第310話 少女たちの覚悟

「このような料理は食べたことがありません。この九州のどこにもない上品な味わいが感じられます。これはオリジナルですか?」

「味付けだけでなく、なますの切り方もとてもきれいで、香草が食欲をそそります。こんなに上手い人と一緒に働けるなんて‥」

「でも私にできるのかな‥」

「あなたの料理は、かつの誰よりも上手いです。でも、料理をほとんどしない私が釣り合うかどうか‥」


女の子たちが次々と、テーブルから身を乗り出します。ええと‥思っている反応を超えちゃってますが、でも、あたしにはまだ料理にネガティブな気持ちがありました。子履に見守ってもらいながら料理していましたが、それでも、包丁を握る手に少し力が入っていました。切る音でまた前世のことをかすかに思い出してしまいます。子履のことばかり考えていないと作れませんでした。集中できたと自身を持って言えないのです。手先に迷いを感じていました。

でも、この少女たちの純粋な目を見て、あたしはそんな気持ちが吹き飛びました。


「一流の料理人になりたい人以外お断りではないですよ。料理でも何でもいいから手に職を持ちたい、程度の気持ちでも大丈夫です。厨房ではあたし以外にも教えてくれる人はいますから、肩の力を抜いてくださいね」


そう、あたしはにっこり笑いました。


◆ ◆ ◆


料理は苦手という人がいたので、事務仕事をしてもらうことにしました。

家も職もいらないから家に帰りたいという人が2人いました。その2人は、その日のうちに荷物をまとめて後宮の勝手口に立っていました。


謹姞きっきつさん、お世話になりました」

「ありがとうございました」


丁寧に頭を下げる2人に、謹姞は、1人1人の体を抱きながら「短いようで長い地獄の日々だったけど、本当にありがとう。あなたたちのことは絶対に忘れないから」と言って、涙を流していました。

子履はさすがに公務でしたが、あたしは時間をもらって、そんな少女たちの別れの場面に付き合っていました。涙を流すほど、仲間意識がとても強かったのですね。葛伯にいいようにこき使われた日々、こうして仲間同士で励まさないと生きていけなかったのでしょう。


「伊様も、最後においしいものが食べられて幸せでした」

「‥あっ、お粗末様でした。気をつけてくださいね」

「はい」


2人はどこかさみしげに、控えめな笑顔で答えると、他の子にも一言挨拶して、歩いていってしまいました。


「‥あの人たちも幸せになるといいですね」


謹姞が勝手口のドアを閉めたところであたしがふとそう言うと、謹姞はあたしの顔を見上げます。そして、また目を伏せて首を振ります。


「伊様。あの2人は家に帰ると言っていました」

「ん?」

「あの2人は特に親や家族思いのいい子でした」

「でしたら、墓を作って親のことをしっかり祀るのですね」

「いいえ、あの2人が墓に入るのです」

「えっ?今、何と?」


謹姞の言っていることが一瞬で理解できず、あたしは思わず聞き返します。


「最後においしい料理を食べて、親の死をはっきり聞かされて、あの人たちにはもう失うものがなくなったという意味です」

「‥‥あの2人は死ぬんですか?」

「はい」


謹姞はいとも冷静に、ためらうことなく答えます。止めないと。あの2人を止めないと。手遅れになる前に、とあたしはドアに向かって足をかけましたが、その腕を謹姞は引っ張ります。


「あの2人は、商が攻めてくるよりずっと前から、固く決意していました」

「な、何で止めなかったんですか!?」

「私は止めましたが、2人の決意は固かったのです。伊様が今から行って説得しても無駄です」

「そんな‥」


あたしが止まったので、謹姞はゆっくりと、あたしの腕から手を離しました。よく見ると、謹姞の周りにいる女の子たちもみんな目を伏せています。


「‥‥あなたたちの間に仲間意識とかはないですか?困ったことがあったら仲間同士で助け合おうっていう‥‥」

「逆に聞きますが、葛伯のような気持ち悪い男の慰みの相手にされて孕んでも、同じことが言えますか?」

「えっ‥‥?」

「ここにいる全員がそうでした。みな、だぶだぶの服でごまかしていますが腹は膨れています。そこの子は耐えきれずに自分の腹を刺しました。今もその時の傷が残っています。その隣の子は自分の首を絞めましたが死にきれず、代わりに腹の子が動かなくなりました。そこにいる2人とも、まだ腹に子は残っていますが、死産は決まっています。いま出ていったあの2人も、そして私も、腹に子を宿しています。二度と顔も見たくないあの男の子供が、ここにいるのです」


