1.空想世界の管理人 -5-
そう言って、玄関の方に向かった蓮水さん。
私は、ちょっと驚きながら後を追う。
浴衣に似つかわないスニーカーを履いて、部屋を出る。
鍵も掛けないで、そのままマンションのエントラントへと降りて行った。
「この島から出るんですか?」
「ああ」
外に出て、迷うことなく島の出口へと向き先を変えた彼女は、私の問いにそう答えると、車の鍵を取り出した。
高層ビルに囲まれた狭い空を一瞬見上げて、狭い隙間から外に見える海を眺める。
ここだけ別世界のような感覚だ。
この島の中だけ…
そう感じて、狭い路地から出た島外の景色は、嫌に広く感じた。
何時も見慣れた海の景色。
目の前には、蓮水さんの赤いフェアレディZ。
「そうだ。道中で煙草買っておかないと」
「そうですね…まさか、私が普通に吸える人だとは思ってませんでした」
「イケナイ人だね」
「そっくりそのままお返しします」
道を渡りながら、2人でそう軽口を言い合うと、揃って同じような笑みを口元に浮かばせて車に乗り込んだ。
直ぐに蓮見さんはエンジンをかけて、車を発進させる。
「地元住民さんのお勧めは?」
「そこら辺のお店は何処も変わりませんよ。田舎なので、何処も一緒です」
「釣れないなぁ」
「……何が食べたいんです?」
「んー…海鮮丼かな。今の時期って何があったっけ?」
「8月なら、まだウニが採れる時期でしたっけ」
「じゃ、それで」
島の周囲を回る間に、昼食のメニューを決める。
蓮水さんがそう言った直後、道は島の外周路から、高く長い橋の上に切り替わった。
「……そういえば、2週間で世界が消えるだなんて大層な事言ってますけど、消えるのってこの一帯だけですよね」
橋を渡っている最中。
私はボソッと言う。
窓の外の景色を見ながら、ふと思い出した"この世界"の異常な所。
それを確かめたかった。
「なんだ。ドライブがてら島になってしまった"半島"を周ろうと思ってたのに」
蓮水さんは少しだけ感心したような表情を見せると、そう言った。
「やっぱり」
私はそう言って、ふーっと溜息を一つ。
「この世界の住民はそれを知覚していないけどね。彼らはあくまでも積丹半島に住んでいる日本人という認識だ。だだっ広い海の惑星にただ一つ、ちっぽけな島があって、それがこの場所だなんて誰も気づいていない。この”大きな島"の物資は全てあの"小さな島”の中心部で創られているに過ぎないんだ」
蓮水さんは淡々と説明してくれる。
通りすがりの看板に、札幌は逆方向であることを示す表示があった。
「世界を壊すってことは、この島を何とかすればいいだけなの。簡単でしょ?」
「……だといいけど。レコードキーパーだった時は、そうやって油断して痛い目に会ったから、信用できない」
「あら。油断したのはパラレルキーパー?」
「そう。彼らみんな…腕が立って、何とかできる分…知らず知らずのうちに油断してる。蓮水さんも、そんな空気がする」
私は淡々と思ったことを口に出した。
「これは痛いところを突かれた気がするね」
蓮水さんは一瞬だけ、ポカンとした顔を浮かべたが、直ぐに小さい微笑に顔を貼り換えた。
そして、そのまま煙草の箱を取り出して、一本咥える。
煙草を咥えた彼女は、そのまま箱を私の腿の上に乗せると、私の方を見て口角を上げた。
「ありがと」
私はそう言って煙草の箱を取って、中から一本取り出した。
「……君ならこの世界を壊すために何時動く?」
彼女はそう言って、シガーライターを押し込む。
私は、一本取り出した煙草を咥える寸前、ちょっと考えてから口を開いた。
「3日後とかですかね。2週間後に終わるというのなら、3日後…狭い世界だし、あの島の"特異"な事実に気づいている…いや、知ってしまっている人間も居るはずです。そういう人が壊れだすのは…きっと他の可能性世界よりも早いと思いますよ?」
私がそういうと、彼女は少しだけ鼻を鳴らした。
直後、シガーライターのカチ!っという音が聞こえて、彼女はそれで自分の煙草に火を付ける。
