1.空想世界の管理人 -1-

汚れ一つない真っ白い壁に囲まれた駅舎に降り立った私は、宙に漂うような…独特な歩き方をする少女の後についていった。


そういえば、彼女と会って少ししか経っていない上に、名前も知らない。


汚れ一つない空間に降り立った私は、そんなことが頭によぎった。

でも、すぐに彼女に付いていくしかないと思い直す。

右も左も…過去も未来のことも、頭の中にぼんやりとしか残っていない私に、今のところ好意的に接してくれて…それでいて、私の置かれた状況を分かっていそうな人物。


そんな人間がそうそういるはずもなかった。


淡く真っ白いプラットフォームを降りて…改札も通らずに駅舎のような空間を抜ける。

…映画に出てくる宇宙基地の、真っ白基調の建物のよう。


自動ドアを抜けて、別の建物に入る。

さっきまでは駅舎といったように感じていたが…今いる空間から考えてみれば、ここは空港といった方が似合っている。

自動ドアの先は、空港のロビーのようになっていて…一方の壁全体が大きなガラス窓になっていた。


その先に見えるのは…無数の星…宇宙空間。

本当に映画の中の宇宙要塞みたいだ。

私が歩いてきた方に振り向くと…四角い建物の先に、長い列車の姿が見えた。


再び、前に向き直って…他の場所に目を向ける。

ロビーには、国籍も人種も関係なく…幾人の人が思い思いに過ごしているようだった。

空港の、出発ゲートに並んだ飛行機のように、窓の外には幾つか列車が見える。

私達が乗って来たような、西欧風の趣ある列車から…日本の新幹線…通勤列車のように小汚い車両もある。


私は初めて見る光景を目に焼きつけながらも、前を行く人の後に続く。

私は、こちらに振り返ることもなく…それでも私に合わせた歩調で前を行く彼女の後をついていく。


駅舎……空港のロビー…

そうやって、人の多い場所を通って来た私達…前を行く少女は、急に、スタッフオンリーの文字が書かれた扉を開けて中に入る。


私はちょっと驚きながらも、その後を追った。

白基調の…無機質な空間が一気に暗く細い道に変わる。

壁一面に、何かの配管と…配線。


足元から、カタンカタンと、鉄の上を歩く音がした。


「あの…一体、何処へ…?」


私は思わず口を開く。

すると、前を行く少女は一瞬だけ立ち止まると、すぐに小さく首を振って歩き出した。


「僕の家。といっても、あるか分からないけどね」


彼女はそう言って、行き止まりで立ち止まる。

小柄な私が、そっと体を捩って彼女の前の光景を見ると、ボロボロになった背の低い鉄扉が見えた。


彼女はそっと、その扉のノブに手を掛けると、さび付いて動きの悪そうな音と共に、扉が開く。

中に入った彼女に続いて、中に入ると…私は急に眩しくなった視界に思わず目を一瞬瞑った。


「久しぶりだなぁ…」


目を開けると、私の左手は彼女に取られていて、私は彼女に引っ張られるがまま光の元へと歩いていく。

出てきた先は、どこかの路地裏…

陰になっているが…暗い細道からすれば随分明るい。


地面は土の感触がして…周囲に見える光景は…日本だった。


路地裏の道から、人が行き交う通りに出る。

狭い路地から…出た先は商店街の通り…

出ていく道の左右にあるのは、古風な煙草屋と酒屋。


目の前を通る人達は、皆日本人。

私はその光景を見て、横に立った彼女を見る。


彼女も同じように周囲を見回しているようだった。

そして、すぐに何かを見つけたような顔を見せると、私の手を引いて歩き出す。


「あった」


彼女が見つけたものは、自分の部屋だ。

正確には、昔住んでいた部屋。

路地から出て直ぐの所にあった、古い木造のアパート…

鍵のかかっていない部屋に通された私は、開きっぱなしになっていた窓から外の光景を眺めていた。


「……昭和、20年代後半。30年代前半って?…私はそんな時代の人間ですか?…こんな風景は歴史の教科書でしか見たことがない気がします」


そう言って、居間の奥の部屋に入っていった彼女に言う。


夕焼けに染まった商店街…3階からでも随分と遠くまで見える景色。

平屋が多い地域だ。


「そうだね。君はこんな時代の人じゃない。けど安心して。ここは昭和でも何でもない…下にいるのは皆僕の同僚だった者たちさ…僕は…彼らの先輩。ま、OBって所かな」


暫くしてから、彼女の返答が聞こえる。

私は、その声に振り向くと…居間の奥からお盆を持った彼女が出てきた。

いつの間にか浴衣姿になっていた彼女は、お盆をちゃぶ台の上に置くと、ちゃぶ台の周囲に敷かれた座布団の上に座る。


「さて…君の正体も分かったことだし。説明していこう」


彼女にそう言われた私は、少しだけ間を置いた後で、彼女の正面に座る。

彼女は、お盆に置いた2つのコップの1つを私の方へと寄越すと、すぐに切り出した。


「君の名前は白川紀子…年齢は…15歳、か。設定上は」

「設定上……?」

「そう。設定上。実年齢は…17歳…レコードキーパーと呼ばれてる…緑色の本を持って世界を監視する役目を請け負うことになった」


