1.空想世界の管理人 -3-

砂嵐に遮られた視界が、一気に晴れていく。

出た先で感じたものは、真っ青な海と青い空。

そこから漂ってくる浜風だった。


どこかの海岸線沿い。

そこにぽつんと、私達が入っている電話ボックスがあった。


時任さん…蓮水さんに続いて外に出ると、カラッと晴れて涼し気な風に包まれる。

周囲は、日向のように何もない。

あるのは、電話ボックスと…背後にはコンクリート出てきた防波堤…奥には砂浜と海…

目の前には…どちらに行っても暗く狭いトンネルに続く道…そして鼻先にZのエンブレムが付いた1台の真っ赤なスポーツカー。


「乗って」


彼女は目の前に止まった車に寄っていくと、躊躇せずに運転席側の扉を開いた。

私も、言われるがままに助手席のドアを開けて、中に入る。


すぐにエンジンが掛かり、低いながらも、迫力のあるエンジン音が聞こえてきた。

カーステレオも目を覚まして…昭和の名曲特集で良く流れていた曲が聞こえてくる。


「と…蓮水さん…その、ここは…?」


私は、すぐに発進させようとせず、煙草を咥え始めた彼女に尋ねる。


「とある世界から派生した可能性世界さ」


彼女は咥えかけの煙草を手に持ってそういうと、改めて煙草を咥えて、ライターで火を付けた。

運転席側の窓が少しだけ開き、そこから煙が外に流れていく。


「可能性世界?」


私は呟くように言った。

煙草を咥えた蓮水さんは、小さく頷く。


「この車は?」

「ふー…僕のだよ。日産フェアレディZ。この世界の説明をしようかなって思うんだけどさ、きっとこのまま走り続けていた方が君にはきっと分かりやすいはずだよ」


私の問いに、彼女は気にすることもなく流すと、そのまま…煙草を咥えたまま車を走らせた。


左手には海。

右手には崖肌。

前後はただの片側1車線の海岸線沿いに入り組んだ道路。


まるで、日向町の近くを走っているような道。

いや、間違いなく…この曲がりくねった道は日向の近くだ。


でも、私は周囲を見回しながら首を傾げる。


この世界に来てから…あの、不思議な電話ボックスを抜けてから、まだ蓮水さん以外の誰とも会っていない。


さっきまで居た世界は…パラレルキーパーの棲み処…だからレコードの管理下に無い世界。

だけど今は?見渡す限り…ここは地球で間違いない。

間違えても宇宙の真ん中にあった、真っ白いデス・スターのような空間じゃないことは、少し上を見上げればすぐに分かる。


雲一つ無い青空。

感じる空気は、夏の空気。


「ここは…日向の近くですよね」


私は独り言のように言った。


「今の時期は海鮮が美味しいんですよ。冬だって…美味しいけど、私は夏の方が好きだったな……」


そう言って、クスっと笑う。


この道は、そんな日向から小樽…札幌…勝神威の方へと進む道。


平成では景色も楽しめない長いトンネルに置き換わっている所が、昔の危なっかしくて狭いトンネルのままだというところを見ると…蓮水さんの車が、勝神威のレコードキーパーのリーダーが乗っていた車とよく似ていることから察するに…今はきっと昭和だ。


