砂漠の刹那Ⅴ

 上位魔人――それは数ある魔人の中でも強く、膨大な魔力を持った魔人たちのことだ。

 魔法の使えない国なら一瞬で滅ぼすことができる。

 魔法を使えたとしても脆弱な防衛ならば一晩しか持たないと言われている存在。

 今、俺の目の前にいるのは――。

 考えるまでもないな。

 明らかに他とは違うおぞましいオーラを感じる。

 水牛の頭蓋骨のような頭、長く伸びた爪、巨大な体は分厚いマントで覆われている。

「目的はなんだ?」

 沈黙。

「なぜここにきた?」

 沈黙。

 鼻腔に砂の匂いを感じる。

「そこから離れろ! エマ!」

 エマにかけより魔人の方に向かって手をのばす。

「ビアラクテア!」

塵旋風ダストデビル

 魔人から放たれた風は防御魔法にぶつかり、半透明の膜にヒビを入れていく。

 砂塵がヒビの隙間から出て風と共に吹き付けてくる。

 塵は頬や腕をひっかくように傷つけた。

 極小の砂塵でも威力は高いな。

「ケイ、大丈夫?」

「ああ、見ての通りかすり傷だ」

 それにしても桁違いの魔力。

 離れるとさっきの技を打たれるが近距離の攻撃方法がわからない今、近接戦は避けたい。

「ケイ、あの魔人だけど獣化で暴走していると思うの」

 なるほど。

 確かにそれなら見境なく攻撃してくる理由がわかる。

 砂塵の魔人は腕を前に出す。

 やばい、次のが来そうだ。

「魔力の根源よ主の望みを叶えたまえ 主を全ての天災から守れ ビアラクテア!」

塵旋風ダストデビル

 魔人から放たれた風は防御魔法で防ぎきることができた。

 完全詠唱なら今のところは守れるな。

「それで暴走を止める方法は何かないのか?」

 とりえず暴走を止めなければジリ貧だ。

「私の力だと三分しか止められないけど」

「頼む。やってくれ」

「魔力の根源よ主の望みを叶えたまえ ベスティアルト!」

 エマの前に紫色の剣が顕現する。

 その剣は魔人の方へ剣先を向けて飛び、砂塵の魔人の胸を貫いた。

「ゔゔゔゔゔゔゔっゔああああ」

 魔人は鈍い唸り声を上げる。

 渦巻いていた魔力は収まり、砂塵の嵐は止んだ。

 魔人は苦しみながら自分の胸に刺さった剣を握る。

「砂塵の魔人。お前の目的はなんだ?」

「俺はただこの場所を守りたかった」

 青年の掠れたような声が返ってくる。

「だが、やがて獣化が進み、俺は俺でいられなくなっていった」

「獣化って一体なんなんだ?」

「それは俺にも分からない。ただ日に日に体と心を蝕み、本当の化け物になっていく感覚だけを感じた」

「いつしか、見境なく王都から来た人間を殺し、遺跡に近づいた人間さえも砂のバケモノに変えてしまった」

 砂塵の魔人はこの場所を大切に思っている。

 ただ、自らを侵食する獣化に抗えなかっただけ。

 つまり、俺のするべき事は二つ。

 一つは砂塵の魔人の暴走を完全に止めること。

 氷がきしむ音が部屋中に響く。

 氷塊は砕け散り、中に閉じ込められていた男が姿を現した。

 もう一つはデゼルトさんを裏切ったこいつを倒すことだ。

 なんで裏切った? 

 いやそもそも最初から味方ではなかったのか?

