっと改造したものなんだ」


同じように、ケースを開けて中身を取り出した彼女は、パキっと取り出した銃を真っ二つに折って…筒の方に弾となる大きな何かを詰め込んでいく。


そして、カシャン!と音をたてながら元に戻すと、それを窓の外に向けて、片手で構えた。


「純正品よりも、長さは切り詰めてるし…グリップも僕のような女でも握れるように絞ってる。木製だから簡単だしね。重量は2キロもない」


そう言いながら、引き金に指をかけて…そのまま撃たずに銃口を上に上げる。

そのままケースの中に仕舞いこむと、彼女はケースの空きスペースにビッチリと入っていた弾薬を一つ取り出して私に見せた。


「本当なら擲弾…爆弾を飛ばしていたけど、改造したこれの弾薬は全部」

「改造した……?」

「そ、これは閃光弾。こっちは催涙弾だね。基本的に暴徒鎮圧用なの。前田千尋とか、芹沢俊哲あたりは殺すのを好むけど、僕はそんなの趣味じゃないから」


彼女はそう言いながら、色の付いた銃弾を並べていった。


「これは…電流弾。ほら、平成の世だとテイザーガンとか言ってたでしょ?」

「知らない…」

「そっか…アメリカじゃないもんね。っと、これくらいかな?ああ、あと2つあった。煙幕弾に照明弾だ」


彼女はそのまま、5色の弾を並べた。

彼女のお手製なのだろうか、色のほかに、どんな弾であるかを示すアイコンが印刷されている。


「君に渡したルガーよりも、こっちの方が使う場面多そうだね」


彼女はそう言って、ケースから取り出した本体と弾薬をテーブルの上に置いたままにすると、そのまま立ち上がった。


「どうしたの?」

「外に出ようよ。お昼でしょ?今の時期なら、この近辺って美味しいもの食べれるじゃないか」

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