謹姞は堂々と、あたしの目を見てはっきりした口調で答えました。

あたしは声を失いました。なんて言えばいいのか全く分かりません。つらいのはあたしだけじゃない。そんな人たちの気持ちもわからなかったなんて。あたしはこれから‥どうすればいいのですか?あの2人を止めに行くべきですか?


「死にたい気持ちは私もみんなも同じです。全員が同じ気持ちです。だから――『仲間』として、このときは笑顔で送り出そうと、私は決めています」


あたしは前世、学校の行事などでこのたぐいの人から話を聞いたことがあります。沖縄で戦争に巻き込まれた人の体験談を聞きに行ったときです。あのときはみな、熱心に質問していたものでした。今思うと、あれだけ次々と質問できたのは、あたしたちの中のどこかで、それを人ごとだと思っていたからかもしれません。

今の話しは、何十年も前にあった物語ではなく、今現在のものです。今、目の前を生きている人たちのリアルです。


質問したいことは山程あります。でもいま質問してしまうと、いまあることが全部人ごとになってしまうような気がします。

恐怖を感じます。


そして、それだけの過酷な体験をした人達に伝えられる言葉を、あたしは果たして持ち合わせているのでしょうか。

あたし、前世で虐待された時、誰かに何をしてもらいたかった?

虐待から救ってほしかった?

救ってもらったあとは?

今いる子達はまさに、救ってもらったあとです。

救ってもらって、気持ちが切れたあとです。

なんて言えばいい。


「‥‥今日の夕食も付き合ってくれますか?簡単でいいからみなさんも何か料理を作ってみましょうか」


果たしてこれでいいのか分かりません。8人の少女たちの反応はよく見えませんでしたが、嫌がる顔や困った顔は‥‥なかったと思います。


◆ ◆ ◆


「そのようなことがあったのですか‥」


すっかり夜遅くになっていました。陣にある子履のいる大きな天幕まで戻って、あたしは、及隶きゅうたいと一緒に書類を読んでいた子履に事の顛末を伝えました。


「あたしが料理を教えるだけでよかったのかどうか、分かりません‥」

の気持ちは十分伝わったと思いますよ。あとは、あの子たちがどのような決断をするかです」


子履の返事に、いつものあたしなら「そういうものですか」と返事するところでしたが、今は何もしゃべる気分になりません。


「‥私からも摯に報告したいことがあります」

「ん?何ですか?」

「この葛の統治にあたって、周辺のむらにいる長老たちを集めました。全員から、泣きながらお礼を言われました」

「あ‥‥」


お礼を言われるということは、葛伯の支配がどれだけ苛烈だったものかをうかがわせます。食べ物がなくてよそから盗んでくるくらいでしたし、服もぼろぼろで、畑は冷害のせいで枯れていて、外で遊ぶ子供もいなくて‥相当苦労したと思います。


「長老たちを近くの邑へ送り届けたのですが、その邑にいる人たちからも次々とお礼を言われました」

「‥‥戦争してお礼を言われるというのも、変な話ですね」

「前世の史書でもわりとある話ですが、私も今、複雑な気持ちです」


子履は少しの間を置いて、机の上にちらかっていた紙の書類をまとめます。


「‥‥摯、商に戻ったら、私のやりたいことに付き合ってもらえますか?」

「はい、構いませんよ。一体何をされるのですか?」

「‥‥とてもつらい決断をすることです」


子履はまとめた書類の端を握りしめました。

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