彼女は淡々と言う。

私は何も言えずに、ただただその言われている言葉を理解するのに精一杯だった。


「それよりは、思い出す方が早い。この本。君のなんだけど、僕が少し手を入れた。最後のページに名前を書いてみて…白いに流れる方の川に…紀子の紀は糸へんに己…」


私の困惑する表情を見ていたのか、少しだけクスッと笑った彼女はそう言って、私のだという、緑色のハードカバーの本を私に寄越した。

私は言われるがまま、最後のページを開いて…本についていたペンを握って名前を書く。


白川紀子。


そう、名前を書いた途端。

激しい頭痛に見舞われた私は、ペンを放り投げて頭を押さえ込んだ。


「うっ…痛ぅ……うああああ…」


ガツンと来る痛みではない。

ジワジワと、連続的に繰り返される痛み。


微かに開いた視界の奥。

浴衣姿の彼女は、表情をピクリと変えることもなく、気づけば煙草を咥えていた。


私はその視界を最後に、プツッと視界が闇に堕ちていく。


「レコード…違反?」


次に、視界に浮かんだのは…霧が晴れた脳裏の記憶。


私の視界の奥に広がったのは、映画のスクリーン越しに見る私の視界。

なんてことの無い学校からの帰り道。

バスの中で、友人たちと一緒にレコード違反を告げられた私。


感覚も、痛みも、何もかも…さっきから変わっていないのに、私は急激に過去のことを思い出した。


「この、注射器を人に?こう?それで、終わり…?」


走馬灯のように、視界は急に切り替わる。

初めての仕事…初めての処置。

注射器を片手に、私はレコード違反を犯した者に針を突き立てた。


そう、あれは2010年代の半ば。

高校1年生になった頃…私と、その周囲はレコードから外れてしまった。


私が住む世界で…1人1人に予め決められた"レコード"。

それを不意に破ってしまい…決められた動きが出来なくなった人間。

そこから、レコード独自の基準で選ばれた…世界の管理人。

それを、皆はレコードキーパーと呼んでいた。


仕事といえば…レコードが告げる違反者を注射器で処置すること。

それ以外は、レコードに影響を及ぼさない範囲で自由に過ごす。


レコードキーパーになった代償は、死ねない体になったということ。

どんな目に合おうが、必ず蘇生する。


「紀子!先に!…私なんて放っておいていいから!」


視界は何時の日か大騒ぎになった町の景色を映し出した。

私は、半分死に体で叫ぶ仲間に怒鳴られて、半泣きになりながら逃げ去った処置対象を追いかける。


レコードを持ち、何かがあれば身を滅ぼしてでも仕事を遂行する。

最初それだけだと思っていたが…世界はそう簡単にできていなかった。


「遅れながら自己紹介しようか…僕は前田千尋。パラレルキーパーをやっている。ここは僕達の仲間が処理するから、このまま放っておいて構わない」


そう言って、地元で起きた異変に駆けつけた、白髪の少女はそう言った。


パラレルキーパー…

私が住む世界…それに似た世界が幾つも存在し…それを監視する管理人。


ポテンシャルキーパー…

名前しか聞いたことがないが…私が住むような世界…将来が約束された"軸の世界"の対になる…"近い将来に消滅する"IFの世界を渡り歩き、終わりに導く存在。


私は徐々に徐々に思い出す。


同い年だけど、私よりも4年、レコードキーパー歴の長い少女が視界に映った。

体中に細かい傷を負っていて…思い出の最後の方では、右目を眼帯で覆った少女。


「良かった。起きてたのがレナで」


私は、記憶の中でそう言った。

彼女は、平岸レナ。私が記憶にある中で、一番勇敢で、命知らずで、映画の主人公のように格好よく見えた人。


まるで、今目の前にいる少女のような浴衣姿で…真夜中の家の前に立た私は、塀に座っていた彼女に声を掛けた。


そこから記憶の中の景色は、雑音交じりになっていく。


私はそれでも、頭を抑えたまま、最期の景色を求めて目を瞑り続けた。


やがて、その時はやってくる。


「やっと追いついた。白川さん。そこまで」


親しみのある声は、私に敵意を向けていた。

振り向いた先…セーラー服に身を包み…体に傷一つない少女が、レコードを片手に立っている。


「レナ…?じゃない。貴女は誰?」


私は、得体のしれない恐怖を感じながら言った。

何故なら、セーラー服姿の彼女の奥には…私と共に行動していた、傷だらけの彼女が居たから…私は瞳を見開いた。


「え……」

「私は私だよ。"永浦レナ"。時間も無いし、手っ取り早く済ませよう…」


 ・

 ・

 ・


私はセーラー服姿の少女から発された最期の言葉を聞くと、バッと顔を上げて目を見開く。

視界は再び昭和世界のようなアパートの居間に戻る…目の前に居る少女は短くなった煙草を灰皿に入れてもみ消していた。

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