「あなた、魔人のようね。私とケイに刃を向けるのなら容赦しないわ」

「おっとお。ひとまず話し合いといこうぜええ」

 男は髭をいじりながら不敵な笑みを浮かべる。

 背は高いが猫背で、ボサボサの黒い前髪が目にかかっている。

「俺が魔人だと良くわかったなあ。そうかお前も魔人なのかああ」

 男はそう言って俺たちの方へと歩み寄ってくる。

 エマが剣を抜こうとしたので俺は手で制した。

 攻撃を仕掛ける気配はないし、とりあえずこいつの出方をうかがおう。

 何か情報が得られるかもしれないしな。

「そしてこっちは人間かあ」

 俺の方を興味深そうに目を向けている。

 男は目を離さずに俺の目の前まで近づき、顔を覗き込むようにして見る。

「なるほどお。久々に起きたがいいもんだなああ。おかげで面白えもんが見られたんだからなああ」

 男は天井を見上げ大声で高笑いした。

「さてえ。お礼の代わりに俺のことを話すかあ」

 まずい、なにかする気だ。

 おぞましい魔力の気配と共に、男の鎧が変形を始めた。

 男の鎧がまるで蝋が溶けるかのように液体となって流れ、形が崩れていく。

 男は銅と腕を灰色の包帯で巻かれた姿へと変わった。

「俺は屍の魔人。さあ、殺し合おうぜええ!!」

 屍の魔人はとてつもない速度で俺との間合いを詰める。

 紫色の光を放つサーベルが俺の首をかすめた。

「なかなかやるじゃねえかああ!」

 危ない。賢者の瞳と獣化した目を持ってしてもギリギリだった。

「エマ、砂塵の魔人はあと何分持つ?」

「おそらく、最低一分。それ以上はわからないわ」

 エマは魔法の維持で戦えない。

 少なくとも屍の魔人相手に一分間耐えなくてはならない。

「わかった。それまでに俺は屍の魔人を何とかするから、エマは転移魔法の準備をして欲しい」

「ケイ、死なないでね」

「ああ、任せろ」

「おしゃべりとは余裕だなあああ!」

 屍の魔人は先程と同じ速度で斬りかかってくる。

 屍の魔人の攻撃は速くて威力も高い。

 けれども、剣をがむしゃらに振っていてでたらめだ。

 耳をつんざくような金属音をたて、魔人の攻撃が俺の剣によって弾かれた。

 大振りな攻撃なら弾いて隙をつくることができる。

 激しい猛攻を、受ける力は最小限にして受け流す。

「アイシクルヴァイン」

 そしてできた隙に攻撃を仕掛ける。

 地面から氷の蔓が現れ、魔人の手に纏わりつき凍らせていく。

「この程度効くわけねえんだよなああ」

 効き目がないのはわかっている。

 この魔法の狙いは少しでも攻撃の速度を緩めること。

 一つの魔法で形勢は逆転する。

「魔力の根源よ主の望みを叶えたまえ ゲイルレインフォースメント」

 剣の周りを風が魔力とともに渦巻き、剣からは緑色のオーラが出ている。

 俺は風を纏った剣を構え、屍の魔人へと斬りかかる。

「ぐおっ!」

 凄まじい速度で繰り出された斬撃が魔人の銅に傷を入れる。

 鮮血が飛び、魔人はその場に倒れ込む。

「やるなああ! 面白い。少し本気を出すかああ」

 屍の魔人は起き上がり、持っていた剣を投げ捨てる。

 体に巻かれた包帯が怪しげな紫の光を放った。

「エマ、今だ!」

「魔力の根源よ主の望みを叶えたまえ 主を遠方の地へと運べ メタスタス!」

 床に白く光り輝く魔法陣が現れあたりを明るく照らす。

 やがて光は俺たちを包み込んだ。


 瞬きの合間に俺たちは遺跡の中心部へと転移していた。

 おそらく頭上の月が闇夜を照らしているのだろうが、獣化のせいで暗闇も全て明るく見える。

 転移したのは二体の魔人とエマと俺の二人だ。

 とりあえず転移魔法で移動はできた。

 これで大広間にいる人達に危害は及ばない。

 今なら周りへの影響が少ない魔法を選んで使う必要もない。

 剣を取り巻く風を止め、剣を腰に収める。

「魔力の根源よ主の望みを叶えたまえ 罪深き者に裁きを ルスエスパダ!」

 空中に光の剣が七本現れる。

 エマとリリーのキスによって使える魔法はさらに増えた。

 今は上級魔法の更に上、特級魔法も使える。

 光の剣の一本を手に取り、残りの剣を砂塵の魔人に向けて放つ。

 光の剣は地面から出現した砂でできた獣のかぎ爪に防がれた。

「ケイ、そろそろ魔法の効果が切れるわ」

 砂塵の魔人の暴走まで時間がない。

 魔人を二人相手取るのはエマと二人でも難しそうだ。

 そうなる前に屍の魔人はここで倒す。

 光の剣を握りしめ、風魔法で屍の魔人との距離を一瞬で詰める。

 懐に剣を突き刺そうとしたその瞬間――

 魔人が左手で剣を握りしめて攻撃をとめた。

 そのまま右手で拳を勢いよく振り上げる。

 避けられない。

 すかさず剣を手放し、腕をクロスさせて拳を受ける。

 拳が腕に当たると同時に、俺は後方へと跳ね飛ばされた。

 硬質化した腕が衝撃の余波で震えている。

 スキルで思考に必要な時間が短くて助かった。

 少しでも判断が遅かったらどうなっていたか。

「殺せたと思ったのによおお。しぶといなああ」

 相手の能力は不明で実力は未知数。

 なるべく攻撃を受けず、時間をかけないで倒したい。

 風魔法を発動させ、魔人に向かって走り出す。

 風魔法で加速し、もう一度魔人との間合いを詰める。

 至近距離での高火力魔法。

 これで決着をつける。

「魔力の根源よ主の望みを叶えたまえ 敵を焼き尽くせ フエゴバラ!」

 炎の球体を手の前に出現させ、そのまま魔人の懐に打ち込む。

 炎弾が着弾し、爆音とともにあたりに煙が広がる。

「エマ、砂塵の魔人を倒すのに協力してくれ」

 エマの方に体を向き変える。

「ケイ! まだ終わってない!」

 エマが俺の方へと駆け寄り剣を構える。

 煙の中から無数の包帯が飛び出す。

 瞬きの合間に、それは不規則に曲がってエマを襲った。

 包帯の何本かはエマが剣で弾いたが、あとの数本はエマの四肢に傷を入れた。

 倒れるエマを咄嗟に抱きかかえる。

「エマ! 大丈夫か!」

 エマは少し苦しそうな顔をする。

「大丈夫、かすり傷よ。ケイ、怪我はない?」

「ごめん、おれが気を抜かなければエマは傷を負わなかった……」

 俺のせいだ。俺が油断したからだ。

「そんなに気に病むことじゃないわ。たいした怪我じゃないもの」

 言っていることとは裏腹に、エマは目を閉じて苦悶の表情を浮かべている。

 毒だろうか?

 攻撃に何かしらの効果がかかっていた。

 砂塵の魔人がうめき声を上げて近づいてくる。

 その反対側からは包帯が束になって襲ってくる。

 俺は地面に残った白い魔法陣に視線を移す。

塵旋風ダストデビル

 魔人が放った砂塵の嵐が目の前まで迫る。

「魔力の根源よ主の望みを叶えたまえ 主を遠方の地へと運べ スタスメタ!」

 白い光とともに魔法陣が起動する。

 一瞬にして、俺とエマはもといた宮殿へと転移していた。

 

 空のバケツを持ち、宿の中庭へと出る扉を開ける。

 中庭は木々に囲まれていて中心には石造りの井戸がある。

 肌をさすような寒さの中で、俺は井戸から水を汲む。

 エマは宿の一室で眠っている。

 水の入ったバケツを抱えながら俺は中庭のベンチに腰掛けた。

 早朝の紺色の空がバケツの水に写っている。

 しばらく、何を考えるでもなくバケツの中の水面を見ていた。

 俺は中庭に来た理由を思い出して立ち上がる。

 汲んだ水をエマのところに持っていかないといけない。

 中庭と宿を隔てる扉を開ける。

 静寂に包まれた廊下と中庭に、扉の閉まる音だけが響いた。


 部屋に戻るとエマは起きていた。

 エマは俺に気づくと横になったまま笑顔を向けた。

 俺は水の入ったバケツをゆっくりと床におろして椅子に座る。

「エマ、体調はどう?」

 ベッドで横になったエマに話しかける。

「ケイ、そんなに心配しないで。大分良くなったから」

 エマの怪我は大事には至らなかった。

 けれども、攻撃を受けたことでエマは獣化してしまった。

「ごめん。俺が油断したせいだ」

 俺が緊張を解かなければ起こらなかったことだ。

「魔法の維持で手一杯で戦えず、ケイに負担をかけすぎた私にも責任があるわ。だからそんなに気負いすぎないで」

 エマはベッドから手を伸ばし、そっと俺の手を握る。

「魔人が獣化した場合ってどうなるんだ?」

「わからないわ。そんなことは今まで起こらなかったから」

 エマはそう言いながら体を起こし、そばにある棚の本を取る。

 エマは何か考えるようにして栞を挟んだページを開く。

「獣化は、魔人が自身と人間にしか使うことができない。そう書いてあるけど、どうやらこれは間違いかもしれないわ」

 俺は魔人についても獣化についても知らなさすぎる。

 目の前の一人の魔人の少女に至っても、ほとんど何も知らない。

「獣化って魔人が人間に人間の命を代償に能力を与えるものと、魔人自体の能力の解放を行うみたいなイメージでいいのか?」

「そうね。契約をちゃんと行った獣化と、契約なしの獣化はまた違うけど」

「契約を人間と魔人の間で結んだ場合はどうなるんだ?」

 エマは本を閉じて棚に戻す。

「契約を結んだ場合は命以外の代償になるわ。色々だけど、中には命よりも重いものもあるわ」

 代償について聞こうとしたところで、部屋の戸を誰かが叩いた。

 扉を開けると、暗い表情で俯いたデゼルトさんと、その育ての親である老婆が立っていた。

「朝早くに済まないねえ。取り急いで伝えたいことがあるもんでね」

 俺は立ち上がって、老婆に椅子を差し出す。

 老婆は会釈をして椅子に腰掛ける。

「二人とも本当に申し訳ない。俺が巻き込んでしまった」

 デゼルトさんが俺たちに向かって深く頭を下げる。

「デゼルトさんが悪意があってあんなことをしたんじゃないこともわかってます。それよりも俺たちにかかっている獣化を解く方法を考えましょう」

 このままだと明日の夜には、俺とデゼルトさんは死んでしまう。

 エマだっていつどうなるか分からない。

「獣化の話だけどね。今できることはあんたたちを獣化させた魔人を倒すぐらいしかないねえ」

「そうすれば獣化が解けるんですか?」

「ああそうだよ。けれど、問題は二体の魔人を倒さないといけないことだねえ」

 砂塵の魔人と屍の魔人。

 その二体を倒さなくてはならない。

「それで今二体はどこに?」

 転移前を最後に魔人たちの居場所は分からない。

「俺がペッポで偵察に行ったときには遺跡は砂に埋まっていた。昼の間は出られないから奴らはきっと遺跡内にいる」

 質問にデゼルトさんが答えた。

「わかりました。俺とデゼルトさんで行きましょう」

 一刻も早く獣化を解くために遺跡へ向かいたい。

「まって、ケイ」

 服の袖を掴み、エマが俺を呼び止める。

「エマは怪我を治してくれ。これ以上危険な目には遭わせたくない」

 エマは少し戸惑ったあと、覚悟を決めたような顔になる。

「私も一緒に行くわ。私の背中を任せられるのはあなた一人。だから、あなたの背中を任せられるのは私でありたいの」

 エマは真剣な眼差しを俺に向ける。

「わかった。エマの傷が治り次第出発する」

 エマは俺の言葉を聞いて安堵したような表情を浮かべる。

 なんでこの子は俺にここまでしてくれるんだ?

 出会ったばかりなのになぜだろう。

 何か忘れていることがあるような気がする。

「怪我の治療はしたけど、まだ完治していないからね。安静にするんだよ」

 老婆は部屋の外に出ながら振り返って言う。

「あ、はい。ありがとうございます」

 エマは軽く会釈をした。

「それで俺たちに伝えたいことって何だったんですか?」

 先程から気になっていたことを口にする。

「それはまた今度話そうかねえ。ほら、デゼルト行くよ」

 老婆は部屋から出て廊下を歩き始める。

 デゼルトさんも老婆のあとに続いて部屋から出ていった。

 去り際に老婆が笑みを浮かべたような気がしたが気のせいだろう。

 二人が出ていき、部屋に沈黙が訪れる。

 どうしてだろう。心なしか気まずい。

「え、えっと。ケイ、私体を拭くから」

 俺は床に置いてあるバケツを取ってベッドのそばの小机に置く。

「ごめん。早く体を拭きたいよな」

 俺は部屋の出口に向かって進もうとする。

 後ろから弱い引っ張られる力を感じて振り返る。

 エマが顔を赤くして俺の服の袖を握っていた。

「あの、その。体を拭いてくれない?」

 ?

「あの、エマさん?」

「怪我でまだ上手く腕を動かせないし、人に拭いてもらったほうがきっと体の隅々まで拭けると思うの」

 エマは早口で赤い顔を更に赤くして言った。

 俺は椅子に越しかけ、ベッドに置いてあったタオルを取る。

 何もやましいいことなんてない。心を落ち着けるんだ、俺。

 タオルを水につけて絞る。

「少し窓の方を向いてて」

 言われたとおりに俺は窓の方を見る。

 窓の反射で見えそうだったので俺は慌てて目を閉じた。

「ぬ、脱いだから」

 エマの方に向き直ると、タオルで自身の胸部を隠し恥じらうエマの姿があった。

 白く透き通るような肌、背中も腕も作りものかのように艷やかできれいだった。

「あんまり見ないで」

 エマはタオルで口元を隠して恥ずかしそうにする。

 上半身だけで胸を隠しているとはいえ俺には刺激が強すぎる。

 震える手で水を含ませたタオルでゆっくりとエマの背中を拭く。

 落ち着け、落ち着くんだ。

 なめらかな肌を拭く度に、俺の心臓の鼓動は加速していくみたいだった。


 自室へと戻った俺はベッドの上で身悶えしていた。

「ああああああああああああああああああああ!!!!」

 結局、背中以外は拭くことができなかった。

 恋愛経験がないだけではなく、女子への免疫も低い。

 あれ以上体を拭くことは、到底俺にはできなかった。

 背中以外は人の手を借りずとも拭けるということで、俺はエマにタオルを渡した。

 お互い恥ずかしさのあまり死にたそうだったからあれで良かったとは思う。

 そんなことを考えながら恥ずかしさで枕を殴っていると、部屋の扉を誰かが叩く音がした。

 扉を開けると、そこにはマグルが立っていた。


 



 

 

 

 









 


 

 

 

 




 



 




 


 


 

 


  

 

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