私はそう確信を持って、トンネルの先の景色を目に映す。


「…あ……これって…」


私は、思っていたのとは違う景色が映ったことに思わず声を出した。

トンネルの先、普段なら、さっきまでと同じような海岸線が続く道。


でも、先に見えたのは違った。


少しだけ海岸線沿いを走ると、道は大きく左に曲がる。

左…つまりは、海の方。


巨大な橋脚に支えられた道は、海の上に長く長く登っていく。

トンネルに入る前からは見えない景色の先…本当なら、夕暮れが綺麗な景色を、遮るかのように伸びる道の先…


あるのは巨大な人工島。

海から無数の鉄塔が生えて、それが海上数十メートルの所で陸地を形成している。

陸地に見えるのは、無機質で、ぎゅうぎゅうに押し込められたな建物群。


「シャク島…?」


私のつぶやきに、横にいた蓮水さんは小さく笑いだした。

いつの間にか、煙草を灰皿に捨てていた彼女は、小さく声を上げて笑うと、悪戯が成功した子供のような横顔で私に目を向ける。


「君の中の設定だと…シャクはアイヌ語の夏だったっけ。積丹にあるからシャクだっけ?…どう?"空想が具現化"するっていうのは」

「え…え?これも…可能性世界……なの?」

「どうだろ。ただ言えるのは…"君しかこんな世界は創れない"ってことと"存在してはならない世界"ってことくらいだ」


彼女はそう言って、長い長い海の上の直線道路に車を止める。

カーステレオからの音楽と…エンジン音…ハザードの電子音が車内を一時だけ支配した。


「存在しては行けない世界?それは…まぁ、こんなファンタジーなんて…私の夢の中だけで十分だけど…可能性世界ではないの?」

「一体どうしたら軸の世界がこんな分岐をするのさ。結局人類は最期までファンタジーの世界には行けずに絶滅するんだよ?」


彼女は余裕を崩さない薄笑い顔を貼り付けたまま言うと、急に真顔に戻って、私の方に首を回した。


「な…何ですか?」

「さて…"在ってはならない世界"で居るんだ。僕達の使命は何なのか、わかるよね?」

「え…え?……」

「歪な存在の、唯一の生き残りであり…レコードを持ってしまった君が、在ってはならない世界を無意識のうちに生み出した。その世界は、気づかぬうちに幾多の世界に紛れ込み、どこかの世界に影響を与えてしまう。どうすればいいか、分かるよね?」


真顔になった彼女の、真っ赤に光る瞳に吸い込まれそうになりながらも、私は口を動かした。


「もしかして……この世界を……破壊する…?」



そう言った私に、彼女は小さく、ゆっくりと頷いた。

その後、彼女は前に向き直って、ハザードを止め、ゆっくりと車を発進させる。


ゆっくりと、目の前の人工島が大きくなってきた。


「この島…車で行けるのは外周だけだった気がします」

「……だね。ぐるっと周囲を一回り…その、道脇に車を置ける」


彼女は、橋を越えて、島の外周路に車を動かすと、空いていた路上駐車スペースに車を止めた。


車を降りると、日向で感じるよりも冷たく、強い海風が髪をかき混ぜる。

助手席側…車の横に建てられた塀は、私の胸の高さよりも少し低い程度…

塀の向こう側には、見渡す限り海と空のコントラストしか見えてこなかった。


「しっかし物凄い違法建築だ。地震一発で海の揉屑になりそう」


運転席側に寄り掛かっていた蓮水さんは、私が横に立つと、そう言って足を踏み出した。

真新しいアスファルトが敷かれた道路を渡って…入っていくのは、まるで裏路地に入るかのような狭い入り口。


蓮水さんは、場に馴染まない、白基調に水色の水玉模様が入った浴衣姿のまま、建物に覆われた島に入っていく。


後についていった私も、彼女とはぐれない様に気を付けながら…それでも、周囲を見回しながら歩いていく。


乱雑。

ごった煮。


そんな言葉が似合いそうな島の中。

私が空想の末に創り出した世界。


島の外周は真新しいコンクリートとアスファルトに敷かれた島だが…その中、ガラス張りのビルがコロシアムの外壁のように覆っている島内に入ると、その景色は一変する。


そこにあるのは、灰色の世界。

煌びやかなガラス張りのビル群には、ぴっちりしたスーツ姿のエリートたちが働く一方で…その中…"コロシアム"という表現にピッタリの島の中心部分は、廃墟同然の建物が密集していた。


外周を覆うように立ったビルの住民たちは、直ぐそばに乱立する小さいながらも、十分に高いマンションで暮らし、中心部に"埋もれた"住民たちを見下している。


私と蓮水さんは、そんな島の展望台に立っていた。


振り返れば島の出口…ガラス張りのビル群…

左右には、この時代…昭和の時代にそぐわない、近代的なマンション群。


そして、展望台から見下ろせるのは…まるで戦後の日本のような光景。

いや…九龍城とでも例えた方が良いのか…?


「ここは日本?君の空想の中ではさ」


火のついた煙草を片手に持った蓮水さんが、ボーっと展望台を見下ろしながら言った。


「そうですね…少なくとも、ここでは法律なんて通用しないはずです」


私は、同じように眼下を見下ろしながら答える。

私の言葉の答えは、すぐに耳に聞こえてきた。


それは悲鳴。

それは銃声。


「銃ねぇ…ま、そこらへんに転がってるか。幾らでも」


彼女はそういうと、煙草を咥える。

私は、何も動こうとしない彼女の横に立ったまま、具現化していた自分の世界を見回していた。


何時も、眠る前に浸っていた空想の世界。

ここは、気分の上下が激しかった日に決まって訪れていた世界だ。


そう…ここの私は…


「ここでの君は、最近ひょんなことから"マンション住民"になれたばかりの最下層の少女」


私は、自分の思考をそっくりそのまま読み取った蓮水さんに、驚きの目線を向ける。


彼女は、小さく笑うと煙草を咥えなおして歩き出した。


向かう先に見えたのは、空想の中の主人公(私)が使っていたマンション。

急いで彼女の横に追いつくと、楽し気に口元を笑わせる彼女を見て、そのまま何も言わずに歩き続けた。

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