私も、彼女から手渡されたそれで火を付けると、元に戻した。
「……3日後。なら、何時でも壊せるようにしておかないと」
「……え?」
「僕達は事が起きる前に動けないからね。警察と同じさ。怪しいと思っても、予兆があっても、事が起きるまでは動いたらダメなんだ。準備だってそう。それが結局、物事の切欠になっちゃうと困るから」
彼女はそういうと、先ほどこの世界に来た時に使った電話ボックスを親指で指さす。
「こうやって、パラレルキーパーはあちこちの世界に何時でも入り込めるように根を張っているし、入り放題なんだけど、その世界の人間との交流も何もかもが禁じられてるんだ。レコードに影響を与えないようにって」
彼女はそういうと、そのまま電話ボックスの横を走り抜ける。
ここはトンネルとトンネルの合間にある、直線道路。
直ぐに暗くて狭いトンネルに景色が切り替わった。
「ここは空想の世界だけど、レコードがある以上は動けない。それまでは観光してようよ。このトンネルを抜ければ…君の住んでいた町まであと少しだ」
「日向に行く気だったんですね」
「何処でもいいって言ってたから。千尋のお勧めにしようかなって」
蓮水さんは急に観光客みたいな事を言い出すと、さっきまで見せていたどこか冷たげな無表情から、少し柔らかい、優し気な顔つきに変わった。
「そこでお昼にしてから…ぐるって島を1周…といっても、半島の裏側まではないんだけどね。ほら、積丹岳があるでしょ?あれの向こう側は、もう何も無いんだ」
「だったら、あるのは余市辺りから…野塚くらいまでですか?随分と狭い……」
「でしょう?実際、あの人工島がこの世界の全てだからね。君だって、空想の中でこっち側はあまり考えていないはず」
「確かに」
私は彼女の言葉に頷くと、窓の外に見える見慣れた光景に目を向けた。
咥え煙草で、ボーっと見つめる海の景色。
「…ここを登って、右に折れれば日向だ。今日くらい晴れてると、向日葵が綺麗だよね」
横で運転している蓮水さんは、そういうとウィンカーを出して、鼻先の長いスポーツカーを狭い路地の方へと向けた。
昭和の小さな車でも狭く感じる路地を進み、一度だけ突き当りを左に曲がれば…
狭くも向日葵が綺麗な町が見えてくる。
急こう配の坂道を下って行って、この時代も変わらない、向日葵が咲き乱れるロータリーをぐるりと周れば、見慣れた商店街が姿を現わした。
蓮水さんは、迷うことのない道を真っ直ぐ進んでいき、目的地のお店の前に車を路駐させる。
「ここだ。オオワ食堂」
「ああ…大輪さんの所でしたか」
煙草を車内の灰皿にもみ消して車から降りる。
蓮水さんは、口元に薄っすらと微笑みを浮かべながらお店の扉を開けて中に入った。
「2人。奥の小上がりでもいいかな?」
入ってからそういうと、お店の人は私達に気が付いて小さく頷く。
「僕はウニ丼…君は…?」
「三食丼。ウニとイクラとサーモンのやつ」
その場で注文を済まして、奥へと進んでいった蓮水さんの後についていく。
靴を脱いで小上がりに上がった。
「家はこの近くだったの?」
「この町じゃ何処に住んでても近くですよ。ここから…徒歩1分ですかね」
「行ってみる?」
「レコード的に大丈夫なんですか?」
私は向かい側に座った蓮水さんにそういうと、窓から見える外の風景を見た。
「この世界の日向は君の知り合いが居ないんだ。君の空想はあくまでも島だけで…それ以外は何も無い。空想から実体になるときにレコードが勝手に繕ったに過ぎないのさ」
彼女の言葉を聞きながら、私は帯のポケットに仕舞ってあるレコードを取って開いた。
いつの間にか緑色が薄くなっていき、白いハードカバーの本に変っているが…顛末を知った今となっては驚くこともない。
「レコードによると…この町に知ってる人は多くないですね。親世代も…苗字からして違う人たちが住んでますし…ん?」
私はレコードを見ながら…一人意外な人物の名前があることに気づく。
「前田千尋?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます