第312話 土地の記憶
真っ白な魔法陣が広がります。普通の魔法陣ではありません。この広場全体を包み込むように、大きく広がります。
広場の端にいたあたしと任仲虺の足元にも魔法陣が届いたので、思わず避けます。‥‥片足が畑にはまりました。ごめんね。
子履の魔法が成功したら何がどうなるかはわかります。でも、これまで見たことのないようなとてつもなく大きい魔法陣、そして暖かくやわらかい風を浴びていると‥なんだかとんでもなくとてつもないものができそうな気がして‥‥。
呪文の詠唱、長いです。普通の魔法でも詠唱長めのものはありますし、
あたしは暖かく心地のいい風を浴びて、ひたすら唱え続ける子履を見つめます。
「‥あっ」
子履の顔が、苦しそうに眉にシワを作っています。声がさっきより聞こえづらくなっています。
魔法陣から吹く暖かい風とは全くの対照的です。
あたしは畑に突っ込んだ片足を抜いて、魔法陣の中に踏み入ります。
「‥摯さん!」
任仲虺に呼び止められますが、無視します。確かに呪文の詠唱を邪魔しちゃいけないことはわかりますが、それでも‥。
子履は夏台に囚われたときにも言っていました。子履ひとりの犠牲で戦争を止めることができたらと。だめです。いくらこの國にとって必要なことでも、子履は犠牲になってはいけません。あの時、子履はあたしより先に死なないと約束してくれました。子履は商の伯である前に、あたしの婚約者です。
かすれる声を出す子履の手をそっと握ります。目をつぶっていた子履もそれに気付いて‥あたしを見上げます。あたしはもう1つの手も握りました。
苦しそうだった子履の表情が柔らかくなります。子履はもう一度目を閉じます。あたしも目を閉じました。
できれば魔力を送ったほうがいいかな。この世界で魔力を送るなんて聞いたことはないけど‥前世の魔法少女ものではよくそんなシーンがありましたよね。
できるできないじゃなくて、せっかく手を握っているのですから。やりましょう。
子履の心地よい詠唱を聞きながら、あたしは呼吸を整えます。
自分の体の中にある温かいものを、動かして。腕に流し込んで。心なしか、腕が熱くなるような気がします。それを手に動かして。手が熱くなります。
子履、あたしの温かさを受け取って。手をぎゅっと握りしめます。
抑揚のない詠唱ではなく、それはまるで、リズムを付けて歌っているようでした。意味は全く分かりませんが、心の底が温まるような歌です。あたしも一緒に歌っちゃったりして‥‥と思いましたがさすがにやめました。でも踊りたくなるような音楽です。ものすごく心地いいです。
子履の腕が揺れ始めます。何かと思ったら‥‥呪文のリズムにあわせて動いていました。あたしが腕を動かしちゃったかな‥と思って腕に力を入れて止めてみますが‥‥この感じ、子履のほうから動かしています。詠唱を邪魔しちゃいけないけど、これくらいならいいよね。子履の体を引っ張らないように優しく、リズムが並を作れるように激しく。これが詠唱じゃなければあたしも歌いたかったです。
ふんわり暖かい風に囲まれて、心地良い歌を聞いて。あたし、こんなとこにいていいんでしょうか。あたしは魔力を送り続けます‥‥送れているかどうか分からないので、送っている気になっているだけです。
真っ白な光に包まれた夢のようなひとどきは、ひとつの大きい爆発とともに終わりました。
爆風が竜巻のように土埃を巻き上げます。その風は激しくて災害のそれなはずなのに、不思議と怖くはなくて。この風はもうすぐ止むということが最初から分かっているような気がして。
両手を繋いであたしの目の前に立っている子履の大きい瞳が、あたしの視線を離してくれません。
「履様‥」
風がやみます。あたしの前で建っていたはずの子履は、服の揺れが収まるととたんに崩れ落ちます。それをすくい上げるように抱きしめて‥‥「お疲れ様です、履様」と声をかけます。
「ありがとうございます‥‥」
子履は抱き返してきません。手がぶらぶらと垂れています。あたしに全部の体重を預けて、口だけ動いているような‥‥。
わかりました。子履を背中に乗せないと、とあたしは体の向きをくるりと変えようとしますが‥‥脚が動きません。石のように動きません。
「仲虺様、護衛の兵士を呼んできてもらえませんか‥‥」
そう力なく振り向くと‥‥もやのかかったその広場には、誰もいません。あたしたち2人だけです。ええ‥‥せめて護衛くらいはいてくださいよ、子履は伯ですから。体も動かないし、誰もいないし、困ります。‥‥仕方ないです。
あたしは深呼吸して、ゆっくりあたりを見回します。気温は‥‥今は冬だというのに、まるで春のように温かいです。成功を確信させるほどの気温でした。
あたりはもう日が沈みかけて‥‥あれ?あっちって東じゃなかったですか?
霧をかき分けるように、足音がします。
「‥‥えっ?」
見ると歩み寄ってくる2人は‥‥漢服を着ていませんでした。あたしたちが前世で着ていたような洋服‥いえ、もっと昔の古っぽいデザインをした、欧米の時代劇に出てくるような洋服でした。髪の毛も、中国風の
『それでね、エリーが僕にこう言ったんだ』
『何を言ったんだ?』
『おもらししちゃったんだとよ、ははは』
『なんだそれ、雷の魔法でちびってんじゃねえよ、あははは』
2人の少年が仲良さそうに話しています。あたしはそれを聞いて、頭痛がしたような気になります。
エリー‥‥っていう名前、この世界では聞き慣れません。当たり前です。この世界にいる人達の名前は全部漢字ですから、欧米風の横文字の名前など聞いたことないです。それに、雷の魔法‥‥ってこの世界には存在しないんじゃなかったんでしたっけ?
あ、そんなことより動けないあたしたちを助けてもらわないと。
「あの‥!」
あたしは声を出しますが‥2人はぷいっとあたしたちに背を向けます。
『エリーは風属性の魔法しか使えないんだろ?』
『そう言うオットーはどうなのさ』
『ドニク、殴るぞ』
2人は笑いながら歩いています。まるであたしたちの存在に気付いていないかのように。
無視してるんじゃなくて、最初から聞こえていなかったかのように体がスムーズに動いています。
どういうことですか、これは‥‥。
鐘の音が鳴ります。鐘?この世界にそんなものはなかったはず‥‥。男の声が鳴り響きます。
『敵襲!帝国の襲撃だ!みんな逃げろ!!』
あちこちの家のドアがいっせいに開いて、住民たちが悲鳴をあげながら駆け出します。
あっ、あの人がこっちに来ます。ぶつかる‥!!と思いましたがそんなこともなく、あたしたちの体をすり抜けて走ります。
「え‥‥?」
実体がない。これは幻か何かでしょうか。
どーん、どーんと爆発音と地響きが襲います。あたしたちのところにも魔法は直撃しましたが、光がまぶしいくらいで何もありません。それよりこんな強い爆撃魔法、この世界にはなかったはずです。もしあったらとっくに戦争で使われてますよ。
あちこちの家が爆発して、燃えていきます。一体これはどういうことでしょうか。あたしは今、何を見ているのでしょうか。あたしはただ呆然として、閑静な邑が焼け落ちていく風景を眺めていくしかできませんでした。
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