第311話 商への凱旋
こうしてあたしたちは無事に商へ戻りました。ただし問題は山積みです。葛を落としたからと言ってすぐに葛の民に施しができるわけではありません。商で備蓄している食料は、商の民だけでも数カ月分しかなく、葛のために分けることはできません。食料を増やすことは、吃緊の課題でした。
これはあらかじめ任仲虺が自信満々で主張していた食料の増やし方です。あたしも子履も半信半疑のままこうして葛を従属させてしまったのですが、その実証実験の結果がようやく分かるのです。
葛へ攻める前に、
「よう、久しぶりだな」
「一週間しかたってないじゃないですか」
「一週間であんなに野菜が育つわけないだろう」
法芘は笑いました。その様子を見ていると、実験の結果は期待通りだったのでしょう。あたしの頬も自然に緩みます。
その家の庭にある畑を見に行きました。
作物は、正確には畑に植えたわけではなく、畑の周りに水の入った容器をいくつも置いて育てていました。場所を使わせてもらったお礼代わりに、畑全体にも魔法を使っています。子履によると、
あたしが早速皿の1つに手を伸ばそうとすると、手先が急にあたたかくなる感覚におそわれます。水の膜を越えたから、暖かい空気が伝わってきているのです。見た目では分かりませんから、気をつけないといけませんね。そうして一つの皿を取り出しました。大根の上の部分を小さく切り落として水に漬けたものです。
「うわあ、葉がこんなにたくさん生えてますよ」
「上出来ですね。大根の葉は食べられますから、これだけで収穫です」
「小松菜も、あまり大きく育ってませんがいい感じになってますね」
「おいしく食べられるようになるにはもう少し時間がかかりますね」
「でもこんな短期間でものすごく育ちましたね」
この世界は何年も前から毎年のように冷害が続いていて、作物もろくに育っていませんでした。そんな中で、子履の
「履様がねている間も魔法は引き続き効いたみたいですね」
「そうですね。この畑のことを考えていないときも効果が続くのは大きいです」
効果は期待できるものでしたが、いっぽうで不安も残します。
「この魔法を國全体にかけて、しかも最低でも半年以上維持しないと食料の備蓄を増やせないという話でしたが、果たして私にそのようなことはできるんでしょうか‥‥?」
「仲虺さまの調べた限りでは余裕でできるらしいのですが、やってみないとわからないですよね‥‥」
ひとつの國全体を覆うような伝説級の魔法など、もちろん普通の魔法使いには扱えません。したがって魔法の使い方を知っている人も、具体的な資料もありません。あるのは、誰かがこういうことを成し遂げられたという結果の伝承のみです。
「それでも、葛の國を制圧してしまった以上、やらなければいけないんです」
子履はそう力強く、言葉を発しました。このときの子履はなぜか頼もしく見えてきます。惚れ直しましたが子履には黙っておきます。
◆ ◆ ◆
この世界では、國という言葉は地名のように使われています。前世では、ある支配体制のおさめる領土またはその当局をさして国と言っていましたが、この世界では支配体制と國の定義は明確に分けられています。まず
前世の日本でも、田舎の山奥にある集落をさして、その集落で一番偉い人の名前をとって「山田さんの集落」と言うのも変ですよね。普通、集落のことは地名を使って呼びますが、この世界の國も似た感じで、地名のように使われています。商は葛の國を併合しましたが、それは葛の國を直轄地に置いて代官を任命しただけであって、世間的に見れば、葛の國が商の國に従属したと見なされるものです。
「併合という形であれば朝貢を送る必要はないですし、いい案だと思ったんですけどね‥‥」
「そもそも併合という概念がこの世界にはないのです。わたくしも正直、併合して代官を送るのと、國のままにして新しい伯を任命することの違いがよく分かりませんでした」
子履も任仲虺も、子履の書斎で頭を抱えています。商だけでなく葛も来年の正月に朝貢を送るよう、
「葛はあくまで商ではなく夏の家臣であることを確認したいのでしょうね。仮に葛が商に朝貢したならば他にも商に朝貢する國はでてくるでしょうし、その牽制も兼ねているのかも」
この世界の支配体制にあたしは2人ほど詳しくないので、2人が話しているのをここに突っ立って聞いているだけです。ただでさえ苦しい葛からさらに食料をむしり取られないよう、子履なりに工夫して併合という形をとったつもりでしたが、世間一般には受け入れられなかったようですね。
「どうしましょう仲虺、葛の分の贈り物も商から拠出するとなると、負担が大きいのですが」
「これは食糧計画を早く進めなければいけませんね」
「まだ広い土地に魔法をかけられるかの実証ができてませんけど」
「ぶっつけ本番になりますね」
子履も任仲虺も神妙そうな顔をしています。確かに今はもう冬です。次の朝貢まであとちょっとです。急ぎましょう。
◆ ◆ ◆
葛から商に戻った2日後だというのに、あたしたちに
子履の使おうとしている魔法について一番よく研究している任仲虺に、あたしは質問をしてみます。
「一回の魔法で効果が及ぶのは、
「いいえ、伝説ですと、國1つ分の広さはあったようです。ですので、魔法は宮城周辺で放っていただきます」
「ですが、仮に失敗したとしてもせめて2つか3つの畑には効果が及べばいいと思うのですが。もう少し畑のそばにできないでしょうか?」
「仕方ないですね」
任仲虺が地図を取り出して調べた場所に、馬車が着きました。あたしたちは馬車から下ります。ここは葛の都市部のすぐ外にある邑です。さすがにここくらい都市部に近いと毎日のように兵士や役人が通るので、畑もほとんど整備されています。
あたしが護衛の兵と協力して周辺の邑の長老たちを集めている途中、子履は長老の案内で、この邑の広場まで歩いていっていました。前世の体育館より広いくらいの場所の中心に、子履は立っています。ふう、はあと深呼吸をして、精神を整えます。
そして、手を合わせます。確か
子履の口が動き始めます。
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